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「すみのどう」を、 今では「住道」と書きますが、 もともとの名前は「角堂」(スミノドウ)と呼ばれるお堂が建てられたのが、 もともとの由縁です。 ここは昔は水郷の里でした。 明治、 大正、 昭和の初期ぐらいまでは、 お米だけではなく、 なたね油や綿花の産地でしたが、 それらを水運で運んでいたのです。 昔の写真にはたくさんの小舟が写っています。 じつは水と非常に縁のある場所だったのです。
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われわれがつくった近代というのはこういうことなんです。 もっとも大東市は水害で困っているわけですから、 水害をいかに防ぐかが大切でした。 大変高い堤防を垂直に立てています。 合理的です。 しかし、 文化や、 水辺とのふれあいはここからは一切感じることができないわけです。
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角堂のお堂がとても小さくなってしまっています。 三大海神である住吉さんをお奉りしているところです。
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日本のまちは写真になりにくい場所ですが、 私は住道の水路には逆の意味で感心しています。 コンクリートの円形の矢板だけででき上がっています。 お金もかかりません。 寸法もいちばん合理的につくられています。 経済大国の日本がつくり上げたわれわれの国土づくりは、 先ほどの江戸時代の楽しげな場所をこのように変えてきたということです。 20世紀が選んだ環境デザインの一つの典型なのです。
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大東市は小さな河川も同じような垂直護岸でつくっています。 しかし、 これは緊急に水害対策でやったんだから、 仕方がないんだと言われるかもしれません。
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