DAN計画研究所 澤村朋子
遊び心と仕事心
平野郷地区HOPEゾーン事業
大阪市平野区
祭り期間の4日間、 郷内の各戸には祭り提灯がしつらえられる。 |
ワークショップ「夏祭りまちなみ調査隊」では、 だんじり祭りの時期に合わせて、 まちなみの表情の変化や祭りのしつらいを調査した。 |
豊富な歴史的・環境的資源、 いきのいい住民。 ここに行政の支援があれば、 まさに住民参加のお手本だろう。 しかしながら、 これらの諸条件が整っているからこそ、 つくる側とつくられる側という旧来の二項対立の中では出てこなかった、 より深刻なギャップも生じてくる。 よりよいまちにしたい、 という目標は同じであるものの、 考える方法、 行動する根拠が違う、 とでも言うのだろうか。
これまでの、 公共デザインの過程は、 責任の所在の明確化、 専門性に基づいた役割分担など、 基本的にビジネスの論理に従っていた。 この定型化された方法では、 誰しも最小の労力で最大の効果を上げることが出来る。 しかし、 行政と地区住民では、 流れている時間が違う(数十年の事業期間を見ているのか、 子々孫々、 1000年先のことまで我が身のこととして考えるか)のだ。 この立場の違いこそが、 これまで「何となく分かる」とうやむやにしてきた多くの問題を表面化させ、 かくして議論は拡散してしまう。
先の考える会のモットーは、 「遊び心」であり、 彼らの活動は無限の広がりを持っている。 それに対して行政や専門家が抱くのは、 熱心な「仕事心」であり、 有限の活動であるからこそ、 ものを生み出す力を持っているのではないだろうか。 この全く対立する立場に「折り合い」をつけるのが住民参加であるとすれば、 その結果出来上がるものは中途半端な、 双方にとって無益なものとなるのではないか。
組織としての責任や感情的な要望を云々することは、 表面上の合意を生む。 しかし、 あえてそれらを廃し、 個人として正面から向きあい、 課題を細分化し吟味する。 お互いを信頼し、 任せるべき所は全面的に任せる。 この方法は膨大な時間と手間、 そしてこれまでの専門家には求められてこなかった「対話する」能力を要求する。 対話ばかりしていては何ものも生み出せないが、 住民参加のデザインを考えたとき、 それを積み上げることによってしか、 解決法はないように思う。