都市開発は、 全体の経済収支の成功が確実でなければ進めてはいけないといった思想、 しかし、 この収支はいうまでもなく環境収支ではなかった。 むしろ環境のminusが経済収支を支えていた。 全体事業収支を立て、 都市の将来像を区割りしてつくる都市の全体の枠組みは明らかに虚構である。
我々の経験からすると、 いくら急いでも完成までに30年、 千里new-townでいえば漸く新都市の完成かと思えば、 すでにそこかしこでrenewalの必要が生じており、 完成を待たずに都市形成は次ぎのstepに踏み込んでいる。 New-townでも、 old-townでも、 都市づくりは常にendlessのprocessに挑戦しているのに、 “全体像と収支が明確にならなければ取りかかれない”という。
そして全体事業収支の成功への要求も変わらなければ、 何にも変わらない。
大規模開発の大規模とは結果の話である。 部分着手、 部分完成の思想、 そして技術と経験と情熱がつくるnew-townづくりに向けて、 叡智を結集していきたい。 私の書庫には宝塚新都市計画で関係してきた調査が息づいている。 そもそもJUDIに入会した理由は、 宝塚新都市で“環境共生都市”を造っていくために、 専門家との稠密なcontactを持つことの必要を感じたからであった。
地域開発は、 儲かるからやるものではない。 損をしてもやらなければならないことはやる、 その理屈の問題である。 Concept-orientedな地域開発、 そのconceptionによって新たな環境づくりへの技術革命の道が開かれると信じているのだが。
環境にやさしい大規模ニュータウン
宝塚新都市開発で考えること
兵庫県県土整備部まちづくり局都市計画課
難波 健
1 Bubble期の開発思想
“宝塚”といっても歌劇ではない。 “新都市”について、 今更garden-cityに始まると言われるnew-town開発史を述べる気はないが、 この新都市開発も他の多くの都市開発projectと同様にbubbleの流れに踊らされてきた感がある。
2 宝塚新都市計画の見直し
振り返ってみれば、 1989年、 新都市開発の基本構想への着手以来、 震災の95年まで宝塚新都市の計画に携わってきた。 この事業は、 震災で中断していたが、 今また事業の再開に向けた検討が行われていると聞く。 新しい計画は、 時代の変化、 地域の位置づけを考え再整理して提示されているが、 基礎的条件は変わらないし、 これまでの考え方をもう一度整理しなおしたspiral-thinkingの輪から出ることはないであろう。
3 “環境にやさしい”とは
(1) 創造に繋がる破壊:破壊という言葉の響きはおどろおどろしいが、 破壊がなければ新しいものはできない。 かといって、 破壊がすべて創造に繋がるわけではない。 地肌をめくって放置してもやがて草木は生える。 問題は破壊から創造への繋がりであろう。
(2) 全体でなく、 個々の積み上げ:全体像を計画することについては、 この際ある程度手抜きをしようではないか。 詳細に辻褄を合わせた全体像はやがて完膚無きまでに見直される運命なのだから。 問題は、 個々に手抜きをしていない緻密な計画が実行に移されるかどうかということである。
(3) 常に完成状態をつくる:全体計画の名のもとに、 長い長い間未完成の状況を続けることは、 環境にとって大きな負担である。 いつでも完成した状況にある建設途上の状況を大切にしたい。
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