増田先生から、 風景像を描いて土地利用をプランニングするという考え方があり得るというご発言がありましたが、 もう少し詳しくお願いします。
増田:
たとえば、 もともと臨海部は都市と大海との間の二次自然域だったという話をしましたが、 今は開発の結果、 都市が侵攻し、 自然と向き合い、 そこに防衛システムとしての防波堤ができています。 そのような人工島を造ってしまった今、 もう一度、 環境再生をしようとしています。 そのときに、 たとえば里山側の風景が臨海部に持ち込まれたりします。 しかし、 適材適所と考えると、 臨海部に里山型の風景があるのは変なのです。 もう一度、 もともと渚が持っていた地力に適合した必然的な風景が考えられるべきではないか。 そういう考え方はできないだろうかと思います。
あるいは今は、 都市づくりをしていくなかで、 本当の都市的エリアをつくっているのか、 田園的エリアなのか、 あるいは森林的エリアなのか、 森林エリアだとすればどんな森林像なんだということを考えずに、 ここは緑地保全地区ですよ、 という話になっています。
それに対して、 どんな林相の、 林床としてはどんな形の森林が風景として現れると気持ちがいいのかを考えると、 おのずと管理の形態や属すべきエリアの設定が決まってくるのではないでしょうか。 先ほど榊原先生が、 最適化ではなくて、 満足化、 満足評価という形でこれからの指標がつくれないかとおっしゃいましたが、 私の考えはそれに非常に近いかもしれません。
人間が感性で捉えてどういう環境像を描くのかが先行しながら、 そこでの土地利用なり施設整備のあり方へつなげていく。 そんなことを考えているということです。
風景像からの土地利用について
小西:
このページへのご意見はJUDIへ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai
学芸出版社ホームページへ