アメリカにおける歴史保存トラストと都市づくり
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メリーゴーランドの
大プロジェクトからの離脱

 

街の良いところと悪いところ

 これはコンサルタント的な役割をしているプロの方が、 人口5万4000人のマンスフィールド(Mansfield、 Ohio州)を取材したリポートです。 地方のメインストリートの状況がよく分かると思いますので、 紹介したいと思います。

 このリポートでは、 初めてこの街を訪れる人のために、 まず良いことと悪いことを一挙にあげています。

     
    良いところ
       ・セントラルパークはまだマンスフィールドの第一の中心である。 その強さと傷跡は、 街のほかの場所でも同様の状態で現れている。
       ・ありふれた1960年代の地方裁判所が公園のわきにある。
       ・12階建のオフィスビルにある二つの地方銀行は、 広場の主要な角をまだつなぎとめている。 一つはBeaux-Arts Revival様式でもう一方はArt Deco様式である。
       ・長い間確立しているビジネスと街路レベルの小売のビルが公園に面して残っている。
       ・公園の別の側には、 四つの店が1階にある3階建の相当大きいビルが復活した。
       ・利用されていて、 魅力的である建物はダウンタウンのまわりにばらばらにある。 そのいくつかは住宅として利用するのに適切なものになっている。
       ・工場や倉庫は、 使われていないものの、 長い間ある企業や最近始めた企業の施設として残っている。 センターから10ブロックはなれたところに、 1990年に閉鎖して1991年に投資家によって買われ復活したWestinghouse工場は、 製造業や小さいオフィスのための賃料の低いスペースを含んだ商業センターが借用している。
       ・かつてのOhio Brassビルは技術大学に一新された。 かつては三つの路線が乗客や貨物を運んでいたが、 今は一つの路線で貨物輸送が続いている。
       ・新聞社はまだダウンダウンにあり、 ダウンタウンで興味があるものを示し、 ダウンタウンに貢献している。 1400席もの客席のあるルネッサンス劇場は、 1928年に建てられたバロックスタイルで五つの会議室、 宴会設備があり、 隣にはモーテルもある。
       ・ルネッサンス劇場は、 多くのダウンタウンも持つことができた、 活動を発生させるものの一種だ。 多くの同じような劇場は使われないままである。
       ・Mansfield Playhouseは、 公園から1ブロックのところにあるかつては教会があった場所にある。 公共図書館のMandrew Carnegieは、 そのオリジナルであるBeaux Artsビルが、 もともとマンスフィールドの建築家によって保護され、 丁寧に拡張されていたので、 十分利用され残っている。
    悪いところ
       ・1940年のWPAガイドで“古くてこうごうしい赤いレンガ”のビクトリア調と呼ばれたものの移転。
       ・以前地域で所有していたダウンタウンのデパートH. L. Reedは閉店している。
       ・クラシックで珍しい1950年代のステンレスで覆われたファサードをもつ3階建の建物の中にある以前金物屋だったところも、 同じように閉店している(建物を残しているのは良いこと)。
       ・Westinghouse工場や他の劇場には多様な会議スペースがあるにもかかわらず、 マンスフィールドのリーダーは、 新しいコンベンションセンターが必要だと考えている(無謀だ)。
 
 このように良い点としては、 街の中に入っていくにつれて、 セントラルパークなど良い環境を残している所をたくさん見出すことができる、 と述べています。 一方、 悪いこととしては歴史的な建物が移転してなくなっていることや、 ダウンタウンにあったデパートの閉店があげられています。 このように、 街の良い点、 悪い点を列挙しながら整理していくのも、 街を評価する方法としては面白いと思いました。 初めて行ったときの印象と何回か訪れた後の印象では違ってくるかもしれませんが、 けっこう面白い手法だと思います。


衰退した街を建て直したFernyak

 さて、 マンスフィールドの街は魅力的なアメニティ空間がいろいろあるのですが、 1970年代、 80年代に行われた景観的な改善は、 日本でもよく行なわれていた手法で、 街に化粧を施して活性化させようといったものでしたが、 街を活性化させるにはほど遠いものでした。 ですから、 活性化のためには別の観点が必要だったのです。

 マンスフィールドは古くからの工業都市で、 マンスフィールド・ニュースジャーナルによると、 ここは「この街は製造業の街で、 祖父・父・息子みんなが育ち、 同じ工場で働く街だ」ということです。 ところが1980年代にマンスフィールド・タイヤー&ラバー社とマーティン・スティール社という二つの主な工場が閉鎖してしまいました。

 そんなマンスフィールドの街にFernyakというリーダーが登場しました。 この人はよその街で働いた後、 マンスフィールドに帰ってきた人です。 自分の故郷が悪くなりつづけるのを見るのが嫌で、 またコミュニティに貢献したいと思い、 空きビルを買って復活させることを始めたのです。 それが街の活性化のスタートになるのですが、 ここから草の根の努力が勢いづくことになります。

 そこにもう一人、 Katherine Gloverという人物が登場します。 「教育を受けていない都市論者」と紹介されていますが、 彼女とFernyakの2人のアイディアで面白いまちづくりが展開されていきます。

 マンスフィールドの北部にバーと売春宿が集中している場所があるのですが、 彼らはそこに回転木馬のパビリオンを作ろうという運動を展開するのです。 市民から120万ドルの募金を集めて、 1930年以来の全木製、 手づくりの回転木馬が建てられました。

