意見交換
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我々兵庫県もガイドラインを考えてはいるのですが、 今の鳴海先生が紹介された事例はかなりダイナミックなガイドラインで、 それに比べると我々のガイドラインはスタティックで「こう決めたからこうやって下さいよ」的なものになりそうだという気がします。 ただ、 県として何をやろうとしているのか分かっていないところがあり、 その辺についてももっと議論ができたらと思っています。
小松原さんが報告した都市計画のあり方については、 法定都市計画と我々がやろうとしているまちづくりとはどうも別物のようだという議論があり、 いやどちらかが変われば変わる、 まちづくり都市計画が充実すれば都市計画も変わっていくだろうという議論があって、 先ほどの報告になったわけです。
佐藤さんからの報告は、 タイムリーな話題でした。 都市計画の制度改革について、 初めて聞かれた方にはかなりダイナミックに考えているのだなということが分かっていただけたかと思います。 ただ、 実際に都市計画が変わっていくかどうか。 鳴海先生のお話にあったように、 今の都市計画法が変わっていくと本当にまちが良くなっていくのかについては疑問です。
これから意見交換ですが、 我々都市計画の専門家は何を考えていけば良いのかを話し合ってみたいと思います。 まずこちらから指名します。 土井さん、 どうぞ。
今日のお話をうかがいながら思ったのですが、 都市計画法に基づく都市は、 工業製品に近いものがあると考えました。 なぜなら法律を通して都市を見るということは、 工場のようにある条件を設定して必ずある成果を出そうというものに近いからです。
しかし、 それにまちづくりを重ねていくと、 そうした工業製品を作る方法をずらしていく話になるように思います。 まちづくりと都市計画の関係はあいまいで、 重なったり離れたりするように思うのです。 小林郁雄さんによるとまちづくりは「動詞なんだよ。 地域の人たちが主体的に取り組む地域の改善運動なんだよ」ということで、 都市計画とは違うそうです。 やはり、 法定都市計画とまちづくりは違うのだなと、 今日の話を聞いて私もそう考えました。
都市計画である部分が対応できても全体を見ることができなかったというのも、 まちづくりが動詞、 つまり継続していく運動の部分を多く含んでいるからだと思います。 運動は状況によってどんどん変わっていきますが、 それが都市計画には見えなかったと言うことがあると思います。
それと、 佐藤さんが「都市計画が変わっていく潮流」と言われましたが、 時代そのものが変わっていると私は感じています。 以前でしたら都市問題は地価が上がれば解決すると考えられていましたが、 今のように地価が上がらないと都市は空洞化するばっかりで、 私が学生時代に習ったような「都市はそれぞれ機能分担して、 それを高速交通でつなぐ」というやり方が通じないし、 もはやそれは学生でさえ信じていないでしょう。 もう、 そんな時代ではなくて都市は混在の方がいいというのが主流になりつつあります。 そんな時代の声に都市計画が対応し切れてないという現状があると思います。
司会:
小林郁雄さんはまちづくりコンサルタントという新しい分野を世の中に認めさせたと思うのですが、 震災後に聞いた話では「基盤整備や防災については行政や専門家がやらないといけないはずなんで、 法定都市計画とまちづくりは明確に区別する必要がある。 しかし、 自分としては都市計画に期待していない」とおっしゃっていました。
では次に、 丸茂先生にご感想をお願いします。
全般的な感想としては、 日本の報告と鳴海先生が紹介されたイギリス・ドイツの話が対照的で面白くうかがいました。 しかし、 対照的に見えたけれど、 イギリス・ドイツの話は、 兵庫県が提唱している「人間サイズのまちづくり」を実践しているように思います。
最初の話の中で、 アンケート調査をして公共空地や学校教育について、 兵庫県は九つのテーマとしてガイドラインを出してこられました。 このガイドラインと現実の都市計画がどう関わってくるのかという整理が今後進んでいくと、 制度的なものと何を実現しようとしているのかが整合してくることになります。 それに期待したいと思います。
