大阪における集合住宅形成史
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5 民間の集合住宅 1970年以前

 

 大阪の西区と中央区で1970年以前に建てられた集合住宅で、 現在残っているものは187棟あります。 どんなものであったかを見ていきましょう。


ファサードの特徴

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図32 ユニークハウス
 この頃の集合住宅には「バルコニーを付けて2方向避難が出来るようにする」という規定はなかったのですが、 この日本橋にある「ユニークハウス」ではこういう形のバルコニーがついています。 今の建築基準法に沿ったバルコニーではありませんから、 ちょっと雰囲気が違います。

 建物の入口を入ると、 なんと「噴水のあるエントランス」になっていました。 そこのオーナー兼管理人のおじさんも「大阪の集合住宅で噴水があるのはウチだけや」と自慢していました。

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図33a 名城ビル
 左は南堀江にある「名城ビル」で、 今はファッションビルになっています。 1階が駐車場になっています。 上部階には狭いバルコニーが付いていますが、 建築基準法上のバルコニーではないので1mもない高さのバルコニーです。

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図33b 三日月荘
 三日月荘で、 文化住宅を3階建てにしただけの集合住宅です。 この頃は実はこっちのタイプの方も数が多かったのですが、 紹介していても面白くないので次にいきます。

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図34 永田ビル
 1970年以前に建った民間の集合住宅の特徴として「バルコニーなし」が挙げられます。 そういうタイプの集合住宅のひとつに「永田ビル」があります。 窓が綺麗に並んでいて、 集合住宅とは思えない外観です。 建物によっては窓を作らないで壁面のみにしているものもありました。

 どの建物も街区の形に沿って建てられています。 連窓のものも見うけられますが、 よく見ると窓の途中に仕切り壁があり、 とても中に住む人のことを配慮したとは思えません。 見た目だけを重視したファサードの建物ともいえます。 この頃は、 タイル貼りのファサードが多かったようです。


用途の混合と集合のあり方

 187棟の集合住宅のうち、 集合住宅のみで構成されている建物は18棟しかありません。 あとは住宅以外に、 いろんな用途で使われています。 オーナーが自分の事業用として使っている部分、 賃貸として人に貸している部分があります。 店舗用、 事務用に加え、 工場所の賃貸部分もみられました。

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図35 占有空間としての住宅の位置
 オーナー住宅がどこにあるかを見てみると、 一番多かったのが1階にオーナーの事業所や店舗と一緒に住宅も入っているという形です。 次に多かったのがペントハウス形式になっているものです。

 ビルオーナーがどんな形で賃貸しているのかも調べました。 住宅が入っている場合もあれば、 住宅と事業所の両方を入れている場合もあり、 業種も様々です。

 また、 この頃の集合住宅はオーナーが住んでいなくても、 管理人がいるのが普通でした。 調査でも、 8割近くの集合住宅に管理人が常駐していました。 古い建物になると管理人も同じくらい老化しているようで、 あるビルなどは管理人室を覗くとおじいさんが寝たきりになっていてギョッとしたことがあります。

 寝たきりのおじいさんの足元に鏡があって、 訪問者の顔が見えるようになっていたのですが、 さすがにこれにはびっくりしてしまいました。

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図36 民間集合住宅のプランの特徴
 典型的平面プランをまとめてみました。 一番多かったのは、 大阪に多い「ウナギの寝床」型の細長い敷地に合わせ、 街路から通路が細長く伸びている形式(Aタイプ)で、 1、 2階は階段をズンズン登っていきます(階段の上に階段を作るというタイプではありません)。 ある階まで行ってから階段がクルクルと回っている形式です。

 その次に多かったのがDタイプで、 ある階まで行ったら階段室が中央にあって部屋がそれを取り巻いているという形式です。

 あとは、 建物の後ろ側に通路があるもの、 真ん中に通路があって部屋が前と後ろに振り分けられているものなどがあります。

 住戸数で見ると、 EやFタイプのような中廊下型はどんなに戸数が多くても大丈夫というわけで、 大規模な建物に多い形式でした。

 C、 D、 Gタイプは比較的小さな建物によく見られました。

 そのほか「特殊タイプ」として、 いろんなタイプが入り混じっているものがありました。 例えば途中まではBタイプなのに角部分だけDタイプというのも随分ありました。


共用空間のあり方

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図37 屋上の利用
 管理人がいると、 その集合住宅では屋上がよく利用されます。 けっこういい雰囲気の所が多く、 緑化したり洗濯物を干したりベンチを置いたりと様々に使われています。 調査をしていても、 気持ちのいい空間でした。

