都市環境デザインを目指す若者集まれ
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ガーデンシティ構想とは

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シンガポールの地図
改行マークシンガポールの地図です。 シンガポールは赤道直下に位置し、 大阪からは飛行機で6時間ほど飛んだところです。 日本からも大勢の観光客が訪れていますが、 年間800〜1千万人ほどの観光客を受け入れています。 ご存知のようにとても小さな国で、 面積にすると淡路島ぐらいしかありません。 広さは南北約23km弱、 東西約42kmぐらいで、 マレー半島の一番南にある島国です。 マレーシアとはジョホール水道で区切られています。

改行マークシンガポール独立の経緯を少しお話しすると、 1965年にマレーシアから切り離されるような形で独立国になったのです。 当時は民族同士の衝突もありましたから、 資源のないシンガポールは多分沈没してしまうだろうと言われていたようです。

改行マーク私が行った1983年は、 第2期のガーデンシティ政策が進められていました。 質の時代を作り出すことが重要視されていた頃です。

改行マークシンガポールでは計画法に基づき5年ごとにマスタープランを見直しています。 また日本にも土地収用法がありますが、 それと同じ法律がシンガポールにもあって、 公共のプランを作ってはそのプランにのっとって公共の土地を収用し国造りを行なっています。 ですから、 都市計画が国の根幹になっており、 経済政策との連携として都市計画を重要視しています。

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マングローブの林
改行マークシンガポールの近代化の前は、 このようにマングローブの林が国全体を覆っていました。

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植民地時代の建物
改行マークイギリスの植民地時代の典型的な建物です。 非常に暑い国で、 年間を通して20℃を下回ることがなく湿度も高いものですから、 半オープンの廊下のある建物が多く作られました。 今でも一部残っていて、 これは国立教育大学のホールとして使われています。

改行マークそんな気候条件で、 なおかつ資源もないところから国造りをスタートさせるため、 物流、 人の流れの海港とハブ空港の整備、 国際通信への参加と基幹施設整備を徹底し、 国力の源泉としての国民のための公共住宅建設を柱として国づくりをはじめました。 それと同時に、 国づくりの具体的なマスタープランとしてのガーデンシティー構想の立案と実施プログラムを実践しました。 このガーデンシティー構想の実践が現在のシンガポールの成功の隠されたキィー政策であったことは、 殆ど知られていません。

改行マーク独立前の庶民の住宅は、 ほとんどがトタン葺きで衛生状態も良くない状態でした。 それを、 初期のリーダーであるリー・クワンユー氏がこの国をなんとかしようと、 ルール作りと都市計画で現在の状態にまで立ち上げたわけです。 それと私のようなランドスケープ・アーキテクトが初期よりガーデンシティーの国づくりに貢献してきました。

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ガーデンシティ(住宅公団パンフより)
改行マーク35年後に実現したガーデンシティです。 緑の大地の中に高層住宅を作っています。 高層住宅にしたことで、 その分緑のオープンスペースを確保することができました。 狭い国土に300万人という高密度な国ですから、 国策として高層にせざるを得なかったわけです。 非常に現実主義的な路線をとる国です。 そのおかげで、 国民は広々とした緑の空間を共有できるようになりました。

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21世紀のシンガポールプラン(URAパンフより)
改行マーク都市計画を非常に重要であると考え、 極めてシビアに計画を策定し実施している国です。 限られた国土のどこかで日夜埋め立てが行なわれています。 これは、 1991年に作られた「21世紀のシンガポールプラン」です。 各省庁が21世紀にシンガポールはどうあるべきかを検討し、 報告書としてまとめあげたもので、 農地はもちろん、 すべての土地を含めた都市計画マスタープランです。 人口は400万人を目指しています。

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