今回は今年の2月に出版された「にぎわいを呼ぶイタリアのまちづくり」から、 特に都市景観規制と商業政策をテーマにお話いただきたいと思います。
では宜しくお願い致します。
宗田好史:
まず、 「なぜイタリアか」というところからお話したいと思います。
1970年代に、 私は法政大学で陣内秀信先生や河原一郎先生の研究室にいました。 留学を考え、 実はアメリカとかフランスとかドイツにいきたかったのです。 しかし、 どちらも人気が高く、 試験が難しい。 そこで、 奨学金が一番取りやすかったイタリアに行くことにしたのです。
当時、 建築でイタリアに留学するのは「歴史」か「設計」が主流でした。 私もどちらにしようかといろいろ考えたのですが、 どうも設計の才能はない。 では歴史を選ぼうかと思ったのです。 恩師の陣内先生は、 建築史を乗り越えて、 都市史という新しい分野に取り組んでおられました。 だから私も都市史がいいなと思っていたら、 先生に止められました。 きっとこれも才能がなかったのでしょう。 でも先生は優しく、 「こんな誰も知らない学問をやっても、 将来就職できないからやめといたほうがいい。 君は都市の保存をやりなさい」と言ってくれました。
当時の日本は、 1975年に文化財保護法が改正され伝統的建造物群保存地区(伝建地区)ができ、 全国で町並み保存運動が高まってきた頃でした。 町並み調査報告書の名作が各大学の研究室から発表されていたじきです。 修景手法についても実績が上がってはいたのですが、 「保存」の世界がどう広がって行くか、 まだまだわかりませんでした。 しかし、 その分野の専門家が足りないことは明白でした。 この分野は必ず広がって行くから飯の種には困らないだろうと、 お薦めいただいたのです。
考えてみるとその程度の不純な動機で、 この保存の世界に入ったわけです。
私は、 イコモス(ICOMOS:国際記念物遺跡会議)というユネスコの世界文化遺産に関係するNGOに関わり、 「文化財保存」の中でも「世界遺産の保護と観光」というテーマで日本の代表委員を務めています。 東京国立文化財研究所の客員でもありますので、 狭い意味での文化財保存の仕事にも関わっています。 しかし、 今日お話しするのはそうした保存ではありません。 都市政策としての「保存」です。
私がイタリアに留学した当時、 先ほど申しましたように日本でも文化財としての伝建地区というところまでは広がっていましたが、 それは「建造物の保存」から「伝統的建造物群」の保存、 いわゆる「町並み」まで広がっただけでした。 言い換えれば、 保存はまちづくり・都市計画とはまだ結びついていませんでした。
もちろん「保存」は、 まちづくりの一つの核やスタートポイントになるかもしれないと認識されていましたが、 それを都市政策としてどうとらえていったらいいかという事は、 まだわかっていなかったのです。
ところで、 『にぎわいを呼ぶイタリアのまちづくり』を稲垣栄三先生(東大名誉教授)にお送りしたところ、 大変ありがたいお手紙をいただきました。 この本はサブタイトルに商業政策としていますが、 先生は「歴史的景観と商業とを結び付けて考える発想そのものが、 いまの日本にとっては新鮮な驚きであり、 インパクトの強い提案だと思いました」といって下さいました。 「都心部の歴史的景観を維持することが街の活気の再生にとって重要な手掛かりになること、 また逆に、 零細な商業や職人の生活を街の中に取り込むことが歴史的遺産の存続にも役立つことは、 日本でも理屈の上では理解されてはいます。 しかし、 日本の場合、 この両者は容易に結びつかない異質の世界を形成していて、 いくつもの足枷があることはご承知の通りです。 」また、 「日本にとって今後の展望をどう描くかということと、 一歩前進のための決断をどこでするかということが、 いま問われているように思います。 」というお言葉をいただきました。
実はご指摘いただいてから分かったのですが、 まさにそれが私の言いたかった事です。 20年前にイタリアに行ってみたら「保存」が「建築文化財保存」ではなく、 本当に「都市政策としての保存」だったということ、 それを発見できたということが、 イタリアのまちづくり、 都市計画を勉強した最大の利点ではないかと思います。
そうした人がある一方、 今朝電話してきたヴェネツィア建築大学の人は「文化財保存」には関心がなく「都市の保存」に関心があると言います。 これをヴェネツィア的な表現をすると「マイナー建築=【アルキテットゥーレ・ミノーリ(Aarchitetture Minori)】」と言います。
この「マイナー建築」という言葉は、 かつてのヴェネツィア建築大学教授トリンカナート女史(E.Trincanato)が、 1948年に書かれた『ヴェネツィアの小建築』(Venezia Minore)から来ています。 それまであまり注目されなかったバナキュラーな民家(あるいは町家)など、 ヴェネツィアの小さな建物を扱った最初の本です。
その後、 バナキュラーな建築研究は、 世界的な広がっていきました。 今では、 大規模建造物の建築史よりも、 むしろマイナーな民家の歴史の方が広く研究の対象とされるようになりました。
その事とも関係するわけですが、 「文化財建造物」を保護する事と、 そういう「マイナー建築」あるいはバナキュラーな建築の集合体である「都市」を保存する事は、 仕組みが違うのです。 そして、 イタリア人たちはこの部分をよく整理しています。
