イタリアの景観デザインと商業政策
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ボローニャの町並み保存

改行マークイタリアでも実は都市の保存が可能になるまでに長い歴史がありました。 そのあたりをボローニャを例に見ていきましょう。


社会的保存

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1 チェルベッラーティによるボローニャの町並み保存のプロジェクト
改行マークこの絵はチェルベッラーティ(Pier Luigi Cervellati)という今はヴェネツィア大学の教授になっている先生が書いた『都市の新しい文化』という本の中で紹介されている、 彼自身が描いたボローニャの町並み保存のプロジェクトです。

改行マークこれは一般に「社会的保存」と呼ばれています。 1960〜1970年代のイタリアで出てきた手法で、 街区をまるごと公営住宅として建替えるといったものです。

改行マークもちろんそれ以前も「文化財建造物の保存」には先ほどお話したトリンカナート女史をはじめ建築史の先生方が取り組んでおられましたし、 建造物の修復技術はどんどん発達しており、 歴史的建造物を文化財としてきちっと保存していく方法は既にありました。 しかし、 マイナーな建築の集合体である「都市」あるいは「地区」というものの「保存」に関しては、 個々の建造物の積み上げでしかない、 という程度にしか理解されていなかったのです。

改行マークそれを彼は、 街区単位に一つの事業として一気に再生するという手法をボローニャの計画で示したのです。

改行マークこれは、 第一に技術的に画期的でした。

改行マーク簡単に言うと、 市が用地買収して修復できるものは修復し、 できないものはRCで建替えるというものです。 その建替の際に、 歴史的な町並みの雰囲気を再生するためにティポロジア(類型学)という民家調査による建物の類型化を参考にしています。


ティポロジア

改行マークチェルベッラーティはヴェネツィア大学の助手として、 アイモニーノ教授(Aimonino)の民家調査を手伝っていました。 イタリア語では「リリエーボ(Rilievo)」といいますが、 街に行って民家の図面を描き起し、 それを分析して町並み調査報告書をつくるというものです。 最近は歴史の研究室でもあまりやらなくなりましたが、 日本でも一時期は「建築サーベイ」が流行って、 私も陣内研にいる頃はそういう事を徹底的にやったものです。

改行マークこのアイモニーノは、 類型学をうまく使っていました。 チェルベッラーティは演習に駆り出された学生と一緒に、 アイモニーノが図面を指しながら「ここはティポロジアがこうなっている」とか「進化の過程がこう読める」とか分析して行くのを見ていたわけです。 アイモニーノは非常に図面にこだわる人でした。

改行マーク彼ら以外にもフィレンツェにはカニッジャ(Caniggia)という大先生がいました。 私もご本人にティポロジアの説明を受けた事があるのですが、 この人はもっと立体的な建築を対象に類型化するんです。

改行マーク窓の形とか柱梁の形とかを見ながら「これは多分12世紀頃だ、 これは13世紀頃だ、 ここに【石きり】の跡がちょっと見えるだろう、 きっとこっちの方に行くと、 柱の跡があるに違いない」という調子で、 行ってみると本当にあるんです。 それはカッコ良くて、 建築というのはこうやって解いていくのかと、 ものすごくワクワクしました。

改行マークこのように鮮やかな建築史を現場で語る、 図面から語り起こすということを1960年代の終わりから1970年代に、 イタリアの先生方はやっていたのです。

改行マークさて、 その頃チェルベッラーティはまだ28、 29歳でしたが、 皆と違ったのは彼がボローニャの共産党青年同盟の書記長だったことです。 その頃もう市議会議員になっていて、 イタリアの自治体制度の仕組みでいう都市計画担当参事(局長)でもありました。

改行マーク実はボローニャでは、 彼より前に、 彼の本筋の先生であるベネーヴォロ(Leonardo Benevolo)が学生を使って悉皆調査をしていたのですが、 彼の描いた図面からはアイモニーノのように躍動するような街の歴史が浮かびあがってこないので、 チェルベッラーティは行き詰まっていました。 しかしアイモニーノのティポロジアに触れ、 その手法を読み替え、 ティポロジアの手法を使えば建替えてもいいんだ、 と考えるようになったわけです。


