魅力ある個性的な“地域デザイン”を求めて
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1。 魅力ある地域資源の事例

 

 いろんな地域に関わる仕事をしておりますと、 各地域で魅力的な地域資源が目に入ってきます。 日本は狭いと思われていますが、 けっこういろんな所にいろんなものがあります。 まだまだ捨てたものじゃない、 そんな地域を紹介します。 日本だけでなく、 一部外国の事例もあります。


農漁村の地域資源

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長崎県飯盛町の段々畑の石積み
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愛媛県宇和島市遊子(ゆす)
 長崎県飯盛町は諫早から島原半島に行く手前にある、 長崎市に隣接した町です。 ここでは地域の石積を新しく圃場(ほじょう)整備に使って段々畑を作っています。 にんじんや馬鈴薯を植えており、 けっこう生産性も高いようです。 何よりいいいのは、 人をほっとさせる景観が広がっていることです。 仕事のついでにこの地域を訪れたとき、 この風景を見つけて感動しました(写真左)。

 右の写真は愛媛県宇和島市の郊外にある遊子(ゆす)という漁村の段々畑の光景です。

 ほとんど60度近い崖地に作られていて「よく持つものだ」と感心しましたが、 これも人間の知恵が生み出した風景と言えるでしょう。 もともと漁村で耕地が少なかったことから、 江戸時代の中頃から段々畑が作られてきたそうで、 今は森に還っている山も昔は段々畑だった所が多いそうです。 ひとつの山で500枚ぐらいの畑に分かれているんですが、 1枚の畑の幅は1mぎりぎりで、 段差は2m近くあります。 すごい条件を工夫して、 畑の生産性を上げることに励まれています。

 この光景は、 飛行機の中の「地域紹介」の機内誌を見て知っていたので、 高知県で仕事があった時に足をのばして見に行ったんです。 地元の人に話を聞くと、 海岸の岩を砕いて段々畑を積み重ねていったそうです。 昔は全て手作業で石を破砕し積み上げていましたが、 近年に爆薬を使うようになってから石の加工が随分楽になったと話されていました。

 見た目が美しいとか汚いとかの議論の前に、 こういう景色こそが地域に密着した景色であり、 やはり景観とは地域の気候風土や生活習慣と密着したものだと思います。

 また、 この段々畑の石積ではちゃんと草取りもされていて、 きちんと整備されているようです。 石積に草の根が張ると壊れていくので、 ちゃんとした管理が必要なのです。

 この段々畑の真ん中にはやっと一人が通れるくらいの1mもない小道が付いています。 手すりももちろんありません。 そんな畑をおじいちゃん、 おばあちゃんが耕しています。


大切にされてきた橋

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四万十川に架けられた沈下橋
 高知県の四万十川に架けられている沈下橋の一つです。 これもシンプルで美しいシルエットです。

 上に架けられている床板は、 洪水の時に水の抵抗がないよう翼のような断面になっています。

 なぜこのような橋が出来たかというと、 明治時代に県のある土木技師が「水量の多い四万十川に普通の橋を架けようとすると、 かなり高い位置の橋になってしまう。 そうなると橋脚も長くなるし、 コストもかかる。 それに、 人びとが日常で使いにくい」と言ったんだそうです。 国とも随分やり合った末に、 沈下橋という工法を生み出したというわけです。 ここにも、 その地方独特の工夫や努力を見ることが出来ます。

 洪水の時にはこの橋に10cm以上水をかぶることもあるのですが、 そこを車が通ることもあったと聞きます。 水位が急に上がって車が流されてしまうこともあったようですが、 かといってこの橋をやめようという声が出ることもなく、 今でも地域の人に愛される橋になっています。

 沈下橋はこれだけでなく、 上流から下流を通じて40〜50あります。 支流も含めるともっとあります。 デザインも様々でいずれもコンクリートの橋ですが、 周辺の景観とも不思議とうまくマッチしています。

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愛媛県河辺村の屋根付き橋 帯江橋
 高知県から山沿いに愛媛県に入ったところ、 肱川(ひじかわ)の上流に河辺村があり、 ここは日本では珍しい屋根付き橋があることで知られています。 外国では屋根付き橋はそう珍しいものではなく、 フィレンツェにあるポンテ・ベッキオやベネチアのリアルト橋、 アメリカだったら映画の舞台にもなったマディソン郡の橋があります。 日本でも釜石には橋を市場に使ったという例はありますが、 ここの橋は商業施設として使われたのではなく、 農作業の行き帰りの一休みや集会として使うコミュニティスペースとなっています。

