有光:
船場は問屋のまちとして栄えてきました。 繊維関係が最も多く、 次いで薬関係の問屋などが船場のまちを形成していました。 ところが、 箕面繊維団地が完成して、 船場から繊維関係がどっと抜けてしまいました。 船場には本社機能しか残さなかった。 薬関係も工場を周辺にどんどん作って船場から出ていきました。 今の船場のオーナーやジュニアは本来の船場の姿を知らない人が多くなっていると思います。 ですから、 船場の再生について、 どれだけ意欲があるのか怪しいものだと私は思っています。
一度、 オーナーによるまちづくり協議会をつくらないかと働きかけてみてはどうですか。 その反応で、 船場再生の可能性が分かると思います。 ジュニアが出てきて「何とかしたいんだ」という声が出るようであれば、 本当に大阪の活力につながる再生ができるかもしれません。
しかし、 私の印象としては大きな期待は出来ないように思います。 この頃のジュニアは保身ばかり考えて、 冒険や危険を避けますから。
とにかく、 例えば経済同友会や青年会議所など、 どのネットワークを通してでもいいから、 まちづくり協議会を立ち上げてみたらいいと思います。 その中で、 みなさんがアドバイザーやコンサルタントをつとめてみると、 ひょっとしたらうまくいくのかもしれません。
船場のオーナーは保身的
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