参加型都市環境デザインをさぐる
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背景計画研究所 井上洋司

街づくりから生まれた小さな庭

参道整備計画
千葉県成田市

 

参道整備計画のプロセスは

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かつての家並みの再生
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平池のある裏庭
改行マーク成田の街づくりは住民参加から始まっている。 1989年上町、 仲町それぞれに街づくり協議会ができあがり、 それぞれの目的をもってはじめられた。 基本的には駅前開発と連動する形で、 それぞれの地域でどのような事が可能か、 を模索することで生まれたものと考えられる。 我々が市の計画課に呼び出されたのは丁度このころである。 街の人たちが活動をはじめたのでこれを支援、 する体制を行政側もとりたい、 ついては街路の計画を行なってほしいというものだった。

改行マーク結局その年は時間的に何も行えず、 翌年から街づくりのために町の景観の調査が必要であることを認めてもらいその調査にかかった。 一年がかりの景観調査は協議会で今後の話をすすめる上で貴重な結果をもたらした。 成田の表参道が三つの区域に分かれる景観的特性を見いだすことが出来たからだ。

改行マーク表参道の整備方針をどうするかを考えていた行政と地元の協議会の人たちのなかで、 これらの景観調査の成果に対する議論が行われ、 結局参道全体を三つの異なった手法で整備することとなった。 中でも、 仲町と言われる新勝寺にもっとも近い区域は、 木造建築がもっとも多く残っている地域で、 しかも山を背後に抱えるために道路の拡幅もままならない点から、 建築の保全型活動計画を進めることになった。

改行マークこれに伴い度重なる勉強会で自らの景観的特性を話し合い、 同時に先進地の見学会などを通して、 自分たちの町並みの特性とその活かし方について大いに議論してきた。 一方行政は、 保全を行う建築物に新たな補助制度をいかに確立するかに努力した。 その結果参道に面する仲町すべての店主による協定書づくりを条件に、 他の行政体の補助制度などを参考に制度整備に着手した。

改行マークこの結果仲町の特性を生かした街づくり協定書にこの地域の参道沿いの全員が署名捺印した、 町並み協定書が出来た。 街づくり運営委員会を設け、 保全改修型の街づくりが始まり希望者を募った。

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竹薮と言う景観資産の活用
改行マークはじめは、 塗装の塗り替えや屋根の補修から始まった。 本格的な物が始まったのがここで紹介する三芳家である。 忘れられていた古井戸の水を利用した平池と背後の竹薮を使ったオープンエアーの甘味処を改修と同時に行った。 このまちで一番足りなかった奥行きのある町並みを再生するために路地を設け、 参道の雑踏から逃れる場をまちに提供した。 家屋も以前のたたずまいを再生し、 まち並みの流れをとぎれさせない物とした。 それに先立ち建設運営委員会の意見を取り入れながらまちに残されたわき道に面した、 防火用水池をポケットパークとして整備することも行われた。 今後はまちの長年の夢である電柱の地下埋設に向かって、 仲の町まち作り委員会の活動が活発に進められている。


ご用聞きとご隠居

改行マークここの例でわかるように、 デザインそのものに、 住民が参加して街を創る方法を我々は考えていない。 むしろその活用や運営に彼らの力が必要なことがわかっているから、 その点をより重視した活動をする事にしている。 もちろん町の人と話し合っているうちにアイデアが出、 それがデザインされたときもある。 しかしこの店でも、 成田の裏庭をもっと活用すべきであることは理解できても、 どのようになるかは、 専門家でない市民には多くの場合理解できない。 結局はできあがらなければ本当の理解は出来ないのが現実であった。

改行マークただ専門家は様々な意味でのアドバイスや、 提案をする事が出来、 同時に対象がお店であれば、 一人の客としての意見を言える。 この店の場合、 メニュー構成にまでも意見を言わせてもらっている。 制度づくりや街の合意形成で意見の調整や様々な町並みへの取り組み例を紹介したりするとき、 僕らは頼られる。 時には合意形成のために住民だけでなく、 各機関に説得に回ったりする。 簡単にいってしまえば、 街づくりでの専門家を取り巻くの世界は、 昔でいえばご用聞きやご隠居がでてくる、 落語の世界がもっとも近いような気がする。

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