もうひとつ興味を持ったのは、 小松原さんが最初の方におっしゃった「今よりは良いまち」「今よりは悪くならないように」というスタンスです。 今後、 まちはどうなるのかと思いながらうかがいました。 特に今は都市化がほぼ終わっている時代ですから、 今後はそう大きな変化はないだろうという前提で考えたとき、 今あるまちをどう評価して次のステップへ行くのか。 小林さんの言う「継続的な改善運動としてのまちづくり」と重なる部分もあるとは思うのですが、 基本的に日本の法定都市計画は「今あるまちはだめだから変えていこう」という思想からスタートしていると思うんです。 ですから今あるまちを否定しつつも、 それに変わる良いまちのイメージが全然出てこないのが今の都市計画の状況だと考えています。
一方、 まちづくりという話から見ると、 今あるストックからどう出発するかというのが前提になっていると思います。 都市計画も、 今ある状況を許容しながら次につなげていく姿勢が必要ではないでしょうか。 たとえば、 ドイツでは基本的に今ある街並みを残すことを認めることからスタートしていますよね。 それを変えるならちゃんとした都市計画をしなさいという姿勢です。 日本でも、 今ある状態に都市計画を関連づけていかないと、 まちづくり都市計画は難しいと思います。
「今よりは良いまち」「今よりは悪くならないように」について少し私の思うところをお話しします。 私は都市計画の中の地区計画の実務担当として、 三田ニュータウン、 西神ニュータウンなど新しい地区での用途制限として、 建築規制を補完する形での地区計画に取り組んでいました。
しかし、 震災を機に既成市街地でも地区計画をかけて、 「今よりは良いまち」「今よりは悪くならないように」という地区計画の仕事が増えています。 その中でどうしてもしようがないのが、 既存不適格の問題です。 地区計画で既存不適格になったとき、 住民から「私の家は肩身が狭い」という声も聞きますが、 そういう中でどういう線を狙ってまちづくりをしていけばいいのか。 この場合、 都市計画という言葉よりまちづくりの方が適切だと思うのですが、 市の方でも悩んでいますし我々も悩んでいるところです。
司会:
丸茂先生のお話と一致する話なのですが、 北大の越澤明先生が「戦後の都市計画法は、 根幹的な都市構造がまだ出来ていない頃に制定され、 それから今の都市が出来てきたのだが、 それなりに都市が出来た今、 これからは場合によっては勝ち組、 負け組が出来るような都市計画が出てくるのじゃないか」とおっしゃっていました。
そのほか、 ご意見はございますか。
神戸で事務所を主宰しています。 仕事上、 都市計画と建築の接点でいつもジレンマを感じています。 まちづくりはいつも「ing」、 つまりプロセスとして考えなきゃいけないものですが、 都市計画は基本的に概念であり文法であると思うんです。 まちづくりはその文法を使ってどういう文章を書くのかという行為になると考えています。
実際にはいろんな計画制度があって、 文法を使うための手法がある。 それを駆使してまちを作っていくことになるのですが、 残念ながらその行為に住み手が参加する機会がありません。 また、 どういうまちを作りたいかと主体的に考えている住民も少ない。 だから、 プランナーとしては苦労するのです。 役所もそれに関連する人が少ないこともあって、 まちのビジョンを描くのは苦労の多い仕事です。
実際、 どういうまちを目指せばいいのか、 住民自身に分からないのが現実で、 この辺を行政がうまく誘導していけば、 まちづくりはもっと楽しいものになると思うのですが。 こういう制度があって、 基本となるまちはこんなもんだよと分かりやすく説明すれば、 法定都市計画ももっと明快に浸透していくと思います。 法定都市計画は上位のものとはいえ、 あくまで法律であり手段に過ぎないのですが、 どうもそれが目的だと誤解されることが多いように思います。
司会:
絵を描くことを行政に期待されているわけですね。
八木:
やはり手を動かして考えないと描けないでしょう? そういう作業が必要じゃないかと思うのですが。
司会:
住民の住む町をつくるときに、 県は直接住民と接しないわけです。 住民と接することなく、 まちのイメージを描けるのかということについては、 個人的には疑問に思うのですが。 行政がそのまちのイメージを描くことについて、 佐藤室長はどうお考えですか。
都市計画、 まちづくり、 都市計画法は確かに違います。 都市計画法はあくまで道具ですから、 使いこなしていただきたいと思います。 使いやすいよう、 都市計画法は法律の中でも多分、 特に最近一番多く改正がなされているのです。
