そのつもりで見ていきますと、 みんなそういうことをやっていることが解ってきました。 チョウチョの場合、 一回に産む卵の数は300個くらいです。 ギフチョウのようにバージンの雌に自分の精子を入れて貞操帯をはめてしまうと、 その300個の卵は全部自分の精子で受精されますから、 全部自分の血の繋がった子どもになるのです。
ところが放っておきますと、 また他の雄がきます。 他の雄が来ると、 たぶん雌はうんと言うでしょうから、 他の雄の精子が入るわけです。 そうすると、 どれくらいが自分の子どもか解らなくなります。 それは嫌だ。 300個の卵は全部自分の子どもにしたいというわけです。
トンボの場合もそうです。 やはり300個ぐらいの卵を産むのですが、 前の精子を残したままにしておくと、 どうなるか解りません。 だから、 全部捨ててしまってきれいにしてから交尾をし、 しかも徹底して連れて歩くのです。 これは300個の卵を全部自分と血の繋がった子孫にしたいからではないかという話になりました。
つまり種族の維持など誰も考えてはおらず、 自分の遺伝子を持った子孫をできるだけたくさん残したいと願っているのではないかと考えると、 動物たちの行動が良く解るのです。 では種族はどうなるかというと、 自分の子どもは大事にするわけですから、 確かに子どもは育つわけで、 結果的に種族も維持されていくことになります。
昔は種族維持が目的であると言われてきましたが、 目的は自分の子どもをつくることなのです。 その結果として種族も維持されます。 地球上の生物はみんなそうやって生きてきたのだと、 話が全く逆になりました。
企業の場合は市場戦略とか販売戦略とか、 そのためのいろんな戦略を立てますが、 動物たちは繁殖戦略を立てるわけです。 各々の種が雄も雌も繁殖戦略を立て、 一生懸命自分の血の繋がった子孫を残そうとするわけです。
こういう研究会では、 今は皆さんは座っていらっしゃいます。 でも、 懇親会になると、 だいたい男の人は女の人の所に行って、 どうでもいい話をするわけです。 あれはそういうふうにできているのです。 女の人はと言えば、 自分の方から歩く人はあんまりおらず、 だいたい一カ所にいます。 そこに雄が来る、 ということになっているのです。
雌は、 自分が産んだ子どもは絶対自分の子どもなんですが、 雄がいないと子どもは産めません。 しかし、 自分が産む子どもの数は決まっています。 先ほどのチョウチョやトンボならば300で、 1000個も産むことはありません。 猫ならば5匹で、 猫が100匹産むことは絶対にありません。 人間ならば普通は一人です。 双子を産む人もいますが、 それは男が二人いたからではなく、 全く別の原因で産まれるわけです。
雌が子どもを産むには雄が必要ですが、 産む子どもの数は雄の数で決まるわけではないのです。 また自分が産んだ子どもは絶対自分の子どもであるという強みがあります。
雄の方は、 どうもその辺は情けないところがあります。 自分の奥さんが産んだ子どもでも、 自分の子どもだという保証はありません。 ですから一般的に、 特に哺乳類の雄は子どもの世話をしたがりません。 というのも、 自分の子どもを増やしたければ、 自分の遺伝子を持っているかどうかわからない子どもにかまけているのはおかしいのです。 子どもを産ませたら別の雌を探しに行くのが、 正しい雄の姿です。
雌の方は、 産んだ子どもは確かに自分の子どもであるという強みがありますが、 逆にその子どもをきちんと育て上げないと自分の子孫は増えません。 だから、 一生懸命育てます。 殆どの動物において、 雌が子育てをすることになってしまうのは、 当然なのです。
雌の方は、 好みがあって、 だいたい丈夫な雄が好まれます。 その丈夫な雄は、 例えばクジャクの場合なら、 きれいな雄ということになります。 尾羽打ち枯らしたような雄は、 丈夫でないからそういう情けない格好をしているのです。 そんな雄がいくら羽を広げたところで、 雌は相手にしてくれません。 きれいな雄が来ると、 これは良さそうだというので、 その雄とつがいます。 次々に雌が来て、 その雄とつがっていくので、 そのきれいな雄はどんどん自分の子孫を残していく。 しかし情けない方の雄は、 雌が誰も来てくれないので、 ついに子孫を残さずに死んでいくわけです。 雄はすさまじい競争をやっているわけです。
変な行動の目的は?
自分の遺伝子を持った子孫を残す
では、 彼らは何を考えているのかということです。 猿の場合もライオンの場合も、 雄がハーレムを乗っ取った時、 雌たちは子どもを持っています。 これは自分の種族の子どもですが、 自分とは縁もゆかりもない他の男が産ませた子どもです。 自分とは血が繋がっていない。 そんなものを育てるのに、 自分が努力するなどあほらしい。 しかもその子どもを育てている間、 雌は絶対にうんと言わないわけですから、 雌をたくさん手に入れたのに、 雌に指一本触れられないわけです。 雄にすればこんな馬鹿なことはないわけです。 その雄も自分の子どもが欲しいわけですから、 どうしたらいいのかとなると、 子どもを殺すしかないと、 こういうことなんじゃないかということです。企業のシェア争いに似た子孫のシェア争い
そうするとこれは企業のシェア争いと同じことになります。 たとえばビール市場ならば、 ビール人口を一千万とすると、 その一千万のうちの何%がキリンを飲むか、 何%がアサヒを飲むかをめぐって、 企業が必死のシェア争いを展開しています。 一方、 動物たちは自分の子孫のシェア争いをやっています。 例えば草原にウサギが二十匹いたとすると、 そのウサギが思っていることは、 次の代にここに住むであろう二十匹のウサギの内の何%が自分の血の繋がった子孫でありうるかということなんです。 その比率をできるだけ高めたいと思っています。 だから企業の場合と全く変わりがないわけです。雄の戦略・雌の戦略
ところが雄と雌では、 その繁殖戦略が根本的に食い違っています。 つまり雄は自分で子どもを産みませんから、 雄が自分の血の繋がった子孫をできるだけたくさん残したいというのであれば、 基本的な戦略は、 できるだけたくさんの雌に迫って、 自分の子どもを産ませるようにすることです。 これはどんな動物でも同じで、 人間でも全く同じです。自然界におけるすさまじい競争
そういうわけですから、 雌は自分が子育てをするために、 なるべく良い条件をつくってくれる雄を一匹選びます。 雄は数で稼ごうと思っていますから、 雌だと見ると近寄っていきますが、 その時、 雌は適当にあしらいながらちゃんと見ていて、 良いのを選ぶわけです。 自然界ではみんなそうやっているのです。
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