街の遺伝子・その後
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街に住まう

 

小浦

 岸田さんからは、 人と街なみの変化のマトリックスの中で、 何が持続し、 何が変化しているのか、 変化させているのかということをお話しいただきました。

 形が変わっても持続するもの、 形が変わると共に変化するもの、 そういったいろんなものが積み重なる「かたち」に、 都心の環境デザインを考える上での都市の一つの見方が見出せるというお話だったと思います。

 続いては横山さんです。

 前回フォーラムでは「住まう」というテーマでお話しいただきましたが、 「住まう」と一口で言ってもファミリーで住むような形だけではなく、 都市の中ではもっと様々な住まい方あるいは使い方がなされています。 いわゆる住宅があるわけではなくても長時間都市にいる人達が沢山いて、 その人達が実は「普通に住んでいる」人達と同じ生活ニーズがあり、 同じような場所のつかい方をしているのではないでしょうか。

 今回はそのようなことも含めて、 少し新しい展開をしていただきたいと思います。


船場の街と人の変化

横山あおい

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愛日小学校現在
 前回フォーラムでは「住まう」というテーマを担当させていただき、 街中の写真を撮ったり、 ワークショップで船場に50年以上住まわれている愛日小学校出身の方々に集まっていただいてお話を伺ったりしました。

 岸田さんのお話にもあったように船場地区の小学校は愛日小と集英小が統廃合され、 現在は開平小の1校だけです。 愛日小学校の跡地は今は駐車場になっています。

 それでも愛日小出身者である船場の人達の多くが「小学校がコミュニティの核になっている」と語っておられました。

 小学校のお宝自慢や体育館が旦那衆の寄付でできた話、 市の助成で購入したのはパイプ椅子くらいだった事など、 当時船場に住んでいた人達がいかに財力があり、 かつ文化や教育といったアイデンティティのようなものにいかに力を注いでいたかというエピソードを沢山聞くことができました。

 一方、 子供や孫の世代を含めた「現在の住まい方」について質問すると「とにかく便利が一番、 だから都心居住が一番良い」という答えでした。

 子供の遊び場が無いのではと言うと「ビルの屋上や百貨店で遊んでいるからそれで十分」という話でしたし、 自然が無いことについては「休日ごとに郊外に行って自然を満喫したらそれでいいやん」という答えだったのには、 内心驚きつつも都心の暮らしぶりを実感することができました。

 私の勝手な解釈ですが、 一連のお話の共通点として「マイナスのエネルギーの残像」ともいうべきものを感じました。

 というのも高度成長期に船場で商売を続けながらビルを建て、 自分は郊外に住むという人が増えた時期がありました。 それでも、 船場に残ったのが、 現在の居住者なのです。

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中央大通り今、 昔、 出典:船場物語
 彼らの話では中央大通りができた頃から街の様相や人の感じが変わってきたそうです。  道が広がってまず向かいの顔がわからなくなり、 建物がビル化して高い壁をつくってしまったために視界が遮られ、 さらに知っている人が郊外にどんどん出て行ってしまいました。

 かつては「御堂さんの見える所で商売がしたい」と船場に集まってきたそうですが、 今ではビルが林立して御堂さんの見える範囲自体が随分狭くなっています。 昔は近くに感じていた所もビルで隔てられた事で遠くに感じるようになるなど、 都市の構造や周辺環境が、 コミュニケーションのとりにくい環境へと変化していったのです。

 このような変化を誰もが感じていながら、 ではどうするのかと聞いてみても、 住んでいる人達の興味は街へのアクティビティには向かわず、 子供の事など、 どうしても内に籠もる方へと向かってしまっているようでした。

 どんどん過去からの繋がりが細くなりつつ、 それを何とか保ちながら日々過ごしているという感じがしました。

 このことから、 都市の構造が人のコミュニケーションに大きな影響を及ぼしていると感じました。 それも徐々にではなく、 中央大通りのような構造ができることによって、 一気に壁が出来て好きな部分も見えなくなると、 もうエネルギーは内に注がれるしかないのではないでしょうか。


まちを歩いて

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植栽
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洗濯物
 前回のフォーラムで、 私は「住まう」というテーマで話すかわりに、 都心に住んでいる人の様子をとにかく沢山見てもらおうと300枚近い写真を集めて見ていただきました。

 その際、 船場の街をあちこち見てまわったときに、 「住まう」というテーマなんだから都会のビルの中に住んでいる残像をどこかに見つけようと、 無意識ながらも選択しながら撮影していたように思います。

