大きな組織で「はい、 そうですか」といってチームで動ける気もしたし、 大きな組織を動かす魅力も考えたのですが、 やっぱり個人的に発言できるような仕事に就きたかったので、 専門事務所に就職しました。 富安秀雄さんのおられる、 市浦都市開発建築コンサルタンツです。
富安先生は大阪大学の非常勤講師に来ておられました。 先生に「三好君来いよ!」といわれると、 その一瞬前まで違うことを考えていても「はい!」とそっちに行きたくなってしまうような、 非常に元気な方でした。
大学院時代にかなり住宅設計をしていたので、 住宅はとりあえず判ったと思っていました。 都市にも興味があったので、 次はニュータウンを経験しておきたいと思い、 都市に強い市浦事務所にいったのです。
市浦事務所は全国の名だたるニュータウン開発に片っ端から携わっていました。 西神ニュータウンを始め、 千里ニュータウンの一部見直し、 泉北ニュータウンの仕上げ、 雄琴の隣の仰木ニュータウンなどをやりました。 東京事務所が忙しかったので、 港北ニュータウンや多摩ニュータウンの仕事も一部やりました。
簡単に「ニュータウンの設計」といっても、 街にあるありとあらゆる要素がそこに入っているわけです。 ニュータウンのバックグラウンドとしての人口推計がまずあって、 骨格となる道路計画、 住宅地計画、 センター計画、 緑地保存計画がある。 さらに、 小学校や中学校などの教育施設や集会所をいつつくるのか、 センターの商業施設にどういうものを入れるのか、 それを誰にやってもらうのか、 という議論も片っ端からあります。
正直に言うと、 就職したての頃は市浦事務所で都市のことを2、 3年勉強したら独立しようと思っていましたが、 とてもじゃないけど3年では身に付かない状況でした。 28才くらいのいい年になっても、 図面の製造工場みたいな中で朝から晩まで畳一畳分の図面に色を塗ったり図面の修正をするようなことをやっていました。
今はマスタープラン全体をやる仕事なんてないですから、 都市デザインをやる若い人にとって、 トレーニングをする場が少ないと思います。
当時打ち合わせにいってみても、 今日は緑地の打ち合わせで公園緑地課の課長がでてくる、 明日は道路の打ち合わせで交通課の土木課長がでてくるとなると、 打ち合わせの相手はみんな自分よりも専門家なんです。 緑地のことだけ考えている人、 道路のことだけ考えている人、 給排水のことだけ考えている人、 住宅地計画だけを考えてきた人、 というように常に自分より詳しい方がおられたんです。
30才頃までは、 「いつになったら専門家になれるのか」と非常に不安に感じていましたが、 30才を過ぎた頃、 様々なことがバランスよく頭の中で整理できるようになり、 打ち合わせをしてもかなりのことが相手に言えるようになってきました。
ニュータウンの仕事
就職活動直前まで、 大きな組織で働くか、 中小企業に相当する小さな組織で働くか、 僕自身かなり迷いました。
−都市・建築設計事務所へ就職
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