魅力ある個性的な“地域デザイン”を求めて
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5。 事例1
復興まちづくりにおける町並みデザイン

 

復興まちづくりと地域資源

 一つ目の事例は「復興まちづくりにおける街並みデザイン」として、 西宮市森具地区を取り上げました。

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森貝位置図 [387 346]
 森具地区の総面積は10.5ha。 震災後、 他の地域と同時に建築基準法84条の建築制限がかけられ、 それと同時並行に、 まず行政主導で復興プランがつくられました。 ただ、 震災直後、 5月くらいまでは住民は避難していてほとんど地区内にはいませんでした。 ですから帰ってきた人たちがそのプランを初めて見て「これは何だ」ということになり、 神戸市のケースと同様に大きな軋轢が生じたわけです。

 そういう中で我々は、 一つは住民サイドのアドバイス、 もう一つは行政サイドの区画整理の支援という両方の立場で入りました。 なかでも私はまちづくりを専門にやっていますので、 住民の協議会側で支援をしていったわけです。

 ここで我々が言いましたのは、 地域が主体になるようなまちづくりの進め方をしていこうということでした。 そこで協議会を中心に街区委員会などがつくられ、 そこでいろんなことを協議することによって、 地元案をつくりました。

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震災後にも残っていた震災前の地区の面影
 そして、 地域資源です。 既成市街地ですから地域資源はそれほどないんですが、 六甲山系がよく見えること、 夙川の緑が借景として美しいということや、 あるいはここは昔は農村集落ですから路地のようなもの、 地蔵さん、 消防団の倉庫、 屋敷の中の松の林などがあるわけです。 そういうものを地域の文脈に活かしていこうという発想で提案しました。

 また我々がコンサルタントとしてアドバイスに入る前から、 この地区では都市計画道路が十文字に通ることに昭和二十一年かに都市計画決定されていました。 それはずっと出来ていなかったんですが、 平成5年度にこの都市計画道路がどうしたら通るのかという調査がなされていました。 ミニ区画整理や再開発など、 いろんな検討がなされているんですが、 震災後この調査資料がうまく手に入り、 それを活用でき、 より早く地域の情報が掴めたわけです。

 この時、 地域に関わる計画情報の共有化は大事なことだと改めて思いました。

 このように一から五の要素ごとにまちづくりはどのように進んだのか、 これらを分析することによって、 森具の個性的なまちづくりが少しでも実現できた経緯が明確になったと思います。


まちづくり全体の構想と住宅の共同化

 また、 地域に入りますと早く住宅を手に入れたいという思いが切々と伝わってきたわけです。 地域には高齢者もかなり多く、 高齢者の方が新たな負担なしに住宅を手に入れる方法も同時に模索していきました。

 このように、 まちづくり全体の構想を検討する、 それを区画整理事業としてどう進めるかという話、 それから共同建替や協調建替、 共同化といった事も行いながら総合的なまちづくりとして捉え同時並行で進めていきました。


震災前の地区の概要と計画の変遷

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震災前の地域資源
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震災前の接道不適格建築分布
 左の図は震災前の地域の文脈の一部です。 西国街道が通っていたり、 土塀があったり、 お地蔵さんがあったりと、 地域の資源をあらわしています。

 右の図の黒の部分は未接道の住宅です。 接道していても4m未満で、 2mとか1mの路地に接道しているものも含めていますが、 これだけのボリュームがあります。 以前(昭和あるいは大正時代)に周辺では耕地整理や区画整理が随分なされているんですが、 この部分だけが取り残されていて、 それだけ木造の老朽家屋が密集した状態で残っていたために被害を大きくしたわけです。

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計画図(当初案)
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計画図(最終案)
 左の図は当初つくられた行政案です。 どちらが良いかは未だに議論の分かれるところですが、 右図の最終計画図の特色は、 一つは公園をまとめて一番増進率の高い、 十文字に通っている都市計画道路の角に置いたという点です。 もう一つは、 規模の小さい90平米や100平米の宅地がたくさんありましたので、 中に入れる街路を増やし、 実態に即したプランニングをしている点です。

