イタリアの景観デザインと商業政策
左三角
前に 上三角目次へ 三角印次へ

都市デザイン規制

看板等

改行マーク今日は都市環境デザイン会議なので、 デザインに関してお話します。 今イタリアでは建物は変わらないと言いましたが、 その一つの支えがこの屋外広告物条例です。

改行マークこれも実は1960年末から1970年代の始めに作り始めた条例で、 だいたい70年代に中身が固まりました。 都心部のすべての通りを4つのカテゴリーに分け、 7000もある通りの一つ一つに、 どこまで看板を出していいかということを決めているのです。

画像mu10 画像mu11a 画像mu11b
7 看板は建物のアーチ内に納められなければならない 8 アンティーコ・カフェ・グレコ 9 第2級通りでの看板
 

改行マーク例えば写真7のようなアーチはイタリアの建造物にたくさん使われていますが、 このアーチの中の文字や隣の看板の大きさ、 位置まで決まっています。

改行マーク写真8はアンティーコ・カフェ・グレコという古い店ですが、 条例が出来る前からこの板看板を掲げているのですが、 既存不適格として認めざるえません。

改行マーク写真9の通りは第2級通り(規制のカテゴリーのこと)ですが、 ここでは「BVLGARI」のように文字を壁面に出していいのです。 マックス・マーラは第1級通りですからこのように壁面に店名を出せません。 グッチはブルガリの並びですから同様に壁面に店名があります。 皆さんも一度は目にされた事があるでしょう。

改行マーク看板のマテリアル(材料)についても、 条例によってブロンズか大理石に決まっています。 「浮き彫りで、 壁から5cm離して設置」するのは大理石では難しいので、 ブロンズで作って、 壁にくっつけます。 さらに看板を直接照明するのは違反で、 ブロンズの字体の裏側に小さなランプをつけて、 後側の壁を照らさなければなりません。

改行マーク69年にできた最初の条例に、 この種の規制がズラッと書いてあるわけです。 そのおかげで、 店舗の外観のパターンができました。 もちろん、 その条例ができる前にそういうデザインを使用していた人達はいるでしょうが、 条例が出来たおかげで第2級通りの看板が一つの形になった事は確かです。 したがって既存不適格の板看板はともかく、 それ以降にできる店はこの看板以外は使えなくなっているのです。

画像mu12
10 第2カテゴリーに分類されるナヴォーナ広場
画像mu13
11 屋外広告物条例による広告物の定義
改行マークこのような規制が二重三重に張り巡らされているわけですが、 写真10のようにオープンカフェが出ている場所にも非常に厳しい条例があります。

改行マークこれについては名古屋市のプロジェクトで、 千葉大の北原理雄先生がいろんな街のオープンカフェの営業に関する条例を調べておられます。

改行マーク看板一つにこだわると言いましたが、 写真11はヴェネツィアの事例で、 図中の看板一個一個にちゃんと名前があって、 その種類に克明に定義を加えています。

改行マークこのように、 あらゆる屋外広告物について、 一個一個、 この街にふさわしい物は何かということを決めて行くわけです。

画像mu14
12 ランプのデザイン
改行マーク写真12はランプのデザインです。

改行マークランプはいろんな材料で作られていますが、 この20年間のレスタウロの発展とともに都市調度も発達し、 どのランプにするかという事も決まっているのです。 電球についても同様でナトリウムや水銀など色々種類がありますが、 例えばローマの場合はイントーナコ(Intonaco:漆喰)で塗ってある茶褐色の壁にはナトリウム灯が合う、 という調子で決まるわけです。


建物の色彩

画像mu15
13 パラッツォ・ブラスキ
改行マーク色についてもうるさいのですが、 初めは文化財建造物の修復がきっかけでした。

改行マーク写真13はパラッツォ・ブラスキ(Museo Palazzo Braschi、 ローマ)という今国会に使われている建物ですが、 修復するときに建物の表面を何色に塗るかが議論になりました。 昔のままでいいという話なんですが、 その昔が怪しい。 壁の表面の汚れをとると、 茶褐色だと思っていた下に白が出てきて、 さらにめくっていくと緑や黄色も出てきた。 困ってしまって歴史の先生の所に聞きに行ったのですがわかりませんでした。

改行マークで、 どうしたかというと、 写真13のような古い絵を見て真面目に勉強したんです。

画像mu16a
14 パラッツォ・クイリナーレ
画像mu16b
15 パラッツォ・メジチ
改行マークパラッツォ・クイリナーレ(Piazza Del Quirinale、 写真14)は今大統領府になっている建物で、 昔バチカン教皇の住まいとして使われていた所ですが、 何色に見えますか? これは実は水色っぽい灰色です。

