吉野:
今日のお話は新しい情報が整理されていて面白くうかがいました。 ただ、 空間研究もいいのですが、 我々のような専門家集団や研究会がこれから取り組むべき課題としては、 いい空間づくりを阻む現実の問題に目を向けるべきではないかと思います。 歩道や河川空間や公園などの公共空間を欧米のような多様な使い方にしようという提案は、 もう20年も前から言われていることなんですが、 現状はそのときから何一つ進んでいません。
何かしようとすると結局は警察や施設管理者相手の戦いになってしまうのですが、 その戦いに今まで唯一勝ってきたのは「祭り関係」だけです。 岸和田のだんじり関係の人から「だんじりの委員長になった人は、 逮捕覚悟で警察と喧嘩するんや」という話を聞いたことがありますが、 それぐらいの覚悟をしないと祭りは続けられなかったといいます。
逆の見方をすると、 岸和田では道路を使ったイベント、 よその都市では出来ないイベントがすぐ出来るのです。 「警察のあの担当者はこういうふうに言うはずだから、 我々はこの作戦でいこう」というマニュアルを住民はたっぷり持っています。 しかし、 それでいいのかと私は思うんです。 対警察、 対管理者マニュアルやノウハウを住民が持ってないといけない状況はおかしいですよ。
私はこれからの公共空間は官から民へ委ねていくべきだろうと思います。 整備までは民がしなくても、 民が主導で維持し、 使っていくという流れを持ったらいいと思います。
そのために一番大事なことは何かというと、 「自己責任」です。 公共空間で何か問題が起きたとき、 今まで最高裁は「役所が悪い」としてきましたが、 民主導でいきたいのならもうそういう考えを改めて「自己責任」を負うべきじゃないでしょうか。 そういう考え方もJUDIのような専門集団が発言していくべきでしょう。 公共空間でイベントを行う地区の協議会や民間企業が「我々が責任をとる。 だから警察は入ってこなくてもいい」と明快に言える状況を作っていかねばならない時代だと思うのです。
今度の都市再生プロジェクトで「水の都」というのが出てきましたが、 あれの目玉は道頓堀です。 従来型の河川管理の規制を受けた道頓堀と規制緩和した時の道頓堀を比較したイメージ図があるのですが、 実際問題としては規制に手を着けようとすると大変難しいという話がいっぱいあります。 イメージとしてはみんないろんな絵は描けるのですが、 現実には実現できない絵なのです。 やはりそれを阻むものと闘っていくしかないのです。
今、 東京で「開発特区」という話が盛んに出ていますが、 私はむしろ「利用特区」「公共空間特区」といったことをJUDIから発言して欲しい。 関西からそういうことを発信してはいかがでしょうか。
澤木:
今、 吉野さんがおっしゃったお話は、 再開発地区計画のように協議型で町づくりをやっている中の公共空地の管理を民間が行っている場合によくあてはまり、 再開発地区計画がそれぞれの事業者が自己責任で何かをやっていくという仕組みをつくるきっかけになるのではないかという気がします。
さらにJIDIのような専門家集団が「大阪の船場、 島之内を利用特区にしろ」と発信していくのも楽しい話ですが、 やはり最初は実績を示していく必要があるように思います。 吉野さんが話していただいたお祭りの例などは、 道路交通法のところでも言いましたように、 ある程度警察との間で暗黙の了解があるようです。 天神祭りの関係者にもヒアリングをしましたが、 その辺はなかなか話してくれませんでした。 しかし、 長い伝統行事は、 そういう中で運営されている面があると思います。
時間をかけていけば、 今の法の枠組みの中でも警察との調整を重ねながら公共空間の利用を広げていけるかもしれませんが、 やはり警察が文句を言わなくてもいいような利用特区的な部分を法律の中でちゃんとつくっていく必要があると私も思っています。 吉野さんは20年前から進歩していないと指摘されましたが、 全くその通りでして、 根本を変えていかないと何年経っても戦いの場面は変わりません。
今、 まちづくりでは公と民の境がかなり揺らいでいる部分があって、 今後は空間の管理でも住民側、 民間側が公的な空間を担っていくことになると思うので、 それに合わせて制度も変えていく、 つまり「公共空間の構造改革」をやるつもりで考え方も変えていかないと、 日本人はずっと貧しい都市空間で過ごしていくことになるんじゃないかと危惧しています。
公共空間の維持・管理を民間主導でいくためには
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