よく都市計画がないとか良くないとか言われますが、 それは都市計画法の問題ではなく、 どういうまちにしたいかというビジョンの合意がないのが実態だと思っています。 ビジョンを作るためにも都市計画法をうまく使っていただきたい。 そのなかで法定手続きが必要になったら、 法定都市計画で決めていくというふうにすべきでしょう。
それと、 住民が作り上げるまちづくりに県は接していないとのご指摘がありましたが、 今「人間サイズのまちづくり」を進めていく上で難しいのは、 県の役割が不明確なことです。 まちづくりを直接進めるのは市町村ですが、 まちのイメージ図を描くのは市町村なのか県なのかすら不明なのです。
また、 まちづくり都市計画のガイドラインとは「こういうまちを作りなさい」という様式のものではなくて、 「みんなでまちを考えましょう」という視点を示すものです。 その一つがまちづくり基本条例で示した「安全・安心・魅力」の項目で整理したものです。 それぞれの項目の中にいろんな指標を作り、 その観点から見たまちのチェックポイントを作るのが今のところの県の仕事です。 市町村レベルでも住民レベルでも参考にして貰えればいいと思っています。
ただ、 県は直接住民と接していないので、 今後はもっとそうして接点を持った方がいいのかとは思っています。
司会:
住民と行政の関係で言うと、 住民が全員一致で「こうして欲しい」と要望を出せば行政は「はいはい」とそれに従えばよいのかという問題もあります。 しかし、 そのまま従うのではなくて、 基本的に守らねばならないルールがあるから「まちづくり都市計画標準」といった技術指針が出てくるのではないかと思います。 勢いや流れでやってしまった後に後悔しないよう、 チェックリスト的な形で緩やかな縛りをかけていくことも必要ではないかと考えています。 住民と行政の関わりの話ですが。
先ほどの小松原さんのコメントに付け加えたいことがあるのですが、 今の都市計画はあまりにも既存不適格を抱え込んでいるのではないかと僕は思っています。 つまり「今のまちは変わっていかないとダメだ」というのが、 今の都市計画の前提なんです。 しかし、 まちが変わっていくことを住民は余り信じてないわけで、 すでにそこにギャップがあるんです。 このマトリックスが歯の浮いたような感じになってしまうのも、 今ある町を出発点とする都市計画になってないからじゃないかという気がするんです。 先ほど「まちの絵が描けるか」という話がありましたが、 こういう状況では誰も絵が描けないだろうと思うのです。
今あるまちを出発点として、 そこから「ちょっとでも良くなる」という視点で考えてみるのなら描けると思います。
今の都市計画は、 接道不良などや既存不適格を解消するために全部建て替えて、 その上で将来この地区はどうなるのかを考えようとしているのですが、リアリティがない。 むしろ、制度的な保証もないまちづくりの方が、 運動としてのリアリティを持っているのは、それが今ある町を出発点にしているからではないでしょうか。 都市計画の改正については、 本当に既存不適格がなくなるぐらいの根本的な改正を期待してはいるのですが、 どうしてそっちの方向に行かないのかなと思っています。
明治以降、 日本のまちづくりは「今ある町はダメなんだ、 変わらなきゃ」の思想でずっと来ていて、 その方向転換がまだ出来ないという気がするのですが、 いかがなものでしょうか。
司会:
用途地域を引く場合、 既存不適格が出ないようにすると「何だ、 現状追認か」という話になってしまいます。 どうも土地利用を純化する計画でないと都市計画ではないとする風潮は確かにあるんです。 丸茂先生が言われたように密集市街地でもそこの良さを評価していくべきなのでしょうが、 なかなかそこまで目が向かないのが現実です。 それをやるためには、 かなり計画能力が必要とされるのでしょうが。
司会が言われた今の既存不適格問題ですが、 多分都市計画法を変えなくても出来ないことはありません。 純化しないで用途地域を現状追認にすれば、 不適格はなくなります。 しかし、 その場合、 例えば住居系の地域に指定しないで既存不適格が出ないようにすると、 自分の家の隣に望まない施設が来る可能性もあるのです。 だから、 「今よりも悪くならない」ためにも既存不適格があっても規制をかけなければいけないということなりますし、 この辺は市町村の担当者にとってはジレンマだろうと思います。
