倉敷の仕事〜浦辺建築事務所時代
実を言うと、 この頃私がやりたかったのはこんな事ではなくて、 もっとモダンでインターナショナルな建物のデザインでした。 でも所属していた事務所は、 建築家の浦辺鎮太郎が倉敷出身の建築家で、 倉敷という地域に根ざした建物をつくることをポリシーとしていた人でしたので、 私もどういうわけかこうした古い建物の保存に情熱を傾ける羽目になったわけです。 で、 やっているうちに個々の建物だけでなく、 街のあり方そのものも考えるようになってきたのです。 建築家は自分のナルシズムにひたってやっていくものではなく、 非常に社会的な存在だと思いました。
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