建築/都市/まちづくりへ
左三角
前に 上三角目次へ 三角印次へ

新しい時代への予感−退社

 ニュータウン計画では新しいことが常に試されていましたが、 20年くらい前には「新しいことはもう次から次へと出てこないだろう、 そろそろニュータウンは終わりではないか」という感覚が生まれていました。

 そのころすでに、 造成計画や緑地保全計画などは大部分パターン化されていました。

 ニュータウン設計のパターン化された知識や技術は、 知っておくと有用で、 トータルに勉強できることの有難さは身にしみて感じていたのですが、 自分が第一線に立って仕事をするときには、 必ずしも有用な切り口にはならないと感じ始めていました。

 例えば、 造成計画で1mコンタの絵を描くスピードが今より3倍以上になったとしても、 自分の時代に食べていける切り口にはならない。 帯刀が許されなくなる明治時代に、 一生懸命に刀の使い方を練習をしていてもほとんど役立たないのと一緒です。

 単に図面を書いているだけでは駄目だと思い、 より活き活きとして血の通った計画設計はどうするとリアルなものにできるかということに関心を深めていきました。 自分の時代ではそれが重要になってくるだろうと予感をしつつ、 ネットワークを広げたり仕事の関心点を移行させていきました。

 学生時代から意図的に外国を見にいったり人脈の重要性を意識しながら動いていたので、 就職した頃には中堅のスタッフよりも僕の方が外国事例をよく知っていたりネットワークも広がっている状況でした。

 流通系の人達とも、 かなりつっこんだ議論をしました。 マーケティングや流通をやっている人も、 都市について非常に関心をもって考えています。 都市デザイン会議のセミナーに参加されている方々は、 都市計画をやっておられる方が多いと思いますが、 流通の分野の本を1、 2冊お読みになったらおもしろいと思います。 都市をマーケットとして捉えて分析している本があり、 刺激的で有用です。

 今は都市デザインの分野でも流通や商業を意識することは割と当然ですが、 当時は流通や商業について熱心に情報収集したり、 その分野の人とつきあうことは少なかったと思います。 センター計画にしても、 商業コンサルタントに指示されたとおり店舗面積をとるような仕事の進め方でした。

 1984年、 非常に忙しかったので、 自分の抱える疑問を解くような状況にはならないと思って、 市浦都市開発建築コンサルタンツを卒業させていただき、 自分でいろんなことをやり出しました。 34才の時でした。

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見はJUDI

(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai

JUDIホームページへ
学芸出版社ホームページへ