鳴海(大阪大学):
先ほど見せていただいた東大阪の川のスゴイ護岸は、 できる直前まではどんな状態だったんですか。
金澤:
それはちょっと調べていません。 あれほど高くはなかったはずですが。
鳴海:
もっとゆとりがあったと思うのですが、 最小限にして道路を広げたんでしょうか。
金澤:
法面をとって垂直にしてしまったという感じです。
私が思うに、 戦後の都市計画で一番重要なポイントは、 市街化を押さえる土地利用規制に日本が失敗したということじゃないでしょうか。 昔は河川の近くで明らかに水害を受けそうな所は、 遊水地(池)としていました。 川と宅地の間にはバッファゾーンを設けていたのです。 ところが、 今の大都市を見ると、 ぎりぎりの所まで宅地開発をしています。 そんなことをしているのは先進国では日本だけでしょう。
河川との関係だけではありません。 高速道路のすぐ近くまで市街化させているから騒音問題が発生してくる。 鉄道沿線も、 手を伸ばせば届きそうな所まで家が迫っている。 あるいは、 飛行場のまわりをなぜ市街化させるのですか。 騒音の問題が起きるのは当然なんです。 日本はそんな土地利用を繰り返してきました。
被害が予想できなかったはずがない。 これは専門家の責任だとも言えましょう。 そういう場所を田畑や森林にしておけば、 そういったところの川を近自然型にすることは容易だった筈です。 でも現状は河川のぎりぎりまで市街地が迫っているから、 川を蛇行させることもできないし、 両側を公園にすることもできません。
江戸時代以降、 日本人は米を生み出す土地に執着してきました。 その意識が土地=財産という価値観になり、 1mmの土地にも値段を付けないと気が済まなくなりました。 アメリカなんかだと、 家の値段にはこだわりますが、 土地の値段にはあまりこだわりません。 日本人の土地に対する財産意識が都市計画に反映して、 道路や河川のつくり方も「土地を無駄にはせんぞ」という事になってしまったように思えてなりません。
昭和30〜40年代に日本が都市化していく中、 いろんな法改正で土地利用を規制しようとしましたが、 結局有効に働かないままどんどん市街化していきました。 その結果、 今私達が見ているまちが出来てしまったというわけです。
市街地拡大の抑制に失敗した都市計画
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