「市民と専門家の協同による環境デザインの方法はあるんだろうか?……」と、 案内プログラムには記されていましたが、 当日のような専門家の独りよがりの言葉遊びでは、 協同は永遠になされないでしょう。 「参加型」の原点は、 今までお上が難しそうな言葉を並べて勝手にやっていた計画(デザイン)を、 誰にでも理解できるような、 日常の言葉を使って、 それにかかわる生活者に参加を促すものだと思います。
「参加型……」を哲学的な視点でディスカッションすると、 より参加型の意味が分かってくるのではないかと、 説明がなされましたが、 独断的な造語としかいいようのない分かりにくい言葉を、 学者だけで頭をひねり合って頷き合うのが、 哲学ではないでしょう。 学者たちの言葉のお遊びにつきあわされた時間と参加費の浪費が、 苦々しくバカバカしく感じられました。 でも、 わたしは もともと学者はそういうもんやと思っていましたが、 一般人(いわゆる専門家以外)も参加していたディスカッションに、 このようなことをやられては、 「参加型」がさららに遠のくという罪をもっています。
後半のディスカッションは、 雲の上から下りて、 日常世界での討論となり、 よかったです。 でも、 なんだか詐欺に会ったような気分は消えませんでした。
詐欺にあった気分です
石東直子
フォーラムの案内プログラムに記された「参加型デザイの課題(ディスカッション)」というテーマにひかれてSession 3に顔をだしましたが、 詐欺にあった気分です。
このページへのご意見はJUDIへ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai
JUDIホームページへ
学芸出版社ホームページへ