灘区味泥地区は、 周辺の海面埋立と戦災復興土地区画整理が行われた一見特徴のない普通の市街地である。 民地となっていた古墳跡(西求女塚古墳)がこの戦災復興区画整理で求女塚西公園として整備され、 この地区の貴重な緑蔭空間となっている。 平成2年、 この地区の地元自治会がまちづくり活動を始めた。 老人パワーは歴史談議に花を咲かす。 「むかしすぐそこが海で、 ボートハウスがあったんだ」「へぇー。 そしたらむかし西求女塚古墳は、 海に面していたんですね。 前方後円墳の設計の仕方がわかるので一度書いてみましょうか。 」
こんなことを話している時期、 三宮の古本屋で「神戸港1500年」(昭和57年発行)を見つけた。 この本の中で著者の元神戸市湾港局長鳥居幸雄氏は、 味泥地区のこの場所、 かつての「敏馬の浦」こそが「港都神戸誕生の地」であると述べられていた。 もしこの本と出会わなかったら「求女塚西公園の緑を大切にしましょう」程度で終わったかもしれない。
平成4年3月、 味泥下町活性化委員会は、 地区のシンボル事業として西求女塚古墳復元整備構想を神戸市に提案した。
神戸市教育委員会はこれを受け入れ、 平成5年1月より西求女塚古墳復元のための発掘調査を始めたところ、 中国製銅鏡12面、 そのうち卑弥呼の鏡といわれる「三角縁神獣鏡」7面が出土した。 これは全国で3番目に多い。 そしてこの古墳は最古級の「前方後方墳」とわかり、 兵庫県下でトップクラスの遺跡ということになった。 上記の出土品が盗掘にもあわずに残されていたのは1596年「慶長の大地震」によって石室が深く陥没していたからであった。 阪神淡路大震災で発掘調査は一時中断されたが、 いずれ西求女塚古墳は復元されることだろう。
まちづくりは、 それぞれの地区の歴史を発掘するだろう。 地区の歴史こそ、 住民がまちづくりイメージを共有し、 創造する源泉であるからだ。
久保都市計画事務所 久保光弘
まちづくりが掘りだした三角縁神獣鏡
味泥下町活性化委員会:西求女塚古墳復元整備
神戸市
地元が提案した西求女塚古墳公園構想
発掘された三角縁神獣鏡
発掘でわかった最古級の前方後方墳
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