 しかし、 最初市民達はそうした運動を懐疑的に見ていて、 ダウンタウンを諦めない人びとを疑ってかかったのです。 「回転木馬は懐旧の愚行だ」とか、 1991年にオープンした時は「利用者が3万人も入れば良い方だ」とかいろいろ言われたのだそうですが、 ふたを開けてみると1年目の利用者は20万人にも達して大成功を収めました。 その結果、 回転木馬会社が工場を町に移転することになりました。


GOOD PLACE復活が成功の決め手だった

 マンスフィールドのホームページを探してみると、
回転木馬のアンティックショップがあり、 回転木馬がこの街のシンボルになっていることがよく分かります。 そのほかを見ると、 HISTORIC HOMES TOURという項目があり、 古い郊外の街並みを見ることが出来ます。 昔、 工場都市で栄えていた頃に作られた街並みも自転車で散策できます。

 このようにマンスフィールドでは回転木馬のアイデアがヒットして街の活性化に大いに貢献したのですが、 それを見ていた全国の悩める街がマンスフィールドを模倣しようとしたのです。 回転木馬の実際の価値が誤解されたというわけです。

 著者はダウンタウン再生の失敗を次のような言葉でまとめています。

     
     ・ダウンタウン複活の障害物は大体の場合は絶望と懐疑である。
     ・二つ目の障害物は“わたしも…”症候群である。
     ・三つ目はなにか大きいことをしなけらばならないという考えである。
 
 さてその後、 マンスフィールドを建て直したFernyakと奥さんのMimiはなかなか勉強家だったようで、 歴史的な建物を修復して成功した都市を次々と訪れました。 訪ねた街は、 DenverのLarimer広場、 San FranciscoのGhirardelli square、 BaltimoreのHarbour Place、 Savannah、 Lexington、 Kentucky、 Dover、 Portsmouth、 New Hampshireのダウンタウンですが、 そのことについてFernyakは「私は古い建物と古い事物を熱愛していると自覚した。 古いものを修復することが好きだ。 すばらしい伝統的な建築物をみて、 なにをするか、 なにをしないか学んだ」と述べています。

 Fernyakのやり方は、 古い建物を購入するとまず応急措置として屋根工事を手がけることです。 三つの街区内部の20店舗と35軒の建物の再生を目指しているそうです。

 しかし、 こうしたやり方はコンサルタントが勧めるやり方とは全く正反対でした。 著者は次のような言い方でコンサルタントのやり方を批判しています。

     
     ・コンサルタントは、 ほとんど伝統的な選択をする。
     ・劣等感を持っている多くのコミュニティは、 その地域の魅力をあまり信用せず、 また、 自分達の長所を誉めるより、 ハンディキャップに悩んでいる。
     ・口のうまいコンサルタントは人々を感嘆させる。
     ・コンサルタントがよく勧めるのはフランチャイズまたはチェーンである。
     ・多くの人々は第二次世界大戦以来、 高度な芸術へと発展した宣伝によって、 いまだにだまされている。
     ・新しい物はよい。 大きいほどよい。 このメッセージは毎日多様の方法で与えられているので、 国民の考えに広がっている。 これは不運なことに、 アメリカ的手法である。
 
 Fernyakが選択したのはプロのコンサルタントではなく、 先ほど紹介したKatherine Gloverでした。 彼女は娘の友達で、 特にまちづくりの勉強をしたわけでもない人でした。 ウィスコンシン大学を卒業した後、 高級専門小売店の経営や衣服製造業の販売活動など11年間様々な小売り経験を積んだ人です。 娘の友達として知り合い、 話をしてみると面白そうだから頼んだと思うのですが、 彼女はまず20〜80歳の様々な経歴の消費者を集めて、 人々はどのようにダウンタウンを利用したがっているかを学ぼうとしました。 その結果、 人びとは次のようなことを期待していることが分かりました。

     
     ・コミュニティに根ざし、 親しい常連客のいるような、 ローカルレストランやパブをほしがっているということを知った。 女性は特に、 馴染みの場所を心地よく感じる。 どんな人も自分がコミュニティの一部であると感じる場所に行きたがる。 自分のダウンタウンにいても、 チェーンは人々に他者を感じさせる。
     ・若者は美味の食品、 新鮮なパンと新鮮な出来合いの食品がある特別なフードマーケットをほしがっている。
     ・年をとった人々は自分で調理できる食品をほしがっている。
     ・すべての人々がパッケージされた穀物でなく、 穂からの穀物をほしがっている。
     ・農業市場は明らかに、 人々をよろこばせ、 人々を通りに戻させる。
     ・人々が本屋をなくして困るという現象を発見した。
 
 そこで彼女は、 本屋、 パン屋、 農業市場、 小さいビールの醸造レストランなどを復活することを最初の目標としてリストアップしたのです。

 このようなことは日本でもよく指摘されることですが、 社会学者のRay Oldenburgという人は『第三空間と定義』という本の中で「このような空間(The Great Good Place)は、 10年間でアメリカのランドスケープからあっという間に消えてしまった」と指摘しています。 私達もGood Placeだと思っていたのにいつの間にかなくなっているという体験を持っていると思います。

 そうしたGood Placeをもう一度作り直すことが、 Gloverさんが最初に目標にしたことでした。 青空市場や地酒レストランはまさにそうしたGood Placeにうってつけだったと思います。

 その事業に参加した新しいビジネス・オーナーの多くは、 地方や地域とのつながりを持っており、 数年間他の所で勉強したり働いた後に故郷へ帰ってきた人も多くいました。 帰ってきた人たちが再生されたダウンタウンのアパートやロフトで暮らしてくれればいいというのが彼らの願いでもあり、 そうした人たち向けのプロジェクトも次のステップでは考えられているようです。

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