では「見えない都市」に対して、 我々は何をしているかと言うと、 もがいているというのが正直なところじゃないでしょうか。 阿部公房じゃないけれど、 存在しているのに存在していないとか、 見える風景が無くなる状況はとてもつらいことですから、 みんないろいろ考えています。
その中のひとつの考え方が、 「環境進化論」です。 環境はどうしても変化しながら進化していくもので、 風景の喪失は進化過程における一時的な現象だという考え方です。 近代化や工業化はいわば大きな気候変動のようなもので、 都市を作るためにはそのプロセスを乗り越える必要がある。 おそらく、 それが行き着く極相がコルビュジエが提示した「輝く都市」だったんじゃないでしょうか。
コルビュジエの「輝く都市」は、 21世紀の今では「これは20世紀の初め頃の話で、 もはや過去の思想だ」と言われることが多くなったのですが、 実は私は今でもこのモダニズムの大潮流が主流として流れていると思っているのです。 ポストモダンが騒がれたこともありましたが、 今建ち上がるいろんなプロジェクトを見ると、 コルビュジエが活躍した頃の建築の雰囲気や図面にとてもよく似ているのです。 ひょっとすると「新機能主義」が台頭してきたのかなと思わせられるところがあります。 60年周期説もありますが、 それが出てきても不思議ではないなと感じています。
さて、 そういう進化の果てに、 都市はどう収斂していくのか。 合理化の果ての均質空間なのか、 多様化の果てのカオスなのかは、 議論の分かれるところだと思います。