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図38 小山ビル
 屋上がないビルでは、 共用通路をバルコニー的に使っています。 下がパン屋になっている西区の「小川ビル」ですが、 3階へ上がると南側にかなり広い通路があり、 そこでみなさんが洗濯物をほしたり緑化を楽しんでいました。

 このように共用通路をバルコニーとして使う例がたくさんありました。 最近よく「南側を共用通路にする」というプランを見る機会があるのですが、 それは最新の考え方ではなく、 昔の建築でもよく使われていた手法だったというわけです。

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図39 大阪上六ビル
 先ほどの併存住宅には中庭のあるプランが多いと言いましたが、 民間の建物でもこのビルのように中央に空間を開けているケースがあります。 このビルの場合は、 中央に8畳くらいの中庭をとってあり、 それを囲む形で住宅が貼り付いています。

 この頃の民間の集合住宅は屋外に通路をとる片廊下型の建物は22%ぐらいで、 ほとんどはこのように屋内に通路と階段を付けていました。

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図40 幸伸ビル
 「幸伸ビル」の外観は何の変哲もないビルなのですが、 中へはいるとこんな吹き抜けがあり、 上から下まで突き抜けていました。 この時代の集合住宅はいろんな工夫がされていて、 あちこちに穴を開けているプランがたくさんあります。

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図41 ミナミニューパンション
 屋内型の通路の事例です。 このビルは地下が車庫になっていて、 1階が運送会社、 その上階がアパートになっています。 中はこんな美しい屋内通路になっています。 上階に上がると洗濯場があります。 ある程度の規模の集合住宅になると、 洗濯場が必ず付いていました。

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図42 日吉マンション
 この「堀江マンション」は階段室をクルクル上がっていくと、 一面に写真のようなペインティングが施されています。 下階の方の絵は葉が小さくて、 上階に登るにつれ葉が茂っていくという細かい芸当をしています。

 階段室を屋内型にすることで、 建築家がいろんな工夫を施せる箇所が増えているという印象を受けました。

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図43 階段室の工夫
 普通は階段室を中心にドアがズラッと並んでいるものが多いのですが、 このように1階の階段を螺旋階段にしている例もあります。 螺旋階段を持つ集合住宅は4事例ありました。


70年以前の集合住宅の特徴

 このように見てくると、 併存住宅と同じように民間の集合住宅も街区にきっちりと揃えて建つ、 1階を店舗にするなど、 その頃の集合住宅のルールを踏襲していたことが分かります。

 そしてこの頃は廊下や階段部分で建築家がいろいろと腕を振るうことが出来たようです。 この様な内部空間をとても綺麗に作っている建物がたくさんありました。 もちろん中には、 町中の工務店が初めてRCを手がけたような「大丈夫かな」と思われる例もありましたが。

 防災面から見てみると、 とても危ない雰囲気のビルもあれば、 独特の工夫を施しているビルもありました。 長い廊下を通っていくと、 3階から消防署にあるようなポールが下まで通っていて、 いざというときはそれを使って1階に逃げるという工夫をしている集合住宅もあります。 法律が未整備な分、 様々な工夫をしながら設計されていたんだということがよく分かりました。

 もちろん、 この頃は集合住宅の誕生時期ですから何も決まっておらず、 どうすれば安全性と美しさが確保できるかをその頃出来る範囲で追求した建物です。 当時と比べ、 今は「こんな風に建てると容積率をボーナスしますよ」とか「前の方に公開空地をとれば…」など、 いろんな制度や制約に振り回されているような気がします。 1970年代までの方が、 集合住宅に関わるいろんな人たちの創意工夫で建てられていたのではないでしょうか。

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