 古いものでは江戸時代に建てられたものもあり、 地域の人たちがお金を出し合って作りました。 構造も木造から一部鉄筋を使ったものまで様々です。

 面白いことに橋の東と西では表面仕上げが違います。 雨に濡れるところは雨に強い栗材、 それ以外は杉、 四隅の柱は強度を持たすために栗、 あとは杉か檜を使い、 屋根は杉の皮で葺いています。

 もちろん補修もみんなでお金を出し合っていて、 そのことを銘板にきちんと記しています。 こういう工夫がなぜ他の地域ではできないのかと不思議ですが、 今の日本では橋梁の基準が厳しくてこういう独創的なことができないことも一因なのでしょう。 屋根を付けると橋ではなく、 建築物になってしまいます。 河辺村の橋は、 多分「基準法適用外」になっているのだと思います。

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愛媛県河辺村の御幸の橋
 御幸の橋は奥にある天神さんの参道として利用されています。 少し太鼓橋のような膨らみがあります。 江戸時代に作られたのが最初ですが、 明治時代に付け替えられたと聞きました。

 河辺村は今、 この屋根付き橋で村おこしをしています。 もともとの屋根付き橋は八つあるのですが、 最近になって新しく観光用の橋も作りました。 ただ、 最近作ったものは見てみるとつまらなくて、 やりすぎじゃないかという気がしました。


私の故郷の資源

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兵庫県温泉町
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兵庫県温泉町竹田集落
 温泉町は兵庫県の北の方にあり、 ここで調査・分析したものを論文にまとめてみました。 私の生まれた町です(写真左)。

 ここでは荒湯が有名で、 98度の熱泉がわいています。 冬になるとその湯気が町に漂い、 温泉町らしい風情になります。 春には正福寺の桜が有名です。

 右の写真は、 温泉町の中の竹田という集落にある泰雲寺です。 由緒あるお寺で、 そこの枝垂れ桜が町内ではけっこう有名です。 民家越しに見える桜はとてもゴージャスで、 枝垂れ桜と言えば知らない人がいないぐらいです。 まちのシンボルになっているわけです。

 なお、 竹田の民家の屋根瓦は石州瓦系で、 瓦に上薬を塗った独特の茶色です。 油瓦と言います。 雪国ですから瓦に工夫しているのです。 この地方独特の瓦屋根と桜、 その後ろに見える山の緑の取り合わせが、 ここの特色を作っているのです。

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兵庫県温泉町の千原
 国道9号がこのあたりを通っていて、 それに隣接して岸田川が流れています。 国道と山裾の間に集落がつながっているのですが、 民家の屋根が同じ方向を向いていて、 対岸から見るととても落ち着いた景色です。

 雪国独特の油瓦の茶色、 しっくいの白、 焼き杉の色の取り合わせはこの地方独特です。 このように地域の伝統的な素材を使って伝統的な工法で作る家は日本各地にありますが、 そのような家が地域らしさを作り、 そこの魅力を発展させてきたのだろうと思います。

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兵庫県温泉のわさび畑と棚田
 ここのわさび畑はもともと棚田だったのを、 米作をやめてからわさび畑にしたものです。 まだ棚田のままのところもあります。 棚田は日本全国にありますが、 「棚田百景」が選ばれるように各地でその土地の魅力を伝えています。


継承される知恵

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宝塚市西谷地区の民家
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熊本県の円形分水
 宝塚の北部にある西谷地区には民家が点在しています。 田園があってその背後に山がひかえ、 山の懐に抱かれるように集落があるんです。

 写真の民家は修復した後だと思うのですが、 昔ながらの伝統工法でデザインを引き継いでいます。 新しくても昔の建物や周りとマッチするものなんです(写真左)。

 熊本県には通潤(つうじゅん)橋という、 水が流れ落ちる橋があるのですが、 その取水口から200mほど上流にあるのが、 この円形分水です(写真右)。 ここでは田んぼや耕地に水を配分する時、 用水を一度地下にもぐらせた上でこの円形の盆からあふれさせるようにして流しています。 円形の盆には二重になったしきりが3箇所あり、 円周の長さに応じた水が流れるようになっています。

