私は建築デザインの大学院を出て、 今は某駅前再開発のまちづくりをやっております。 ワークショップを中心にやっていると、 ビジョンをみんなで形成するなど、 文章までは非常にうまくいっても、 いざ実施設計になると、 こういうものが建ってしまうのかという事例が非常に多いようです。 現在はまだワークショップをやっている段階なので、 非常にいいムードなのですが、 それを自分で基本設計・実施設計までやるならともかく、 もし外部設計になった時に、 今まで2年、 3年かかって積み上げてきたものを繋げていけるのか。 実際に建築とまちづくりを両方ご経験された堀口さんはどのようにお考えですか。
堀口:
先ほど景観復興の話をいたしましたが、 結局、 空間像を共有してもらうわけです。 言葉の上では住民の人たちと計画する人が同じアイデアを共有するかもしれない。 ところが実際に図面を描いてみると、 こんなものかと。 結局空間像は共有出来ていなかったわけですね、 そういう例は。
物的な、 あるいは目で見える空間の共有、 あるいはそのイメージを共有するというのは、 非常に重要なことなんです。 先ほどワークショップの写真を見せましたが、 あそこでは模型をつくっていました。 少なくとも模型でボリュームくらいは把握してもらうということも必要です。
建築の実務をやっている人でも、 自分が設計図書にしたものと出来上がってくるものとのイメージギャップが少なくなって、 思うようなものが出来るようになるまでには、 何年もかかるものです。 ですから当然、 住民の方は絵だけ見せられても、 そのイメージギャップは埋まらないし、 模型をつくってもそうは縮まらないものです。 そういう意味では結局、 手を変え品を変えして、 出てくる空間のイメージを共有してもらうという努力をするしかないわけです。 それにはワークショップ以外に、 見学に行ったり、 実際にそのスケールで歩いてもらったりといった方法もあります。 これはもう、 努力するしかないのではないかという気がしますが、 上杉さんはいかがですか。
上杉:
平たく言いますと、 実際には理論と現実はなかなか合致しないと思います。 僕自身、 ワークショップは他のところでやっているんですが、 どちらかというと住民を納得させるためにやっているものなので、 最後は誰かがエイヤッとやらないと良いものは出来ないのではないかと思います。 私も何十年もやっているわけではないんですが、 最近は合意を求めていては良いものが出来ないのではないかとも感じています。
要するに本当に力のある誰かが「これが答えだ」というのを、 まずやってみせる。 そこに良心があるのか、 単なるデザイナーなのか、 野心家なのかによって、 出てくる答えは全く違うわけですが…。 ワークショップというのは、 皆さんが参加しましたよという雰囲気を見せるための手段だと割り切らないと出来ないのではないかと思うんです。
堀口:
少し補足させていただきますと、 ワークショップについては、 うちの会社の中でもいろいろ議論のあるところです。 ワークショップを通じて相手に理解してもらえることには、 限界があるということなんです。 要するに専門家には何年もかかって習熟したものがあるわけですが、 その技術なり感覚を100%相手に伝えることは出来ないんです。 そういう意味では、 一定の限界があるということは事実です。
ですからアリバイ証明的に納得してもらうということもあるし、 できるだけイメージギャップを少なくして、 後でこんなはずではなかったと言われたくないということもあると思います。 しかし、 どう頑張っても短期間で専門家と同じ領域に達していただくことは、 できないとは思います。 専門技能が高くなればなるほど、 その難しさが出てくるのではないでしょうか。
ワークショップの理論と現実
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