ボローニャ方式

改行マークつまりチェルベッラーティは都市組織(テッスート・ウルバール、 tessuto Urbano)はほぼそのままに、 その上の建築が類型的に進化していくのだから、 その進化の仕組みを正しく理解し、 進化の過程に上手に入りこむ建築設計手法をとれば、 建替えても地区全体が保存できるのではないか、 と考えたのです。

改行マークまた共産党員らしく「この地区の社会的類型を重視しよう、 ここに住んでいる人を動かすことなく、 庶民の暮らしをそのままに守って行こう」と言い出したのです。

改行マークつまり八百屋は八百屋のまま、 肉屋は肉屋のままそこに住んでもらって、 その上の狭い住宅に住んでいる人達もそのままそこに暮らしてもらうという事をやったのです。

改行マーク事業は、 チェルベッラーティの言葉を借りれば「ちょうどタンスの中身を整理するように」、 つまり一つのタンスを開けて中身をうまく収めてできた隙間に別の引出しから新しく物を詰めるように、 整理してできた空間に新しい入居者を入れるという方法で行なわれました。

改行マーク新しい入居者は低所得者や高齢者であり、 ボローニャ大の学生でした。 完成した1970年代から80年代には世界中から視察にやって来ました。 これが大変有名なボローニャ方式と呼ばれるやり方です。

改行マークところが、 残念なことにこの方式はサン・レオナルドとソルフェリーノの2地区だけに留まってしまいました。 ボローニャ以外ではパレルモやナポリなどの南方の街で、 ベネーヴォロ、 チェルベッラーティのコンビが今でもコツコツやっていますが、 あまり成功したという話は聞いていません。

改行マーク何故かというと、 お金がかかりすぎたんです。

改行マークチェルベッラーティがやり出した頃はまだまだチェントロ・ストリコ(Centro Storico:歴史的都心部)の地価が安かったのです。 当時、 住宅の郊外化が進み、 都心が貧窮していました。 だからこそ、 都心に市営住宅をつくることが出来ました。

改行マークところが、 この事業が成功し始めた70年代後半から80年代にかけて、 都心ではジェントリフィケーションが起こります。 つまり都心の地価が上がり、 店舗や高額所得者が都心に戻ってきたのです。

改行マークイタリアでは歴史的都市部で都市計画基準や厳しいデザイン規制に則って進める、 ボローニャ方式と似たような事業はたくさんありますが、 そのほとんどは民間の工事です。 つまり民間の工事が、 行政と同じように歴史的町並みを作っているのです。 しかし、 そこに住んでいた人たちに住みつづけてもらおうという社会的保存の側面は一切ありません。

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2 ボローニャの85年の都市計画図
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3 オレンジ色が保存対象となるマイナーな建築物
改行マーク写真2はボローニャの85年の都市計画が描かれた図です。 できたのはこのサン・レオナルドとソルフェリーノの2つの地区だけです。

改行マーク写真3も85年の都市計画図からとったもので、 赤が宗教建築、 オレンジが保存対象になるマイナーな建造物が集まっている所です。 このほとんどが民間工事で行われています。

改行マークボローニャの市街地では、 72%の建物が過去に何らかの修復を受けています。 つまり膨大な額の民間投資が行われ、 民間主導で事業が進められているというわけです。

改行マークこのようにチェルベッラーティがボローニャで手掛けた時から現在までの間に、 町並みの修復で何が変わったかと言うと、 行政が主導した社会的保存のやり方は、 マーケット・メカニズムに飲み込まれてしまったということです。

改行マーク先程は地価が上がってチェルベッラーティの事業が出来なくなったと説明しましたが、 それよりもむしろ、 民間の方がいち早く「歴史的建造物を修復すれば売れる」という事に気がついたとも言えます。 そして、 行政より遥かに上手に、 遥かに多彩な方法で、 一戸一戸の修復事業をやっていったのです。

改行マークもちろん、 中には文化財級の建物に個人的関心をつぎこんで上手にレスタウロしているものもあれば、 その辺の土建屋にだまされたんじゃないかと思える、 いい加減な設計でただ売らんかな、 という調子の修復まで、 それこそピンからキリまであります。 とにかくそういう人達が市場メカニズムでその土地にふさわしい修復をしていったら、 だんだんと歴史的都市部の評価が上がってきたというわけです。

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