 それらの街路は基本的にはUループで構成しています。 しかも幹線道路から直接には入れないようにし、 また従来の集落のコミュニティの単位が再現できるような単位を考えています。

 さらに以前は路地がたくさんあったわけですが、 路地にかわるフットパスをいくつもとって、 歩行系統のネットワークを以前よりもよくしました。 また、 幹線道路と公園のオープンスペースから後背の六甲山系の山並みや北側の小さな段丘の緑地、 夙川の河川沿い緑地など、 地域に馴染みのある風景を地域デザインに積極的にとり入れる工夫をしました。


整備後の地区の状況

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交差点中央に位置する森具公園(震災後)
 これはほぼ完成した後の写真です。 森具公園、 幹線道路の十字路と、 新しい地域のシンボルや新しい文脈をつくっているわけです。 そういうオープンスペースから六甲山あるいは甲山が見えます。 ただ、 民地の方であまり周りを考えないマンション建設が始まったり、 民家もプレハブ住宅が大半になり、 もう少しうまく一体的に考えられなかったかという思いは残ります。

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移築された地蔵尊 景観の不調和 元々あった楠を利用したオープンテラス
 

 地蔵さんも公園の横に移設されていまして、 2年くらい前から地蔵盆もここで行われています。

 事業としてはスムーズに進み、 阪神間でも比較的早く立ち上げることができましたが、 幹線道路に面してマンションとプレハブの民家が隣接している景観ができたり、 うまくコントロールされていないのは残念だと思います。 別の写真では元々あった楠をうまく活かして民地側でお店の中庭のオープンテラスとして使われています。


整備後の住民評価

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現在の生活環境に対する評価(全住民による)
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土地区画整理後のまちに対する評価(震災前からの住民による)
 整備後の住民の評価調査を、 2000年度に全戸配布して行いました。

 震災後に入ってこられた方も含む全ての居住者に聞いた現在の生活環境に対する評価で、 一番評価が高かったのが、 「災害に対する安全性」という項目です。 それから「街なかの緑などの潤い」。 元々公園がなかった所に公園ができましたので、 公園に対する評価が高くなりました。

 震災前からの居住者による区画整理後のまちに対する評価では、 「道路について」は良くなった、 それから「公園について」も良くなったということで、 一定の評価は出ています。 ただ、 私どもが少し気になったのは、 「マンションが多いまち」あるいは「プレハブ住宅の多いまち」ということに対しては、 意外と良い評価が出されていることです。 自分たちが住んでられて、 あまり不満がないということなのですが、 我々専門家と少し意識が違うのかなと感じました。

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森具らしさが残されている場所
 森具らしさが残されている場所を聞いたところ、 「夙川」などは震災前後で評価が変わっていません。 また「地名」が結構上にあり、 屋敷町とか松下町などが残っていることに対して、 森具らしさが感じられると評価されています。

 それから「住宅地としての町並み」は評価が上がっています。 また「自治会活動」も上がっているんです。 以前はそうでもなかったけれども、 震災後のまちでは自治会活動に森具らしさがあると評価されています。

 以前は公園がなかったので評価はゼロなんですが、 震災後は第三位に「森具公園」があがっています。 ですから新しい施設でも良いものであれば、 地域の文脈として、 あるいは地域らしさとして認識されるということがわかったわけです。 良いものをつくれば、 それなりに新しい文脈になりうるということも一つの重要な事かと思います。

 「路地」は、 以前は6位だったのですが、 路地が無くなってしまいましたので、 17位になっています。 路地に代わるフットパスなどをつくりましたが、 それは路地ではないという認識になっています。 ですからフットパスでは不十分で、 やはり路地をあえてつくる区画整理があっても良いのではないかと思います。 隠れんぼなど、 路地でのいろんな思い出が我々にもあるのです。 先ほどの福山の例のように路地が新しい魅力空間に生まれ変わるということもありえます。 広い道だけがまちではないという感じがします。

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