私がイタリアに行ったのは70年代で、 まさに変わっていくイタリアの都市の渦中にあったわけで、 今のお話を聞きながら身につまされるところもありました。 私もイタリアが好きで何度も行ったり来たりしていますが、 見るだけでは分からないことを、 宗田先生が深いところまで語ってくださいました。 先生の著書「にぎわいを呼ぶイタリアのまちづくり」にはその辺が実に詳しく紹介されていて、 私達が読めないイタリアの法律についても触れていますので、 みなさんも是非読んでみて下さい。
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イタリアのまちと日本のまちが決定的に違うのはなぜか
京都造形芸術大学教授 井口勝文
では、 日本の都心はどうなのかを最後に触れたいと思います。
実は私、 岡山市で歴史的都心の整備計画をしたことがあります。 いろんな仕事をした中で、 一番自慢したいのがこれです。 17年前になりますが、 岡山市の表町商店街の再開発計画に関わったときのことです。
岡山市は城下町のエリアがきれいに残っているので、 歴史の都心をテーマにしてはどうですかと提案したのです。 うまい具合に市長の意向とがっちり合い、 1984年から3年間の事業ということになって「岡山の文化的シンボルゾーン」と名付けて整備しました。 行って見ていただくと、 それなりに楽しい街が出来ています。
どういう風に整備したかですが、 3つの方針を立てました。
日本の中心市街地活性化も商業提案だけではなく、 文化シンボルゾーン整備だととらえてはどうでしょうか。 生活を楽しむための文化事業だとはっきり認識して進めていけば、 宗田先生のイタリアの話もその中で随分と活かせるだろう、 参考になるだろうと思いました。
少し長くなりましたが、 これで私のコメントを終わります。
最後に―活性化の決め手は商業ではない。
ローマやフィレンツェのように市場原理が直接観光収入にひびく大都市ではなく、 観光客の来ない小さな町でも中心市街地が修復されているという例を見ていただきました。 つまりイタリア中で、 歴史的都心のレスタウロがされているということを言いたかったのですが、 それを動かす原動力はやはり市場原理だけでは説明できない。 都心に行きたいという市民の希望が背景にあると思うのです。
街を楽しむことだ
(1)歴史的資産、 自然を尊重したまちづくりをする。
対象のゾーンをはっきり決めて、 集中的に事業を行うという提案でした。 私は文化的シンボルゾーン(歴史的都心)を定めてマスタープランを策定すること、 (3)の歩行者ネットワーク作りを担当しました。 3年間の事業ですからイタリアのような密度の高い仕事には及ばないのですが、 それでもこの仕事をしたことが私の自信になりました。
(2)新しい施設をその中に入れて集中的に投資し、 活力源とする。
(3)それらをうまくつなぐ、 歩行者空間を作る。
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