岸田文夫:
前回フォーラムのワークショップでは「伝える」というテーマの担当で船場の問屋さんと色々お話し、 その後もおつきあいさせていただいています。
今日は彼らとのつきあいの中で少し思っている事と、 最近の船場問屋街における活動事例を紹介したいと思います。 船場を伝えたい、 既存ストックの活用
江戸時代から続く船場の町割と堀川 |
それに適塾や御堂さん、 難波神社、 神農さんなどの史跡や文化財もそうです。 船場センタービルや超高層建物などの巨大な構造体も今後はもう変わらないかもしれません。
一方「変わってしまう空間」としては、 失われていく近代建築や消えていく町並み、 廃止された小学校などがあります。
左:鴻池ビル、 右:旧西田三郎商店 |
「空間」を「遺伝子」と捉えた場合、 こういった空間が消え去ってしまえば街の記憶は寸断されるのかというと実はそうではなく、 形は消えても「遺伝子」は残るのではないかと思います。
一方「人」について見てみると、 変化しにくいとつくづく思うのは愛日・集英・芦池といった小学校の卒業生達です。 人も変わらないのですが、 船場に対する愛着や誇りといったものはなかなか変わらないでしょう。
逆に変化している部分としては、 旦那衆がどんどん少なくなり、 かわって起業家・クリエーター・SOHO事業者といった人達が新しく入ってきました。
この場合「街」というのは器で、 「人間」こそが情報を宿す「遺伝子」であると考えることができます。
最後に「人」や「空間」は変わったけれど「営み」は変わらないという意味では、 船場の「老舗」が当てはまると考えました。
私の独断と偏見で老舗を選んでみると、 だいたい船場の北の方に集まっているようです。
大阪問屋街活性化協議会(通称OTK会)は、 大阪市内の問屋街の人たちが横の繋がりがなかったため、 大阪市経済局の呼びかけで集まったもので、 経済局から3年間の助成を受けて共同研究を行った後、 研究ばかりしていてもダメだということで自分達で協議会をつくりました。
もともと商売をなさってる人達ですから行動力があり、 どんどん事業を打ち出しています。 11の参加団体と5つの賛助団体で構成されています。
OTK会の基幹事業のうち、 新聞などでもとりあげられた特に面白いものをご紹介しましょう。
「まずは船場に人を集めよう」ということでこの会は、 船場に住んでいるあるいは商売している人が、 外から多くの方に来てもらって自分たちの住む船場を楽しい街にしていこうという事でスタートしました。
毎年1回、 秋には賑わいの会主催の「船場 上方噺の会」という落語会を開いています。
平成12年10月のチラシを見ると、 米朝さんや春団治さん、 文珍さんといった錚々たるメンバーが集まっています。
話によると、 会長さんが大変な落語好きの方で米朝事務所とも親しく、 主旨を伝えたところ事務所側が協力してくれたそうです。 特に広告代理店などを使うこともなく、 7月に発足した会が10月にはもうこういった大きな催しを開いているのですから、 たいしたものです。
その他にもメンバーの中に音楽に詳しい方がいて、 時折堺筋にある弘得社(新井ビル)という古い建物で音楽会を開いておられます。
こういった所にかつて船場の旦那さん達が持っていた文化力の高さを感じます。
既存ストックを生かし街の再生をはかる試み
さてそういった事から、 「人」も「空間」も変わらないが、 「営み」を変えたいと考えて頑張っている問屋街の人達、 「OTK会」と「船場賑わいの会」の活動をご紹介します。 それから「空間」は変わらないけれど「人」が変わって「営み」も変化した例として「堺筋倶楽部」を後ほど紹介します。
1.おもろいカー事業
問屋街を巡る観光バスを仕立て、 地方商店街や修学旅行生に利用してもらおうという試みで、 OTK会が旅行業者に卸しています。
2.大阪ウィーク事業
大阪市内の問屋さんが連携して毎年秋に合同のバーゲンセールを開催します。 これまではそういう事はされていませんでした。
3.「問屋ナビゲーター」電子モール事業
インターネットを活用して、 OTK会の全ての事業を電子モールで発信しようという試みです。
4.めちゃハッピーコンテスト
これはTシャツのデザインコンテストですが、 入賞作はただちに製品化し店頭に並べるというところが船場ならではです。 若手デザイナーの育成に協力していきたいという試みです。
5.インターンシップ
デザイン学校の生徒などを問屋さんでインターンとして受け入れています。
船場賑わいの会
平成12年7月に発足したばかりの「船場賑わいの会」はメンバーも少数精鋭で、 ほとんどが船場の旦那衆の2代目さんといった感じの方ばかりです。
船場博チラシ |
単発のイベントをやっていてもなかなか活動が広がらず、 もう少し情報発信力の高いイベントをしたいという事で産業創造館と相談したところ、 話が盛り上がって実現したそうです。
SEMBA博の内容を紹介しますと、 産業創造館3階では「船場老舗うまいもん市」が開催されました。 メンバーに米忠味噌という老舗の方がおられて、 その方が船場の他の老舗に声をかけて出店してもらったそうです。
また4階では旭堂小南陵さんを招いて講談をしたり、 5階では船場に関心を持っている人たちのネットワークづくりの場として「船場活性化サミット」を開催したりしています。
船場におけるもう一方の動きとして、 前回のフォーラムの懇親会で訪れたレストラン「堺筋倶楽部・アンブロシア」を参考までに紹介したいと思います。
この建物は元は京都共栄銀行大阪支店でした。 経営破綻後に競売物件となっていたのを隣接地の企業が購入しました。 その後、 たまたま前を通りかかった川上さんという方がこの建物に惚れ込んで、 購入企業に再三直訴したそうです。
最初は門前払いだったそうですが、 かなり辛抱強く粘って、 海外からFAXで「ここにレストランができたら、 こういう家具を置きたい」と計画を書いて送ってみたりといったことを熱心に続けた結果、 最後には社長が「おもしろいからやらせたれ」ということで、 このレストランができたそうです。
この川上さんはまだ40代前半の方で、 北陸の温泉旅館の跡取りさんだそうで、 小さい頃から舌は肥えていたそうです。 自分のグルメ道を極めたいということで「トップ・オブ・シェフクラブ」という一流のシェフばかりを集めた美食クラブも作られています。
ちょっと趣味的な所もあるのですが、 本人はこの建物にほれ込んでいて、 今すぐ儲からなくても30年後に儲かっていれば良い、 老後はここに住みたいといった具合で、 長期的視点で経営していらっしゃいます。
堺筋倶楽部・アンブロシア
このような問屋さんの活動は、 古い人達の最後の頑張りでありますが、 やはり限界もあるように思います。
旧共栄銀行改装前外観
旧共栄銀行改装後外観
旧共栄銀行改装後のレストラン空間
旧共栄銀行改装前断面図 |
実際に店に行ってみると、 心斎橋とも船場の問屋街ともちょっと違う客層で、 どこからこういうファッショナブルな人たちが集まって来たのだろうという感じがします。
最初の方で「壊されていく近代建築」の話をしましたが、 こういう幸せな出会いがあれば残る事もあるという良い事例です。 こういった試みの一つ一つが、 堺筋ひいては船場を変えていく力になるのではないかと頼もしく思っています。
私の話はこれで終わらせていただきます。