それと、 丸茂先生が言われた「日本の都市計画は今のまちを否定している」ということについてですが、 都市計画道路や公園は確かに白い紙の上に描くようなものでニュータウンはうまくできても、 既成市街地ではそれをどうやって持ってくればいいのかとは常に考えています。 ですから、 新市街地を作るというより今住んでいるところを良くしようと考えた場合、 まず公共空地をチェックしてみようということになり、 確かに公園は少ないけれど神社の境内がそれに価しているというふうに見ることもできます。 今までは形でしか都市計画を考えてきませんでしたが、 機能から見て満足できるかどうかのチェックポイントがつくれないかと考えています。
必要な条件が満たされていれば、 道路を500mメッシュで入れなきゃいけないとか、 250m歩いたところに都市公園がないといけないというこだわりがなくても、 いいまちは作れると思います。 ただ、 その視点なりチェックポイントなりをどうやってまとめるかについては、 今悩んでいるところです。
今、 指摘された弊害は日本の用途地域制を前提としているからです。 そうではなく、 私が言いたかったのは、 今ある現状に影響を及ぼさないのなら既得権として認めようということを前提に出発しようということです。
例えばドイツの既成市街地では今ある状態をルールとして、 今より悪くなる建設は許しませんという姿勢です。 全体的には現状を認めて、 もし現状を破るのならきちんとした計画(地区詳細計画)がなければ認めないというのがドイツです。 このやり方が最善かどうかは別として、 非常に現実的であり、 今あるものはストックとして認めるということです。
司会:
今のお話は、 鳴海先生のお話にもあったいかにもアメリカが嫌いなヨーロッパ人の典型のようなやり方ですね。 日本人はきっとアメリカ型を選んで都市計画をやってきたという経緯があるのだと思います。
最近、 都市計画やまちづくりを勉強しているのですが、 都市の主役は誰かといえば、 やはり住む人だと思います。 住む人が暮らしやすいようにするのが究極のやり方だと思うし、 それを考えると個人のライフスタイルや行動を積み重ねて社会になるのですが、 今の都市計画にはその方面からの視点やアプローチがあまり感じられません。 私のようなサラリーマンや主婦の生活を積み重ねると、 どんなまちができあがるのかというお話を聞きたいと思うのですが。
そういう話がまさに、 先ほど小松原さんがおっしゃったジレンマに関わる部分だと思います。 従来の法定都市計画や制度が生活者の視点を持っていなかったから、 これからは土地・施設計画や環境計画、 地域計画からなる都市基本計画の中で組み替えていきたいということでしょう。
ただ問題は、 法定都市計画とまちづくり都市計画の役割分担です。 法定計画ができるのは私権の制限であり、 だから最小限のことしか言えない。 都市計画法のボキャブラリーがあまりに貧弱であるが故に、 サラリーマンや主婦など一般のニーズに合わないものですから、 それを合わせるためにまちづくり都市計画の枠の中にガイドラインという形で都市計画のボキャブラリーを入れていこうということだと思います。
住民に絵が描けるのかという課題が出ましたが、 丸茂先生がおっしゃったように「今あるまちが基準である」とすれば、 住民もものが言えるし、 絵を描くことが出来るだろうと思うのです。 ところが、 今のまちを否定してしまうと、 住民は何を言っていいか分からなくなるでしょう。
そこで、 僕が言いたいことなんですが、 今回の法改正の中には中心市街地を対象としているところでは目標なり、 ベースになるものがあるのですが、 都市の郊外については何を基準としているのか、 何を目標としているのかが分かりません。 都市の郊外がどうなるのかを心配しています。 都市の郊外に対する理想像は、 誰も持っていないのではないかと思われるのですが。
都市計画法は道具ですから、 どんなに改正しても「こんなまちを作れ」ということは都市計画法には多分入ってこないだろうと思うのです。 目標や理想像は市町村のマスタープランで表わされるべきだろうと思います。
郊外部について言えば、 国が理想を示して自治体がそれに合わせて都市計画法を運用するという形ではなくて、 理想像も含めて自治体が作りそれに必要な道具として都市計画法を使うという形が本来の姿だろうと思います。
ただ、 各市町村が明確な理想像があるかどうかが次に問題です。 長期計画がありますので理想像がないことはないのですが、 ないと思っている人が多いので都市計画法がうまく使えない状況ではないかと思うのですが。
