ちょっと難しすぎると思います。 実際、 そんな難しい話で困っているわけじゃないんです。
私は岡本注2の住民です。 岡本では昨年道路の舗装を石畳にして、 非常に歩き難いと悪評を買ったんですが、 これも環境の一つです。 なんでこれが予測できなかったのかと。 我々まちの住民は素人なんで、 業者を信頼して任せっきりという状態でした。
私も昔はものづくりの人間だったものですから、 原因が色々見えてくるんです。 結局、 業者にものづくりの専門的知識がなかったという事が原因なんです。 それから企画するときにデザインはどこが責任を持つかという事なんです。 一般住民にしてみたら、 業者に全信頼をおいてるのに、 こういうことになっては困るのです。
今日はそういうことを議論してもらえないでしょうか。
丸茂弘幸〔関西大学〕:
今のケースが、 伊東先生のおっしゃる第1のケース、 「最適化問題」に失敗してるケースです。 ところで、 その工事は住民ではなく、 外にいる人が発注してるんですね。
田中(三):
それはそうですが、 住民も業者に絶対的な信頼をおいて発注してるんです。 一応コンサルもいるわけですし。
それにほんとに初歩的なミスなんです。 人間の足の裏は感覚が鋭くて、 表面が平坦でないと非常に歩き難くなる。 ところが歩いてみると本当にバラバラなんです。
これは、 規格がキチッとした材料を仕入れなかったのが問題なんです。 ものづくりの基本です。 これじゃ、 いくら職人が一生懸命やったって、 キチッとしたものは出来ません。 それを専門家が全然知らなかったのか、 あえてやらなかったのか…そういう不信が我々の中に残りました。
美観の問題でもそうです。 最近、 専門家というものが我々には信用できなくなっている。 だから「どのメーカーが信頼できるのか」という情報公開を我々は必要としているんです。
ちょっといいですか。 先ほどから業者、 業者と言われていますが、 実際事業が行われたのは公的な道路ですから、 事業化し、 そこへ資金投資したのは行政でしょう。 「システム」としては、 行政がコンサルに発注し、 それを作るのが業者です。 その場合、 業者は基本的に言われたとおりにしかできないんです。 だから、 このお話ではコンサルの材料指定が一番大きな問題だと思うんです。
ただ「我々は」とおっしゃるけれど、 こういう問題は人によってまったく違う意見を持つ場合があるんです。 ゆっくり歩けて良いとか、 あまりスムースに歩けると人が歩くスピードが速すぎて困るとか。 だから、 ゆっくり歩かせるために少し荒い石畳を使うという発想でやったのかもしれません。
こういう問題はたくさん出てくると思います。 その場合に、 必要な“参加”の考え方は、 「一方通行ではない参加」です。
今回の場合でしたら、 住民が「不適だ」と結論づけたら、 石畳をブラインダーで均したらいいわけです。 そういうアクションを起こすということも、 実は参加なんです。 それがまちづくりのきっかけになって行く。 こういう「フィードバック」がどんどん起こるべきなんです。
住まい手の方が行政に一方的に頼るんじゃなくて、 それをもう一度自らの手で変更する事によって「最適化」をさらにやっていく。 そうすると今度は違う意見の人から「雨の日に滑る」って話しが出て、 またすべり止めをつけることになる。
こんなふうに“参加”は上から下ではなく、 下から上、 横から右から左からっていう立体的参加になっていかなければダメだと思います。 だから“参加”を時間単位で決めてしまうのではなく、 長い時間の中で参加を捉えてまちを創っていく必要があると思うんです。
言われた問題も「誰が悪かったか」という姿勢では解けず、 そういう参加の「システム」を作っていく事自体が前進につながるんだと思います。
岡本の隣の深江でまちづくりに携わっているものです。
岡本では舗装材には相当こだわったと聞いています。 普通の材料だったら重たい“だんじり”を曳いたら割れるからと、 わざわざ試験曳きまでしたそうです。 そこまでこだわって皆で考えられたというのが、 すごいパワーだと感心していたのです。
後で実際に歩いてみて、 確かに歩き難いなと思いましたし、 ベビーカーとかは通りにくそうでした。 しかしそれを誰が決めたかとなると、 先ほどコンサルタントだというお話でしたが、 実は住民の方も相当関わっていたのではないか、 と思うのですが。
私は直接関わっていないんです。 商店振興組合が事業主体でしたので、 まちづくり協議会にはあまり情報が入ってこなかった。 確かにだんじりの話はありましたが、 ちょっと目の付け方が違ったと思います。 「歩き難さ」というのは表面の平坦さが問題になりますが、 だんじりには下の強度、 石の厚さがどれくらいあるかが問題なのです。
田中(康):
大事な話だと思います。 東灘にはだんじりがありますが、 商店街の多くの方はだんじりの組織には関係していません。
このような問題が発生した場合の参加のあり方、 つまり参加の「主体」が住民ということでありながら、 実は住民でも色々な立場、 経験があるという事が、 今回の議論にとって大事な事だと思うのですが。
小浦久子〔大阪大学〕:
私も同感です。 大事なのは、 いろんな方が住んでらっしゃるということです。 商業者の方もいれば、 普通のサラリーマンの方もいる。 子供も高齢者もいる。 「道」というはみんなが使うものでありながら、 何が最低限の最適目的なのかが定まっていません。
例えば商業者にとっては商売したり街が元気になることにつながる道づくりが関心事でしょう。 しかし、 だんじりが大好きな人はだんじりを通すことが大切かもしれません。 いろんな「目的」があって、 岡本の例はその全部をカバーするようなものではなかったのかもしれません。 ただ、 全部をカバーする事がいい選択なのかどうかはわからないと思います。
結局田中(康)さんが今おっしゃられたように「主体」の問題と「目的」の問題と、 それをどう実現していくかという、 その組み合わせこそ、 今議論すべきところだと思います。 それが多分、 伊東さんが最初に言われていた「自己言及型」の問題の具体的な話ではないか、 と思うのですが。
ところで、 そういう現象が起こってきて、 商店街の方とそれ以外の住民の方とで話し合いされたりはしているんですか?
一応特別な場所については、 良くないという事で手直しはやっているようです。
「歩きやすさ」の定義がないもんでしょうか。 基準が無いから住民同士の議論もかみ合わないような気がします。
小浦:
「基準」というのはすごく難しい問題だと思います。 合意するとか納得するという時、 「何に納得できるか」という問題があります。 それが、 伊東先生がさっきおっしゃったようなベタっとした基準なのか、 地域ごとに考えていく、 皆で議論して作っていくものなのかが大事なのです。 私は基準があるから納得できるというのはおかしいんじゃないかという気もするんですが、 どうでしょうか。
田中(三):
景観の問題にしても、 個人の感受性とかに関わる、 非常に幅のある問題ですよね。 そこをどうやってうまく議論していくか。
丸茂:
それだからこそ、 参加であり、 参加の場で議論していく必要があるんでしょう。
難しい話しはやめて、
困ったデザインの例から
専門家が信頼できない
田中三郎〔岡本地区まちづくり協議会の事務局〕:
注2:岡本のまちづくりについては下記を参照のこと。
岡本地区の参加型まちづくりの苦闘
まちづくりと民間文化施設
やり直すのも参加の第一歩
佐々木葉二〔鳳コンサルタント(株)〕:
住民にもいろいろな立場がある
田中康〔深江地区まちづくり協議会〕:
注3:東灘とだんじりについては下記を参照のこと。
田中(三):
神戸東灘まちづくり文化のルーツ
基準があったら解決するのか
小浦:
田中(三):
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