大阪府最北端の能勢町では、 浄瑠璃(語りと三味線)が約200年前に大阪から伝えられて以来、 井筒太夫など三派の太夫と弟子たちによって、 生活の中の娯楽として今日まで語り、 伝えられてきた。
芝居小屋風の浄瑠璃シアターは、 93年に完成した。 館長に招かれた大内さんは、 浄瑠璃の伝統を生かした文化振興を計画。 町内三派の公演、 徳島県勝浦座(人形)とのジョイント公演、 国立文楽劇場のプロによる公演、 裏方養成のワークショップなどを次々に企画。 公演には毎回府外からの熱心な参加者があるように、 能勢町は浄瑠璃のまちとして次第に知られるようになってきた。
その後、 浄瑠璃が町民にもっと身近なものになるようにと、 オリジナルの戯曲を全国から公募。 応募69編の中から能勢町を舞台にしたコミカルな「名月乗桂木(めいげつにのせてかつらぎ)」が選ばれ、 96年に町民に披露された。
新しい戯曲が出来たので、 人形を是非加えて上演したいとの思いが館長や町民の間に生まれ、 町内外35人の人形遣いが、 公募・審査を経て選ばれた。 人形遣いは早くて10年かかると言われた文楽劇場の人間国宝を口説き落としての約1年2ヶ月の特訓を経て、 斬新な衣装を身につけた7体の人形とイノシシなどの動物がつくる、 「人形・語り・三味線」の3つが揃ったオリジナルな人形浄瑠璃が98年6月に満員の浄瑠璃シアターで初演され、 約200年の浄瑠璃の伝統に新たな頁を加えることになった。
この経験を通じて、 能勢町民の間に「浄瑠璃のまち」としての意識が一層高まり、 まちの様々な計画も浄瑠璃との関係で語られることが多くなった。 “伝統を受け継いできた人々”と“現代に生きる人々”の「参加によるまちのデザイン」が始まったと言えないだろうか。
生活環境問題研究所 山本茂
伝統と創造による参加のデザイン
ザ・能勢人形浄瑠璃
大阪府能勢町
浄瑠璃シアター全景
三味線の練習風景
人形遣いの練習風景
まとめ:参加のデザイン・コンセプト
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