いままでの都市計画とまちづくり都市計画兵庫県都市計画課 小松原祐二 |
しかし、 専門家の間では、 都市計画は「都市というスケールの地域を対象とし、 将来の目標に従って、 経済的、 社会的活動を安全に、 快適に、 能率的に遂行せしめるために、 おのおの要求される空間を平面的、 立体的に調整して、 土地の利用と施設の配置と規模を想定し、 これらを独自の論理によって組成し、 その実現をはかる技術である。 (「都市計画」日笠端S52)」というような、 物的計画に限定されたものとされるが、 同書のなかでも「わが国では都市計画というと、 街路・公園・上下水道などの都市施設の建設事業と考えられてきた。 しかし、 都市計画は単なる建設技術や工学であってはならない」と喝破されているように、 単なる施設の建設計画ではない。
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第2章では整備・開発・保全の方針、 線引き、 地域地区、 都市施設、 市街地開発事業、 地区計画等、 都市計画基準などの内容と定めるべき事項等及び都市計画を決定する者、 案の縦覧等、 告示などの計画を決定する際の手続き等についての規定が記載されている。 従って、 これらの内容で、 このような手続きに従って定められた計画が、 法にいう「都市計画」である。 このうち、 整開保には都市基本計画のような機能を持たせることができるが、 その他については都市の環境形成の全てを目的とするものではない。 なお、 この計画(法定都市計画)を定めることが「都市計画決定」である。
なお、 法定都市計画の構成は都市基本計画の構成のうち1(2)アに示した土地・施設計画の体系によっていることは明らかである。
「財産権はこれを侵してはならない。 財産権の内容は、 公共の福祉に適合するように、 法律でこれを定める」という憲法29条の規定により、 我が国では公共の福祉に適合する範囲でのみ私権を制限できることとなっており、 法定都市計画による制限もその例外ではない。 「公共の福祉」の範囲についての感じ方は時代によりまた人により異なるであろうが、 少なくとも都市基本計画に定められていること(定めるべきこと)の全てについて私権の制限を可とするまでの国民的な合意は得られていない。 (整開保については、 法定都市計画であるが都市基本計画と同様に私権の制限は伴わない。 以降、 私権の制限を伴うもののみ法定都市計画という)。
ともあれ、 私権の制限を伴うが故に、 法定都市計画の内容はある範囲―公共の福祉のために個人の権利を制限してもやむを得ないと大多数の国民が認める部分―に限定されざるを得ないこととなる。
また、 国による補助金交付や税制優遇措置等のなかにも都市計画決定が条件となるものも多い。 これも都市計画決定=公共の福祉に資する、 という図式から導かれるものである。
しかし、 くり返しになるが、 法定都市計画は私権の制限を可とする内容に限定されるため、 都市の環境形成全般について規定する都市基本計画と同じものには成り得ない。 このような関係をイメージ化したものが、 次の図6である。
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都市計画法の条文上は、 特別用途地区や地区計画等を用いることにより、 上記のようなずれは生じないような定め方をすることは可能である。 しかし、 これはあくまで「条文上は」という条件付きの前提であり、 実際には「そのような定め=私権の制限が、 公共の福祉の名の下に許容されるか」という問いに耐えられるものばかりとは限らない。 もちろん都市基本計画全体は、 公共の福祉、 理想を追求して作成されるものであるが、 それを個のレベル、 計画のパーツのレベルで見たときには、 全てが私権の制限につながるものとは見なされていない。
(3)については、 前述のように法定都市計画によるところが大きい。 都市基本計画で地域の特色を出しても、 それを大きな実効性が期待できる法定都市計画に落とし込む段階でほぼ全国一律に同じようなものとなるのであるから、 その結果としてのまちの姿もほぼ全国一律になる。 これも見方を変えれば都市計画法の成果である。
もちろん、 この概念は単に土地利用や都市施設のような物的なものに限らず、 経済や行財政など都市の活動をめぐるすべてに適用されるべきものであるが、 直接には物的なもの、 すなわち都市基本計画に大きく影響を与えるものとなる。 都市基本計画に人間サイズのまちづくりの概念を組み込んで変更したものを、 「まちづくり都市計画」という。
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一方、 図7(b)は、 法定都市計画にかかわる基本計画の部分は従来どおりの考え方により策定し(=変更しないで)、 それ以外の部分―私権の制限をするほどの公共の福祉は見いだせない部分―のみ人間サイズで見直しをする場合であり、 当然法定都市計画の変更の必要はない。 いままで法定都市計画をそのまま都市基本計画として施策展開をしていたが、 この度の人間サイズを契機に法定以外の計画を策定するような場合も、 このケースに含まれるだろう。
そのような成熟社会におけるまちづくりの考え方を一言で表したものが「人間サイズのまちづくり」である。 まちづくりをリードしていくべき都市計画としては、 今後、 それに人間サイズのまちづくりの概念を組み込んだもので施策展開して行くべきであることは自明である。
近く法定都市計画も国の管理下から一応は離れ、 県、 市町独自のものとなる。 従来は国からの通達と県の都市計画審議会のしばりによって実質的には全国一律の定め方しかできなかったものが、 自らの考えと自らの手で決めることができるようになるのである。 このような時期に新たな都市計画の考え方が芽生えたことは、 幸運である。 新しい考え方のもとで、 公共の福祉=私権の制限についてきっちり議論し、 成熟社会における都市計画決定のあり方を市町に示し、 また自らも実行することが県に求められている役割である。
仮に、 議論の結果、 まちづくり都市計画の実現を図るための私権の制限は難しい―制限してまでも実現を図るべきものとの県民的な合意は時期尚早―という結論になれば、 どうするのだろうか。 先の右図のように、 その部分のみ現在の法定都市計画の考えに則って(まちづくり都市計画の考えを離れて)私権の制限をかけていくのだろうか。 そうではないと思う。
実現を図る手段は制限だけではない。 補助金等による誘導、 行政の直接事業等いくつかの手だてはある。 敢えて意に添わない内容の制限をかける必要はないだろう。 なにより、 そもそもまちづくりは権力の担保のもとで強制的に行われるべきものであろうか。 権力に担保され、 強制的に創り出された「人間サイズのまち」が果たして人々の生活の場となり得るのだろうか、 ということを考えてみるべきである。