何が違うかというと、 まず数が違います。 ローマを例に取ると、 その歴史的市街地は約3700haあり、 その中に文化財建造物に指定されているものが約400あります。 京都市の場合は国宝と重要文化財に登録文化財を加えた国の文化財建造物は291あります。 それに府市の指定と登録文化財建造物を加えて、 現在(2000年6月末)総合計411にも達します。 しかし、 そのほとんどは周辺部の社寺仏閣で、 町家の指定は20件しかありません。 ローマの場合はバチカン市国所有の教会を除いているので、 街中の普通のパラッツォ(貴族の邸宅だった建築物)を中心に数えてもそれだけあるわけですから、 かなりの数とは言えます。
ただ、 それ以外にローマの歴史的市街地には大雑把に数えて、 約4000の古い建物があります。 実は、 この4000のマイナー歴史的建造物を守るという事が「都市の保存」なのです。
もちろん、 ご存知の通り文化財建造物は必ずしも国が所有しているとは限りませんので、 所有者の権利を侵さずにそれを保存しなければなりません。
例えば京都の冷泉家を修復するのに2億円かかったわけですが、 およそ1割は冷泉家が、 残りの半分を国が、 後2割ずつ京都市と京都府が払うという仕組みで動いています。 それと同じ割合がイタリアでもとられています。 7〜8割という補助金が国から出るわけですが、 自治体負担も大変な金額ですし、 膨大な数の建造物があるわけですから、 すぐお金が足りなくなります。
では、 文化財に指定されていない残り4000余の建造物の保存について一体どういう手法があるかというと、 これはもう民間にまかせるしかないわけです。
実際イタリアでは民間でそれが行われていて、 「レスタウロ(Restauro)=修復の文化」が広がっています。
しかし、 修復技術あったから建物が修復されたわけでありません。 民間の建築には施主がいて、 その施主が経済行為として建築へ投資をします。 ですから、 誰かが投資効果があると判断しなければレスタウロは起こって来ないのです。
したがって「都市の保存」を考えるときは、 誰が何処でどういう投資をしているのか、 つまりどういうメカニズムで建築投資の対象としての「都心」に資本が戻ってきたかのかを考えない限り、 イタリアで都市の保存が盛んになった理由を説明する事はできないと思います。
一つは、 都市の保存あるいは投資を可能にするような都市計画制度に関してです。 つまりどういう規制や制限が歴史的建造物を守ることに繋がったのか、 あるいはそういった投資を誘発したのかということです。
規制については多くの方が言及しています。 ヨーロッパ各国へ行って「制度が厳しいから残っているんだ」というふうに学んできて、 「京都市はもっと厳しい条例をつくらないから町家が潰れるんだ」という論の展開をなさるわけです。
確かにそういう側面もありますが、 条例、 法律というのはあくまでも民主主義に則って国民的な合意がなされた上で作られるものです。
私も京都に来て7年になりますが、 京都には町家、 つまり「マイナーな建築」がいくつあるか数えてみたら、 都心4区の町家だけで3万2000件ありました。 ですから京都の「都市の保存」は、 世界文化遺産を守ることでも東山や北山の自然を守る事でもなく、 都市部にあるこれら3万2000件の町家を守ることだと思い、 それに取り組もうと思ってきました。
しかし京都では、 当然のことながら、 都心部を歴史的市街地に指定し、 建物の現状変更を禁止するといった法律にはなかなか合意ができません。 でもイタリアでは合意できた。 この違いはなんだろう、 と考えたわけです。 条例、 法律はあくまでも民主的に決定されたものですから、 その決定に至る動機は何だったのか、 また合意形成の過程でそこに関わる各ファクターはどう動いたのか、 ということが私の大きな関心事なのです。
基本的に「マイナーな建築」を保存するかどうかに関心があるのは、 自分の資産に関わる、 つまりその土地の権利を持っている人たちです。 その資産に関係のない人は、 まあ一般的に「町家は残った方が良い」と言うのが普通です。 京都でも、 我々のような京都に資産を持たない根無し草は「そりゃあ京都は町家を大切にしたキレイな街である方が良い」と言いますが、 250坪の町家を持つ人が「どうしますか」と聞かれたら、 はっきり「ノー」と言うと思います。 あるいは家族の誰かがノーといいます。
しかし、 これらの人が「イエス」という仕組みが、 イタリアにはあったんです。 その辺りの事情を、 イタリアの都市計画から探りだすことが私の関心だったわけです。
なぜイタリアか
研究に入るまで
司会(前田裕資):
都市政策としての「保存」
一概に「保存」といっても、 その内容には大きな広がりがあります。
文化財保護と都市の保護
マイナー建築
京都に住んでおりますと、 イタリア人の専門家が文化財や街を頻繁に見にきます。 私も彼らを連れてあちこち歩きます。 昨日来ていたのはイタリアの文化財省の建築家でした。 イタリアにも木造建築物があり、 イタリアと日本の、 文化財建造物保存修復の技術交流のために来ていました。 そこで、 西本願寺本堂の修復や、 春日大社の修復工事といったところを一つ一つ丁寧に見て歩きました。文化財とマイナー建築の保存手法の違い
数が違うだけに、 取扱い方も当然違います。 文化財建造物は、 日本でもイタリアでも国費、 あるいは自治体からのお金で修復事業を行います。
投資対象としての都市
これには、 最低2つの側面から説明する必要があります。
このページへのご意見はJUDIへ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai
学芸出版社ホームページへ