郊外部の土地利用規制についてですが、 兵庫県では建設省の法改正に先立って5年以上前に、 「緑豊かな地域環境の形成に関する条例」(通称:みどり条例)を施行しています。 これは、 すでに丹波地域、 淡路地域で施行されていますが、 目的は今までの都市計画法の規制が及ばない地域の土地利用をいかに誘導していくかということです。 法改正の問題意識と似ていることもあり、 法律が条例に追随してきたなと担当者としては誇らしい感じもしています。
今回の法改正が条例と大きく違う点は、 やはり都市計画法の中なので建ぺい率や容積率や用途制限で規制をかけていることです。 兵庫県の条例の場合は、 当時丹波の人たちにアンケートなどで意見を聞いて「郡部の雰囲気にあった開発なら良い」としました。 雰囲気を壊す開発、 例えば山肌を崩していくようならば工場でも住宅でもダメだということです。 この時は横浜国大の三辺先生に教えていただいて、 許可とか規制ではなく開発業者と行政が協議して決めましょうという制度にしています。
司会:
中央審の答申のII(5)に「都市計画区域外」の項目がありますが、 例えば区域外にインターチェンジが出来て周辺にいろんなものが建ってくるような場合、 一定の規制が必要だという論調がありました。 兵庫県の条例も参考にしています。 やはり、 郊外の規制は必要だったということでしょう。
緑地のことをやっています。 今のお話の「非線引き緑地」についてうかがいます。 5年ほど前、 仕事で生産緑地をどう指定していくか、 どう買い取るかでずいぶん揉めたことがあります。 都市計画区域内と区域外の近郊緑地の問題と絡んで論議になったわけですが、 失敗すると緑地はどんどん減っていくという危惧は抱いています。 そのへんは、 いかがなものでしょう。
司会:
生産緑地法で言う生産緑地は、 兵庫県でしたら神戸と阪神間だけのことになり、 若干転用されていますがまだまだ営農している場所は残っています。 今回の法改正は風致地区をきめ細かくやる話で、 制度的に位置づけられる緑地を作っていくということになると思います。
都市計画法の下で作っていく緑地は風致地区や緑地保全地区をかけたり公園に計画決定したりして、 底地まで担保したような緑地をイメージしているのです。
しかし、 住民がまちづくりの中で「ここの緑地は残そう」と協定を結んでも、 固定資産税を免除するなどの制度は都市計画の中では多分イメージされてないと思います。 なぜかというと、 基本的に公共は住民が緑地協定を結び、 後々緑地の維持管理をしていくということを信じてないからです。 住民はいつ気が変わるか分からない。 密集市街地の中の道路も同様で、 住民が納得して作った道路でも市は絶対管理してくれないのです。 やはり底地まで公共が持って公共の管理者が責任を持つという方針なんです。
買収しないで道路や緑地を作ったり管理する手法を作っていったとき、 まちづくりはかなり有効になってきて、 最終的には都市計画像とまちづくりが一致するのかとも思います。 それがまちづくり都市計画におけるまちづくりかなという気はするのですが。
さて千葉さん、 作る方の立場から何かご意見はありますでしょうか。
兵庫県の都市計画課が「まちづくり部」という名前に変わりました。 組織の名前を都市住宅からまちづくりに変えたのはなぜなのかをお聞きしようと思っていたところです。 今の流行で「まちづくり」にした方が受けがいいと思ったのか、 それとも都市計画や住宅計画をもっと生活に近づけようというイメージがあってのことか。 ともあれ、 「まちづくり」を正式名称にするのは行政の中では珍しいことだと思います。 いろんな議論があったと思いますが、 その中にいろんなヒントがあるように思います。
ところで私は再開発的な仕事をしておりますが、 ご存じの通り都市計画事業は一度決めると最後までやり通すのが原則です。 今それが問題となっているのは、 昔のように強制的に権力で押し通していくことが出来なくなっているからです。 なかなか計画通りに事業が進まない時代です。 それを解決するための乱暴な意見として、 もっと私権の制限をして一度にやってしまえる都市計画にしてしまえという案も出ており、 我々も現場で腹が立つときなど、 ついそうだそうだと賛成したくなるのですが、 冷静に考えるとやはりそれは極論でしかありません。
