むしろ京都市全体がどうである、 あるいは大阪市全体がどうである、 さらには兵庫県の都市計画区域がどうであるというように、 市街地の環境の評価を統計的な指標を使ってマクロに解析してきたのが、 密集市街地との関わりです。
プレゼンテーション4
密集市街地の市街地像と車
アーバンスタディ研究所 土橋正彦
1.密集市街地との関わり
統計指標を利用したマクロな市街地環境評価
私はプレゼンテーターのなかで唯一の土木技術者で、 インフラの整備の方から密集市街地に関わってきました。 ですから実際にどういうふうに建物を更新していくのかとか、 あるいはコミュニティをどういうふうに扱っていくのか、 そのコミュニティをどういうふうに動機づけていくのかについては、 はなはだ経験が浅いわけです。
密集市街地のプロフィール(大阪市) |
その密集市街地について、 公共用地率(道路と公園の面積を合わせたもの)を見ますと、 大阪市の全市平均が24%に対して21%で、 やや量が少なくなっています。 ところがこの量の違いは、 ほとんど大規模公園によって出てきたものです。
道路率L92という数字で道路の面積を比べてみますと、 大阪市の平均と密集市街地の平均はほとんど変わりません。 さらに認定道路だけを拾った時の道路率である道路率N92(認定)では、 全市平均が17.5%に対して、 密集市街地は私道が多いため14.4%とかなりの差が出ています。
さらにこれが非常に大きな特徴になりますが、 幅員4m以下の道路の比率を見た細街路率では、 全市平均で10%に対して、 密集市街地では36%に達しています。
ですからこの細街路率が密集市街地、 特に大阪市の密集市街地の大きな特徴です。 そして私の20年間の経験のなかでは、 細街路率に代表される密集的な特徴を持つ市街地を拾うと、 常に同じ市街地が拾われてきています。
では何故、 密集市街地で人口が減るかですが、 住宅地として魅力がない、 住宅地としての魅力が総体的に低下しているということです。 老年人口比率も20%を越えております。 そういった高齢化した人たちが亡くなると空家になっていくという状況が大阪市では随分起こっています。
そこで私自身興味を持った作品を四つ取り上げました。 その視点としては、 一つは密集市街地のなかで自家用車をどういうふうに扱っているのか、 あるいはその自動車の動線をどういうふうに扱っているのかです。 もう一つは日本の密集市街地の姿はいったいどんなふうになるのかという視点から、 建てる建物が面白そうだ、 こんなまちだったら住んでみようという気が起こりそうだということで選んだものです。
一つはどんな生活が営まれる場所なのかということです。 密集市街地の生活の魅力と欠点、 いろいろな人たちが混じりあって生活をしていくことの魅力なり欠点はどんなことなのだろうか。
それから特にこの課題市街地について、 コミュニティが崩壊しているのではないかという指摘がありましたが、 人口が流動するとか、 あるいは不特定多数の人が集まるということが都市の本質であるとすると、 そういう場でのコミュニティはどんなものであるのかということです。
あるいは、 一概に言ってしまうのは危ないことなのかもしれませんが、 そもそもコミュニティが必要なのかどうなのかといった議論もあろうかと思います。
非常におおざっぱに分けてしまうと、 この設計競技のなかに収められている図面にも2通りあったと思います。 一つはかなりインフラ的な建築のフレームを持っており、 立体都市的な構造が出来上がっていて、 フレームは変わらないけれども、 フレームの中の使い方は変わっていくまち。 こういうまちの場合は、 先ほど大阪市の市街地のプロフィールのところで申しましたが、 建物の平均経年が20年とか30年、 そういう世界は「さようなら」といことだろうと思います。
それからもう一つは、 非常に短い期間で個別にチマチマ更新されていく、 そういう小規模な建物の集積地としての姿をこれからの日本の密集市街地の型として尊重していくというあり方。 このどちらを目指していくべきのか、 あるいはこのどちらを目指した方が気持ちが良いのかというところに関心があります。
公共のスペースについては、 実は密集市街地でもそんなに少なくないのですが、 特に民地の中にオープンスペースがないということが大きな特徴となっています。 この密集市街地のなかにオープンスペースを確保する手法として2通り考えられます。 一つは箱庭的にそれぞれ個別の敷地、 あるいは建替をした単位でオープンスペースを確保していく手法。 もう一つはもっとコモンスペース的にみんなで使うというスペースを確保する、 つまりパブリックなスペースとプライベートなスペースをはっきり分けてしまうという手法があるわけです。 そのどちらの手法をとるかについても非常に興味があります。
