都心の再生と都市計画の役割
都市の再評価と都心居住の推進
では建造物を保存する経済メカニズムが整った後、 都市計画や行政の課題はなくなったのでしょうか。 細々ながら二つの役割を見出していると私は思います。
その一つは、 市場メカニズムが及ばない部分をどうするかということです。 どんな歴史的都市にも土地の格が低い場所がいっぱいあります。 都市全体の格が低いという場合もありますし、 あるいはローマみたいな大都市ですと、 昔の工場街は格が低いようです。 そういう所は、 造られている建築物が魅力的でもなく、 レスタウロする建築家も二の足を踏みます。 こういうところをどうするかが「都市の再評価」として取り組まれています。
もう一つ、 ジェントリフィケーションも手放しでは喜べません。 60年代までの都心空洞化は文字通り住民もオフィスも店舗も都心から出て行ったのですが、 初期のジェントリフィケーションが起こってくると、 まず資本が戻ってきてホテルやオフィス、 あるいは高級な店舗になったりします。 その結果、 家賃負担能力のあるこれらの店がまだ住んでいた住民を駆逐していきます。 長屋の裏の方に残っていた連中が追い出されてしまいます。 それは日本の大都市での再開発と全く変わらず、 住民追い出しに繋がるわけです。
市場原理にまかせるとどうしても落ちこぼれる地区や建築が出てくるし、 高額所得者や高級店舗に売りがちになる。 そうすると都心自体の新しい意味での空洞化、 つまり業務地化が起こってきます。
このような問題、 つまり、 お金持ちでない一般の庶民をどうするか、 ということに対する回答が「都心居住」の推進です。 これはボローニャから始まったわけですが、 ローマ以外はだいたい成功しています。
ローマはその2400年の歴史の中で、 現在ほど所得階層がホモジーニアス、 モノトーンになったことはないと言われています。 今ではローマの歴史的都市部にはかなりの高額所得者しか住んでいないんです。 昔はローマの下町を歩いていると、 小汚い印刷屋があって、 向こうの方ではナポリみたいに洗濯物を吊っているという庶民的な光景が見られたものですが、 今ではそれが全く無くなりました。
この問題への対応策として、 『にぎわいを呼ぶイタリアのまちづくり』でもトル・ディ・ノーナ地区の修復事例をご紹介していますが、 このような事業がポツポツと起こるようになりました。 これが「都心居住」という政策です。
これらは、 市場原理の流れに従って「都心の再生」が進んでいく過程で、 専門家がどうそれを誘導していくかという取り組みだと言えます。
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4 ジェノバ |
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5 ジェノバ再評価プロジェクト |
写真4はジェノバの街ですが、 ここはコロンブスの生まれた港町です。 古い入江を中心に発達した街ですが、 船が大型化し、 コンテナ化し、 石油や天然ガスなどの新しい物資が出てきたため、 港の機能が変わり、 港が外に広がっていきました。
その結果、 旧市街の中心が荒れてしまったのです。 しかもただ打ち捨てられたままだったら修復できるのですが、 港の機能を失いたくない、 あるいは地価を下げたくないという人達が、 いろいろ下手な都市改造をしてしまったのです。 中でも一番まずかったのは、 湾を囲むように発達した眺めの良い街に目隠しするように、 水辺を高架道路で埋めてしまった事です。 そのせいで観光地として伸びるチャンスを失ってしまいました。
しかしは今はデカルノが、 色んなプロジェクトを作ってジェノバの街を再生しようとしています。 写真5は都市組織の再評価のため、 大規模な敷地を持っている教会や修道院、 官公庁の建物に新しい用途を与えていくというプロジェクトです。
その最たる例が、 修道院の建物をジェノバ大学の建築学部の建物に使う計画です。 それによって人の流れを大きく変え、 ジェノバの都心部に新しい集客機能を呼んで活性化しようというのです。
こんなプロジェクトまであえて新しい流れとして説明しましたが、 都市計画では「都心再生」についてこの程度までしか考えていないのが実状です。 大きな流れの主流は民間企業による都心への再投資で、 あの広い歴史的都市部にある膨大な数の歴史的建造物やマイナーな建築物を実際に修復しているのは、 都市計画ではなく市場原理なのです。 都市計画はその力に負けた、 あるいは市場原理がカバーしない部分を拾い歩いてるだけです。 しかもその市場原理が何故働いているかの説明は、 都市計画側からはできないのです。