環境共生型都市デザインの世界
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適者は多産である

ダーウィンの言ったこと

 そういったことが解ってくると、 話が「進化論」のチャールズ=ダーウィンと繋がってきました。 ダーウィンは『種の起源』という本で進化論を述べています。 『種の起源』はみなさんもご存じだと思いますが、 読んだ人は殆どいないんじゃないかと思います。 つまり名前は誰でも知っているが、 読まれたことは殆どないという幻の名著です。

 そこに書かれていることの骨子は「より良く適応した個体は、 より多くの子孫を残すだろう。 そうすると、 そういう特徴を持った個体がだんだん増えていくので、 種はだんだんその方向に変わっていくだろう。 そしてある時が来ると、 今までの種よりもより良く適応した新しい種ができるだろう。 このようにして生物は進化していく」ということです。

 これでは話が長ったらしいので、 ハーバート=スペンサーという気の短い人が「適者生存」という言葉を作りました。 この言葉も皆さんはご存じだと思いますが、 しかしこれはダーウィンの言った事とは少し違うのです。 ダーウィンは「適者が生き残る」とは言っていません。 「適者は多産である」と言ったのです。

 雄も雌も適者はたくさん子どもを産みます。 多産だからそういう子どもが増え、 種が変わっていくのです。 適者がただずっと生き残ったところで進化など起こりません。 そうすると子孫のシェア争いの話は、 まさにダーウィンが言ったことではないかということになりました。

動物は自分の適応度を高めるために生きている

 つまり、 より良く適応した個体はより多く子孫を残すだろうという言い方をしますと、 逆により多く子孫を残せた個体はそれだけより良く適応していたと定義付けすることができます。 結局、 雄でも雌でもその個体が自分の血の繋がった子孫をどれだけたくさん後代に残し得たかということで、 その個体の適応度(フィットネス)を定義しようということになりました。 これは30年くらい前に出来た新しい概念です。

 この言葉を使いますと、 動物たちは種族維持のためではなく、 それぞれの個体が自分自身の適応度をできるだけ増大させようとして、 一生懸命生きているということになります。 そしてその行動やメカニズムなど、 いろんなことが全てその個体の適応度を高めるように進化してきたと考えられるということになりました。 これは現在の動物行動学の基本的概念です。

 その結果、 種族という言葉は消えてしまいました。 また母性愛という言葉も消えました。 いろんな雌は、 自己犠牲的に子どもを可愛がっている。 それが母性愛だと思われていましたが、 その母親にしてみると、 自分の子どもを一生懸命育てないと、 自分の適応度が高まらないのです。 自分の適応度を高めたいから子どもを一生懸命育てているのであって、 子どもが可愛いからではないんだということになりました。

子どもを食べてしまう母猫

 猫を飼われた方はひょっとすると経験されて、 愕然とされたのではないかと思いますが、 次のようなことも起ります。 雌猫が子どもを産みます。 だいたい五匹くらい産むのですが、 そのうちの一匹が初めから小さくてひ弱であるということがあります。 そうするとその雌猫はひ弱な一匹に乳をやることを拒否します。 その子どもは乳が飲めないので、 二日もすると死んでしまうのです。 死んでしまうと、 その母親はその子どもを食ってしまいます。

 残酷なことをするなあと思いますが、 この時、 その母猫は乳という限りある資源を、 いかに効率的に子どもにやるかを考えているわけです。 五匹いるうちの一匹は先行きの見通しがないとすると、 これに投資することは無駄です。 ですからそれは拒否する。 そして残りの丈夫な四匹に投資するわけです。 しかも駄目だった一匹には、 そこまでするのにいくばくかのコストを掛けているわけですから、 それを取り返すために蛋白源として食ってしまうわけです。 それをまたミルクに変えて、 それを有効な子どもに投資するのです。

一夫多妻と一夫一妻

 ところで同じ種のなかでも雄同士が雌に気に入られるために一生懸命やっています。 これは見ていると可哀相なくらいです。 雄は本当に惨めなもので、 雌はそれを冷たーく選んでいます。 ただし、 人間の場合はちょっと違って一夫一妻という制度を取っています。 大抵の動物は一夫多妻です。 例えば先ほどのクジャクでも、 雌が雄を何羽か見て歩いて、 一番いいと思った雄の所に戻ってきてつがいます。 雌は一人で子どもを育てますから、 事が終れば行ってしまいます。 そうするとまた別の雌が来てつがえますから、 この雄の適応度はどんどん高まるわけです。

 ところが、 人間やいくつかの魚や狸は一夫一妻です。 一夫一妻になると、 妻の座ははっきり守られますが、 反対に困ったことも起きます。 それは一夫多妻の場合は、 雌はただただ良い雄を選んでいれば良く雄に拒否されることはなかったのに、 一夫一妻では雄も雌を選び始めることです。 雌は自分が選びながら、 自分も選ばれてしまうのです。

 だから自分が好きになったのに、 男が好きになってくれないという問題が起こってしまいます。 作家はそれをネタにして食っていますが、 クジャクでは多分小説は成り立たないでしょう。

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