それと関連して先ほどからプラスの評価とマイナスの評価と両方出ておりましたが、 背割りの路地の話があります。 これは人の目の届かない場所が不特定多数の人が集まるまちのなかにできていくということですから、 私は非常に危ないのではないかと思います。 もちろんその土地の条件にもよるのでしょうが、 ニュータウンなどでは自動車の路線と歩行者の路線を分けた結果、 防犯上の問題が生じてしまったという事例が山ほどあるわけです。 同様に、 密集市街地のなかに猫道のようなものがたくさんあるという状態はあまり良くないのではないかと思います。 これはたぶん小規模な建物が集積しているということが前提だろうと思いますが、 少し気持ち悪いという感覚です。
私が実際に体験した事例ですが、 もともと水郷地帯であったある密集市街地で、 その水路(ここでは細街路のかわりに水路がたくさん建物の背割り線のところに入っているわけです)を利用したプロムナードのネットワークをつくろうという提案をしたところ、 その集落から総すかんを食らったことがありました。 家の裏を知らない人が歩くようなことは物騒でかなわんというわけです。
対象作品を選んだ視点
このように密集市街地の分析をしてきましたが、 ここ20年間アウトプットはいつも一緒ということになると、 さてどうするのかという話になります。
2.新しい日本型密集市街地の視点
どんな生活が営まれる?
まず、 新しい日本型密集市街地はどんなまちなのかについて、 お話ししたいと思います。
どんな家のあるまちにすみたい?
二つ目にどんな家のあるまちに住みたいとみんなが思っているのかということです。 これについては郊外の住宅地に行くと、 とんでもない家が建っていて(例えば八ヶ岳の麓にあるペンション村のような住宅であるとか、 特にミニ開発でよく見られる木造の3階建てが4m道路の両側に建ち並んで1階が全て駐車場といった街並みであるとか)、 いろんなサンプルはあるわけですが、 結局どんな家が建ち並んだまちが、 これからの日本の密集市街地の定型をつくっていくのかということです。
オープンスペースは?
それから三つ目は、 密集市街地で常に指摘される防災上の危険性について、 つまりオープンスペースの確保の問題です。
31番「みんながまち経営者」(吉田寛史ほか) |
ただ反面、 このまちを歩き回っていると、 歩き回っているスペースのまわりに駐車スペースが露出しているということで、 資金調達のアイデアとしては面白いのですが、 実際に出来上がる空間は少しプアになるのではないかと感じました。
またまちの中心にお風呂屋さんを置いていて、 このお風呂屋さんをまちが経営するというのも面白い発想ですが、 これで実際にこういうまちの経営をおこなっていくとなると、 なかなか難しいのではないかと思います。 私が住んでいるのは新興の住宅団地なのですが、 100戸くらいの管理組合があって、 そこでわずかなお金を使っていろいろな事をするのにも、 理事長さんは大変な手間と時間をかけておられるわけです。 そういうソフトのシステムがうまく持続する形でできあがるかというのは、 少し気になったところです。
2番「グリーン立体駐車場をもつ環境型建替モデル」(匿名) |
日本の田舎の村に行って、 神社の杜がシンボルになっている、 あるいはヨーロッパなどに行って教会の塔がシンボルになっているのと同じように、 このまちでは蔦に覆われた駐車場がシンボルになっているということで、 結構逆説的で面白いプランです。 自動車を利用するということで考えますと、 かなりのボリュームの駐車場が地区内のあちこちに確保されることになり、 これは地区の魅力を高めるものとして、 一つの選択肢ではないかと思いました。
39番「Fortress」(岡村典明ほか) |
これは一体的なレベルを分けることによって、 住み良いまちにするという発想が面白いと思ったんですが、 先ほど申しましたように、 密集市街地では、 狭いパブリックのスペースはなるべく固めておいて、 セミパブリックは考えずに、 歩車の分離も考えずに、 ミックスされた状態で使うのが、 狭い土地の有効利用という点から見て好ましいのではないかと思っています。 つまりこの案はレベルを分けて交通空間を確保するという発想が示されていて、 絵としては面白いのですが、 手法としては私は不賛成です。
32番「緑とオアシス」(奥田真也ほか) |
4. 密集市街地について思うこと
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