都市計画の中でもっと考えていかねばならないことが捨象されているから、 住民の反対にあうのではなかろうかと思うのです。 ですからやはり住民参加が大事だとは思うのですが、 都市計画は一度決めたら変えられないという性格が難点です。 都市計画的な事業でやらないと出来ないこと以外は、 そうではなくても出来る事業(任意事業)でやれば良いのかもしれませんが、 任意事業だと担保性がないのでやってみなければ分からないという面があります。 反対に都市計画で決めさえすれば最後まで出来るという面があり、 我々は都市計画的な担保性を借りながらも任意事業でできるだけのことをやっていきたいと思っています。
ただ任意事業だと、 あまり前が見えないという事もあって、 都市計画が持つ法的な強制力を借りたいなとつい思ってしまうこともたびたびです。 ですから、 今日のお話の「人間サイズのまちづくり」や「まちづくり都市計画」は、 都市計画事業と任意事業の中間のような話だと思いながら聞いていました。 生活に密着したまちづくりをぜひ実現して欲しいと思っています。
司会:
まちづくり部が出来たのは実は上から下りてきた話で、 そんなに議論はなかったんです。 もともと土木部の中に建築部があって、 そこから都市住宅部に分かれたんです。 まちづくり基本条例ができたことで、 福祉も含めたまちづくり部ができました。 ご存知かもしれませんが、 まちづくり部は1年で消えまして、 来年は県土整備部になって、 また土木と一緒になります。
先ほど鳴海先生が紹介したマンチェスターの話は、 私にはとても新鮮でした。 デザインガイド10の原則は、 ほとんど街路や道路に関する話ですよね。 道路の機能は交通機能や空間機能であったりしますが、 もっとそれ以外のいろんな機能があると真剣に取り組んでデザインガイドを生み出したことに驚きを感じました。 どうしてあれだけ道路に集中できたのだろうとも思いました。
というのも、 都市計画やまちづくりには未知数が多くて、 方程式の作りようがないんです。 マンチェスターでもいろんな議論を経て、 道路に集中することになったんだろうと思いますが、 そのプロセスをお話しいただければ参考にしたいと思います。
司会:
では、 その質問の答とまとめも含めて、 最後に鳴海先生にコメントをお願いいたします。
簡単には説明できないのですが、 丸茂先生がおっしゃった話と似ているところがあります。 世界中のまちは街路ネットワークでできています。 いいまちと言われる世界的な観光名所になっているまちは、 たいてい良い街路ネットワークで出来ていて、 我々が観光に行っても楽しめます。 そうした街路の良さを認めようということがマンチェスターのまちづくりの出発点になっています。 もちろん、 交通屋さんとはずいぶん対立しましたが、 そのケンカを乗り越えていく過程も本には紹介されています。 「交通のみならず様々なアクティビティがマジックのようにストリートにあり、 その原則を尊重することがまちの姿に影響する」という論調です。
今日は2000年の第2回目のセミナーとして、 兵庫県が推進しているまちづくりについて担当のお三方から有意義なお話をうかがいました。 先ほどの難波さんのお話だと、 まちづくり部は1年間のみの命で来年は別の名前になってしまうそうですが、 お仕事への関心は変わらないようなので安心しました。 みなさん、 今日はどうもありがとうございました。
これからの都市計画はどうなるのか
司会(難波健):
今の都市計画法は工業製品を作るみたいだ
土井(千里国際事業財団):
なぜ「今あるまち」を前提としないのか
丸茂:
既存不適格をどうするか
小松原:
都市計画と建築の接点でいつもジレンマ
八木:
都市計画、 まちづくり、 都市計画法と県の役割
佐藤:
都市計画は何故「今のまち」から出発しないのか
丸茂:
現状追認では今より悪くなることも
佐藤:
用途地域制から発想していてはダメだ
丸茂:
生活を反映させるまちづくりはできるのか
会場より(関西電力の人):
都市郊外の理想像を誰も持っていない
角野(武庫川女子大学):
本来、 理想像は法ではなく自治体が作るものだが
佐藤:
兵庫県の場合…みどり条例の運用
小松原:
都市の緑地の担保−住民と公共の落差
堀井(会場から):
都市計画事業と任意事業を使い分ける
千葉桂司(住・都公団):
なぜマンチェスターは道路問題に集中できたか
土井:
いいまちは常に街路ネットワークがある
鳴海:
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