このフォーラムは、 難しい言葉を使うためのフォーラムなんでしょうか? 哲学的に理論を深めて一部の人だけが分かっていくというフォーラムなんですか?
分かったという感じの持ち方にもいろんなレベルがあると思うのですが、 私は抽象的なレベルまで分かるとよく分かったという感じがするんです。 僕は分かりたいからこのフォーラムを企画しているのであって、 決して分からなくするためのものではありません。
石東:
ではもっと易しい言葉を使えばもっと分かると思うんです。 普通に使われている言葉で普通の話をすればわかりやすいのではと。
佐々木:
石東さんがおっしゃったことはよく分かるんです。 例えば「参加とは」という質問に対して「システムが自己言及しつつ環境と適合すること」というお答えでしたが、 そんなことを住民に言ったところで絶対に分からないし、 なんとでも言えるわけです。
僕の体験からもっと的確に言うならば「他人の意見を聞くこと」だと思うんです。 反対意見もあり同意する意見もあるなかで、 他人の意見を一回素直に聞いてみる。 それから自分の意見を出すということですね。 それは言ってみれば「システムが自己言及しつつ環境と適合すること」でもあるわけです。
しかしそういう言語で参加という言葉をまとめてしまうと、 なんとでも理解できるし、 そうなると従来のよく分からない学者・専門家言語において都市計画をやってきたのと同じことになってしまう。 参加とはもっと違うものなのではないかということです。 言語体系から変えて価値観をひっくり返していかないと、 参加の本質は見えてこないのではないでしょうか。
石東:
参加というのは専門家以外の人が参加しようということでしょう? だから誰にでも分かるということはベースとして気を付けなければいけない点だと思うんです。 研究者なり学者なりが参加とは何かを理論的に言及するのではなくて、 参加の主体は一般の人なのですから、 おばあちゃんでも分かる、 幼児でも分かる言葉を使うこと自体が参加だと思うんです。
小浦:
現場的にはまったくその通りだと思います。 そうした実際の現場でのやり方や問題点を、 一度ここで読み替えてみる作業をしようとした時の、 一つの論理が今提示されているのだと理解しています。 だから具体的なプロセスの現象としては、 何とでも読めるというのは正しいんです。 逆に言えば、 具体的なケースで、 皆さんはどう読んでいるかを知りたいわけです。 そこで返ってくる解釈はみんなそれぞれ違うし、 非常にたくさんあると思います。
松久:
それを皆さんに聞いてみると面白いですね。
この「参加とはシステムの自己言及しつつ環境と適合すること」という文章について、 私はこんなふうに読んだというご意見をお願します。
このフォーラムは言葉遊びが目的なのか
丸茂:
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