 例えば屋上や窓辺の緑とか、 すだれや洗濯物が窓やベランダにかかっている写真を撮っては、 人が住んでいると勝手に判断していったわけです。

 
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自転車
 次に「住んでいる人」を撮ろうとしたとき、 まずは「自転車に子供を乗せている人」や「つっかけ履きの高齢者」「自転車に乗ってるおばちゃん」などを撮りました。 それはそのような様子なら遠くからは来れないだろうから、 きっと近所に住んでいる人だろうという判断です。

 このような作業を続けながら、 都会の道路は危険が多くて、 やはりこういう所で住むのは潤いがないとか、 表通りばかりだから曖昧さがなく普段着では歩きにくいと感じました。 私なら段々と表に出なくなって、 家の中で楽しみを見つけたり、 家族で行動するようになりそうな気がします。

 そうするとワークショップの人達から感じた、 内へ内へとエネルギーを注ぎこむ姿勢は、 実は都心の構造からできあがっているものなのかもしれません。

 もしその通りなら、 都心居住を引き戻してくれば街が再び活性化するという議論をした事もありますが、 引き篭ってしまう夜間人口が本当に街の元気に、 あるいは都市の活性化に繋がっていくのだろうかと疑問に思いました。


使う人が大切

 前回のワークショップでは「住まう」「伝える」「創る」の三つのテーマがあって、 それぞれ様々な方々にお話を聞かせていただきましたが、 その中でも「創る」というテーマでご登場いただいた南船場で活動されている人達のお話が特に興味深いものでした。

 元気のある方々で、 皆さん最近南船場に来て商売を始められたのですが、 自分自身の生涯や生き甲斐といった話から始まって、 「街の匂いを感じた」とか「この街をどうにかしたい」といった積極的な意見を沢山聞くことができたのですが、 しかし実は彼らはそこに住んでいないのです。

 「住む」という行為を除いて考えれば、 彼らは街をいろいろと使っています。 例えば道を掃いたり、 水を撒いたり、 誰かと集まってみたりという事が日常的に行われ、 コミュニケーションが繰り返しとられていった中で、 イベントをしようという話になったりしたわけです。

 そのような話を伺っていると、 夜間人口として単に都市に「住んでいる」人よりも、 街として「使っている」人の方が、 実は街の元気には結びつくのではないかと思いました。

 私の場合も堀江に事務所がありますが、 自宅より事務所にいる時間の方がはるかに長いのです。 自宅のある街よりも事務所のある堀江の方が、 郵便局も使うし買い物にも行くといった調子で、 はるかに沢山「使っている」のです。

 そこでどちらの街が「住んでいる」感じがするか、 あるいは自分をとりまく環境への投資という意味で、 もし市民税を払うとしたらどちらの街かと考えると、 私は事務所のある街へ税金を払うから、 その分を環境として返して欲しいと思いました。

 それから私は夕飯なども事務所の電気調理器で作ったりしていますから、 会社の近くのスーパーをよく利用している分、 どこのスーパーが安いかといった情報を自宅近くのスーパーよりもはるかによく知っています。

 また自宅の近所のおばさん達よりも、 会社の近くの喫茶店のママや洋食屋のお姉さんとの方がはるかに話をします。

 さらに事務所のあるここには、 には高校時代の友達が住んでいるので、 日曜に仕事していて、 ふらっと遊びに行ったりということもあります。

 ここには公園があって花見もできますし、 とにかくここの方が生活している感じがするのです。 夏になると来るわらび餅屋さんや、 最近近所の氷屋が始めたかき氷の繁盛ぶりや、 クリーニング店の衣替えについての張り紙で、 季節を感じたりしているのです。

 つまり自分が生まれ育った街よりも、 はるかにこの事務所のある街の方がよく知っていて、 よくわかっていて、 よく使っているのです。 大げさに言うと、 自分の自宅は別荘にすぎず、 実際はオフィスで生活しているという気さえします。

 それでも、 夜間人口としてカウントされるのは自分の家なのです。 南下ちょっと違う気がしています。

 「住まう」というテーマで船場の街について考えるとき、 私のような街を「使っている」人間も都心に「住まう」人口としてカウントされてもいいのではないでしょうか。 「都心人口」というのは夜間人口だけのための言葉ではなく、 こうした人も含めるべきだと思います。 そうなると都市のあり方も少しは違って見えてくるような気がします。

 例えば、 住宅は南向きだけど事務所ビルは効率的に北向きが良いというのもちょっと違う気がしますし、 住宅地には表通りも路地もあるけれど、 オフィスは表に面しているだけで良いとは言えないかもしれません。

 「住まう」というテーマでフォーラムの準備をさせていただいたときに、 私はこのような事を感じました。 以上です。

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