 これは、 水田の受益面積に合った水量を配分できるようにしているのです。 すごい知恵だなあと感心しました。 昭和31年に作られた新しいものですが、 これ以前にも同じ考え方で水を配分する工作物があったと思われます。

 配分の仕方のデザインがすぐれているのが印象に残ります。 配分の仕方にもいろんなやり方があるのですが、 いずれもシンプルかつ綺麗なところに感心します。 土木工作物にも、 こんなデザインが過去にはあったんだと思いました。


中心市街地に残る資源

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広島県福山市・元町の路地
 田舎だけでなく既成市街地にも魅力ある地域資源があります。 写真は福山市の中心市街地活性化のマスタープランを私達の会社が手がけたときに調査したものです。

 福山市は戦災に遭って、 市街地がほとんど全滅してしまいました。 戦後になり、 中心市街地で戦災復興土地区画整理がされたのはいいのですが、 無味乾燥な町になってしまったのです。 もともとは福山城を取り巻く水路があったのですが、 それを全部埋めて道路にしてしまいました。

 ところが、 戦後に作られた街区の背割り線には1m前後の細い路地が出来ていたんです。 おそらく、 昔の雨水排水、 あるいは汚水の汲み取りのためのルートだったんでしょうが、 こういう路地に面してお店ができています。 無味乾燥な町の中で、 そこには懐かしい空間が演出されています。 こういう所を見つけ、 価値を見いだすのが我々コンサルタントや行政の大事な仕事だと思います。

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広島県福山市・元町の小公園
 また、 ここには街区の真ん中に小さな公園があります。 1ブロックにひとつの小公園という形で点在しており、 しかも道路に面しておらず、 いわゆる「アンコ状」に立地しています。 ですから、 その地区に住む人は知っているけれど、 外部の人は知らない公園です。

 我々はこのような路地や公園をうまく生かして町の魅力を増していこうという方向で、 活性化の基本計画を作りました。


中国・韓城市党家村など

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中国・韓城市党家村
 ここからは海外の事例です。 西安から二百数十キロ行った所に韓城市という町があり、 そこからさらに9キロ離れた所に党家村があります。 最近は有名になっているので、 ご存知の方もいるでしょう。

 この辺は黄河流域に広がる台地状の黄土高原です。 川が黄河に流れ込むためたくさんの谷筋ができているのですが、 その谷筋のひとつにこの党家村があります。 この村の由来は明代に遡ると言われており、 党という名前の農民が5人ほどここに定住したのが始まりだそうです。 1360年代には「賈」という名前の人もやってきました。 355戸に発展した今でもこの村には党さんと賈さんしかいない構成になっています。 人口は1400人ほどです。

 この村の家を見ると、 真ん中に広場がありその周囲を建物で囲んでいるという構成です。 これは四合院住宅と言って、 黄土高原に多い伝統的な民家の作り方です。

 四合院住宅に挟まれるように道が付けられています。 ここは昔からけっこう裕福な村で賊に襲われることもあったようで、 それを防ぐため道は全部T字路になっています。 賊が入り込んでも逃げられないようにしたわけです。 見張りを立てるための望楼も要所に作られていて、 防犯に万遍なく気を配った村作りをしています。 通路から塔が建っているのを見ると、 イタリアのシエナやアッシジに似てるなあと思うのですが、 実際、 家には日干し煉瓦を使っているので、 ヨーロッパに近いまちづくりだと思います。

 町の色合いも美しく、 回りの高原の緑と家々のレンガの取り合わせが何とも言えません。 壁の煉瓦の色は黄土高原の土の色で、 屋根はそれを焼き締めた黒っぽい瓦で、 その美しさが印象的でした。

 また、 中国の町で印象的なのは、 まちづくりに風水が取り入れられていることです。 村のはずれに文星閣が建っているのですが、 これは村の風水上の鬼門である東南に建っており、 東南から入ろうとする悪霊を追い払うためです。 開口部は村の中を向いて開けられており、 村の外部に開いている窓はひとつもありません。

