江川:
私は、 加藤さんの仕事は後世になって、 より良く理解されるのではないかと思いながら聞いていました。
今日の話で印象的だったのは「空間を作り出す」という話と、 空間を作るために粗設計から調整に移り、 最終的には表層的なデザインまで関わって美しい空間が出来ていくという話です。
しかし本当は、 加藤さんが深く関った空間が出来たことで、 周りの建物も呼応し、 周りのストリートも出来てゆくようになって、 初めていい環境になると思います。 都市デザインの意味は、 そこにあると私は考えています。
ところがその時、 先ほどのお話にあったように、 建築の設計者が一番肝心な空間にトイレを作ってしまうという事態が出てきたり、 駅のファサードが安易に山並みを表現してしまうという状況があるわけです。 そんな状況の中で、 作ろうとする空間の意味を分かってもらうのは非常に難しいと思います。
すぐに出来るわけではないのですが、 もっと空間の意味を分かってもらう中から全体の関係を作り上げていく行為が、 とても重要なことです。 美しい都市空間は、 それを経てこそ生まれるものだろうし、 それで初めて市民の空間だと言えるのだろうと思います。
そういう意味で、 空間の骨格を作ることの意味が大きいと思います。 そして、 「委ねる度量」も必要なのだと思います。 「将来、 分かってもらうための環境作り」が重要だと常々考えています。
加藤:
今の江川さんのご質問はとても重要な指摘だと思います。
我々のやり方を言えば、 まず基本計画段階の終わりに建築設計やランドスケープデザインへの設計条件をまとめます。 その時は、 本当に基本的に大事なこと、 たとえどういう設計者であろうと受け止められること、 それも意匠やデザインに踏み込まないことに限ってまとめています。 そういうやり方です。
その後に、 建築家やランドスケープデザイナーが決まっていくのですが、 彼らと話し合いをするとき、 出来るだけデザインのことは言わないようにしています。 具体的なデザインは彼らの領分ですので、 思う存分力を発揮して欲しいのです。
例えば帯広の場合のランドスケープデザインでは、 「ただ単に水と緑を入れて出来上がりというのはやめましょうね」と言いました。 「社会的な意味とか、 人間が使うこととの関係で意味を持たせて欲しい」と申し上げたんです。 その結果出てきた彼らのプランが不十分であるなら、 もっと考えてみようか、 そんなやり方です。
江川:
ランドスケープも建築もそうなんですが、 空間の持っている意味への理解とか、 建築や景観とのつき合い方とか、 そういう認識がまだまだ足りないんじゃないでしょうか。 だからこそ、 加藤さんのような立場からのいろんな調整が必要になるのが現状だと思います。
加藤:
そこが問題なのですが、 ただ誤解をしていただきたくないのは、 調整をするのはデザイナー達が勝手なことをやりだすからということではなく、 私達が考えている空間について理解してほしいからだということです。 そういう思いです。 デザイナーをしばるために調整しようと思っているわけでは全くありません。
江川:
本当はデザイナーが自ら空間の意味を発見すべきなんです。 だけど「こんな所にトイレを持ってきた」という事態が往々にしてあるわけでしょう?
加藤:
それは最初の基本設計の段階で出してきた図がそうなっていたので、 「とんでもない」という話になったんです。
江川:
私はそんなことになってしまうのが、 今の都市と建築の関係の一番の問題だと思うんです。
加藤:
私達は、 建物と公園が呼応する空間を作って欲しいと設計者に頼んでいたんです。 なのにそういう配慮の全くないプランが出てきたということは、 時間がなかったか、 単に建物内での納まりがいいからという発想だったんでしょう。
もしも彼らが「ここにトイレを並べることこそ空間の新しい発見なのだ」と主張していたら、 話は違っていたのでしょうが、 とてもそんなレベルの話ではありません。 「時間がなかったから、 こんなプランになりました」という次元に過ぎなかったんです。
鳴海:
ですから今の都市デザインには、 コラボレーション以前の話がいっぱいあるということですよね。 そういう時どうやって伝えればいいのかという問題もありますし、 そんな面倒くさいことをせずに、 いっそのこと自分たちでデザインしてしまおうという欲求は起きませんか。
加藤:
自分たちでデザインするんですか? そんなことは思ったことはないですねえ。
江川:
いろんな人たちが空間の意味を理解し、 発見し、 空間を生かすようにする事が重要なのですが、 例えばトイレの話にしても、 彼らの信念でそうなったわけではないことが問題な訳でしょう。
加藤:
それはおっしゃるとおりです。 図面を見て「なるほど、 これは僕らが気づかなかった空間の新しい捉え方だ」という案であれば、 彼らの案を受け入れたでしょう。 それもコラボレーションだと思うんです。 しかし、 そのケースの場合は全くお粗末な絵だったので、 受け入れられなかったというわけです。
江川:
みなさんがどう感じられるかは分からないのですが、 私は都市デザインの意味は「時間が経てばもっともっと良くなる」環境を作り上げていくことだろうと考えています。
加藤:
それは私も同じです。 我々が粗設計出来るのは、 ほんの限られた建物です。 時間が経つにしたがっていろんな建物が立ち上がっていくわけで、 その時に建築協定や地区計画の中で、 それぞれが努力していくことで環境が良くなっていくだろうと期待しています。
しかし、 こういう仕事で一番大事なのは、 私達が意匠的なことまで発言しないことだと思っています。 いつも気を付けています。
江川:
いや、 調整もさることながら私は空間を作ることに意味があると思っているということです。
「作りたい空間」を分かってもらうには
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