改行マーク写真15はローマのパラッツォ・メジチ(Medici)です。 このように昔の絵を見て建物の色彩や素材を調べていくのです。

画像mu18
16 イントナコによる外壁
改行マークピオ・バルディ(Pio Baldi)というローマの国立文化財研究所の人が教えてくれたのですが、 17世紀の終わり頃までローマで売られていた漆喰の色は7種類だったそうです。 ところが、 17世紀から18世紀にかけて河川改修でテべレ川の水運が発達し、 上流のペルージアあたりの山で採れるイントーナコがローマに運ばれるようになりました。 それまでの値段の3分の1ぐらいでしたから、 大量にローマに運ばれたのです。 それが現在では、 ローマの建物の色になっています(写真16)。

改行マーク建物の外壁は何十年かごとに塗り替えられますので、 そのたびに建物の色彩はその時の市場を支配している漆喰が採用されてきました。 ですから、 修復事業でどの時代の色に戻すかは、 担当する建築家が決めればいいことだとバルディ氏は言っています。

改行マークしかし、 建物の色彩を変えるとき、 何が困るかというと、 ランプや塗装、 看板の色が全部条例で決められていることです。 日本のように、 全部建築家に任せますという具合にはいかないんです。 そういうことにうるさいのがイタリアです。

画像mu19
17 フォリーニョ市の色彩計画1
改行マークそこで、 イタリア人は街全体の色を決めてしまおうと色彩計画を作るんです。 これには建築家の数が非常に多いことも関係しているのですが、 こういうことにも歴史がちゃんとあるのです。

改行マークトリノには色彩に関する最初のマスタープランが1876年にあったことが確認されています。 当時トリノは、 ピエモンテ王国の首都、 隣のフランスの強い影響下にありました。 ですからフランスの建築制度は、 まずトリノに入ってくるのです。 その制度がトリノから全イタリアに広がって、 今の法律にも影響を与えているのですが、 その制度の中に広告物や建物の色彩を決めるということがありました。 本国のフランスではすぐに廃止されてしまったのですが、 トリノでは生き続けたわけです。

改行マーク写真17はウンブリア地方にあるフォリーニョ市の色彩計画ですが、 やはりトリノの影響を受けて、 すぐにこういう計画が作られました。

画像mu20
18 フォリーニョ市の色彩計画2
改行マークフォリーニョ市では色彩だけでなく、 より総合的なデザイン条例を作りました。 そのひとつが色彩計画です。 看板、 市営の掲示板、 バス停のデザイン、 道路標識までも含めたトータルなサイン計画を作ろうとしています。 このサイン計画は、 色、 照明、 舗装などあらゆる屋外空間のデザイン要素を対象にしており、 まとめて総合的にやっていこうとするところが非常にイタリアらしいと言えるでしょう。 それだけに難しい課題として取り組まれていると言えます。

改行マークところで、 イタリアには都市デザインという言葉はないのです。 都市デザイン(アーバン・デザイン)をあえてイタリア語で言うと、 アッレード・ウルバーノ(Arredo Urbano)ということになるのですが、 これは都市デザインと言うよりは、 都市の調度、 家具、 しつらえと言った方が正しい。 これは実にうまい言い方で、 歴史的構造物はきっちり保存した上で、 残りの空間をどう美しく見せていくか、 町中のしつらえをどう考えるかという点で言い得て妙な言葉だと思います。

画像mu21
19 ビア・コンドッティ
改行マークこの厳しく細かく決められているアッレード・ウルバーノ(都市調度)が誰にとって有利だったかと言うと、 実は商業者です。 街の規制があったが故に、 イタリアの街がより美しく見えてきたことは確かです。

改行マーク写真19はビア・コンドッティです。 アザレア(ツツジの一種)が美しい季節になると、 通り沿いをスポットで照らしてアザレアが美しく見えるようにするのですが、 それをやっているのは市役所の公園緑地課です。 その季節以外はカラカラ浴場の隣にある考古学公園の一角をアザレアの苗床にして、 何万という鉢をズラッと並べています。 職員が一生懸命その世話をしているんです。 厳しい規制があると同時に、 それだけの事業費をかけてまちのしつらえに取り組むんです。

改行マーク厳しい規制は1960年代の歴史的景観の保存に始まり、 町中をきれいにしていくためには規制が必要だという市民の合意の中で作られてきました。 しかし当初、 商業者はそれに反発しました。 「ウチはブランド品を売っているわけじゃないから、 看板も大きくしたいし、 品物を道に並べたい」という声が出てくるわけです。 それでも条例があるおかげで、 ひとつの基準が商業者の間にも定着してきました。 厳しい規制の中で、 競争ができるという原理が登場してきたのです。

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見はJUDI

(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai

JUDIホームページへ
学芸出版社ホームページへ