 この村はこの谷の村とここに隣接している丘の村のふたつの集落から成り立っています。 どちらの村も城壁に囲まれており、 谷の村と丘の村の通路は一部トンネルになっている所があります。 出入口が限定されており、 防犯が徹底しています。

 ところで、 この村がなぜ伝統的なスタイルを残せたかについて触れておきます。 1960年代の文化大革命の時、 このあたりの村の多くは文革のあおりで伝統的なものを壊したのですが、 この村の村長だけはそうした村壊しに抵抗したんだそうです。 伝統的なものを守ろうと村人達を説得したおかげで、 伝統的な村の姿が残ったのだと聞きました。 1980年代に九州大学の青木正夫教授が日中共同研究をしたとき、 この村のことを取り上げたことから世の中に知られるようになりました。

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中国・韓城市党家村四合院住宅 中国・韓城市党家村ヤオトン住宅住宅 上海近郊の周庄
 

 左の写真はけっこう裕福な家の四合院住宅の中庭です。 四合院の「院」とはこうした中庭や広場のことを言います。

 真ん中の写真は黄土高原にある崖に横穴を掘って、 そこを住居にしたヤオトン住居です。 また川の写真では住宅の扉の上に「科登」と大書してありますが、 これはこの家から科挙に合格した進士がいるぞと誇らしげに表わしたもので、 中国の歴史に触れる面白さを味わいました。

 右の写真は周庄です。 周庄は江南地方の水郷の町で、 上海から50kmくらい西北に行った所にある淀山湖のほとりにあります。 とても綺麗な町で、 同じく水の町として知られる蘇州や無錫以上に美しいと思いました。

 この町には三つの水路が走っていて、 水路が交わるところに橋の形が八の字に見えることから「八つ字橋」と呼ばれる橋が架かっています。 党家村と同じように昔の伝統的なスタイルが残っていることから、 最近有名になった町です。

 ケ小平が訪米したとき、 大統領から記念にもらった絵画があまりに美しい町だったので、 それを誉めたところ、 「これは中国の町ですよ」と言われたことから広く知られるようになりました。

 もともとは運河を利用した水運の町で、 物資の集散場所として元代から発展してきました。 ですから上海よりも古い歴史を持ち、 元、 明、 清代の面影を伝える建物が建っています。 たしか、 世界遺産の登録にリストアップされているはずです。

 古い街ですから、 町中の道路も1.5〜2mぐらいの狭さです。 たいていが2階建ての建物ですから、 水路と路地、 低い家並みでバランスよく構成された町です。


オーストリア・ザルツブルグなど

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オーストリア・ザルツブルグ
 ヨーロッパの街もひとつ紹介します。 ザルツブルグはドイツとの国境近くにある街です。 町中をザルザッハ川が流れています。 街の名前に付く「ザルツ」とは塩の意ですが、 川の色は石灰岩の影響もあってか白青いという印象でした。 メンフィスブルグという岩山の周囲に街が出来たようです。 その旧市街地から丘を見ると、 綺麗なお城が見えます。 水辺と山がうまく一体化して上手に自然と共生している街だなと感心しました。

 山と市街地はトンネルでつながっているのですが、 うまいなと思うのは、 市街地に車が入らないよう岩山をくりぬいてパーキングにしていることです。 パーキングを出ると、 すぐ目の前に歴史的な街並みが広がります。

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図書館
 左の写真は図書館だと思うのですが、 背後にすぐ山が迫っているところに建っています。 日本だったら急傾斜崩壊危険区域として建設が禁止されそうなところです。 どういう風に安全性を確保しているのか分かりませんが、 まるで山に建物がへばりついているようでした。 建物を通って、 岩山の中のパーキングに行けるようになっていて、 まさに山と一体となった建物です。

 

 以上、 いろんな街の事例を見ていただきました。 日本であれ中国であれヨーロッパであれ、 いろんな所にその地域独特の魅力的な地域資源が存在していることをお分かりいただけたと思います。 我々専門家もそうした地域資源を発見し、 掘り起こしてまちづくりに生かす努力をしているのですが、 客観的に見るとまだまだ足りないようです。 我々が進めるまちづくりやコンサルティングでは、 やはり地域の人々や行政の人と一緒になって、 地域に埋もれている魅力を捜し出しうまく生かしていくことが大事ではないかと考えています。

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