フロアからの質問に移る前に、 私の方から小林さんにひとつ質問させていただきたいと思います。
小林さんは「ものを作ることの意味をよく考えるべきだ」とおっしゃいましたが、 今、 我々は木の文化の精神に匹敵するものをどれくらい持っているのでしょうか。 小林さんのお眼鏡にかなうストックがあれば教えて下さい。
小林:
私、 この前インド゙に行ってタージ・マハールを見たんですが、 あまり美しさは感じなかったんです。 なぜなんだろうと考えたのですが、 タージ・マハールは死んだ王妃を偲んで王様が作った、 つまり肉欲が動機の建物なんですね。 その王妃は5番目のお后で14年間に15人の子供を産んで死にました。 王様は500人の妻を持っていたといいます。
王様自身は今のタージ・マハールの正面に黒で同じ建物を作るつもりだったんですが、 自分の子供に幽閉されてしまいました。 幽閉された部屋の窓からタージ・マハールを見て死ぬまで泣いて暮らし、 死後はタージ・マハールに埋葬されたということです。 タージ・マハールを作った職人はインドだけでなく、 トルコなどいろんな国から来て実に見事な芸術作品を作ったのですが、 これ以上美しいものが作れないようにと、 仕事が終わった後に両手を切られたという話を聞きました。
そんな話を聞きながらタージ・マハールを見ていると、 美しさよりも生物としての人間のすさまじさを感じてしまうのです。 美しさよりも執念としてのストックに見えてしまいます。
ストックというとたいていの場合モノなのですが、 気持ちがいいと感じるとき、 そこには生命力があります。 例えば、 田んぼほど美しいランドスケープはないと僕は思っています。 日本の場合、 別に伝統文化にこだわらなくても、 今の目で見て何に対して心が動かされるのかというチェックだけで十分だろうと思います。 自分の目をもっと鍛えて良いものを見て、 美味しいものをいっぱい食べることが、 美しさを把握する道になると思います。
やはりある世代が次の世代に残せるものは、 モノではなくて、 その意識だと思うんです。 中でも美意識として次の世代に伝えられるとすれば、 日本の風土が作り上げたものじゃないでしょうか。 雨の多さが作り出した自然や木の文化の美しさは、 日本独特のものです。 節目のないまっすぐの松は韓国にはありませんし、 すだれや障子も外国人にはできません。 日本独特の感性は私達みんなが持っているはずなのに、 今では違うものを追っかけてしまっています。 ですから、 まちづくりを考える時は、 あまり自分とかけ離れた変なものを追いかけずに、 今あるものを使い切ることから始めれば良いのです。 何に感動するかをみんなで探すことから始められたらと思っている次第です。
司会:
ありがとうございました。
何に感動するかがストックを残すことにつながる
司会:
このページへのご意見はJUDIへ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai
学芸出版社ホームページへ