時代が見たい風景とは
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4. 詠む都市風景

 

 次に紹介するのが、 「詠む都市風景」あるいは「見いだす都市風景」という考え方です。 見ようとしない結果としての風景喪失だという考え方なのですが、 私はこの立場には二つあると思っています。


死を前にすると風景が輝く

 ひとつは、 ある種絶対的とも言える立場から見ることです。 芭蕉の〈笈(おい)の小文〉の中の「見る処花にあらずという事なし、 おもう処月にあらずという事なし」という一文がその典型でしょう。

 見る気になれば何だって花に見えるんだということで、 荘子の「万物斉同」の考え方に通じるものがあります。 芭蕉のような詩人だけでなく、 死刑囚や死の床にいる人などが時にそういう絶対的な心境になるようで、 そういった人たちの手記にはよく「何気ない風景が輝いて見える」ということがつづられています。 つまり、 死という絶対的な隔たりを前にしたときに風景が輝いて見えるというわけです。


眼は進化する

 もうひとつの立場が「眼も進化するのだ」という立場に立つことで、 これには「n次産業時代には(n-1)次産業がレジャー化・風景化する」ということです。 つまり農業以前は山や海で狩猟をしたり木の実を採取していて風景をめでる余裕はなかったけれど、 農業の時代になると一時代前の環境が風景として立ち現れるということで、 工業時代には農村風景が立ち現れたし、 今の脱工業時代には工業環境がテクノスケープとして立ち現れるという考え方です。

 我々人間の眼が進化していくことで、 風景を詠めるようになることもひとつの考え方としてあるように思います。

 眼の進化論という考え方に関しては、 柳田國男の「風景の成長」(定本柳田國男集第2巻)という文章がそれをよく表していると思います。

 「我々の好風景の標準は前代の絵であり、 文学であり、 しかも往々にして外国のそれであった。 何でも描き出すだけの力を持ちながら、 いつも時代を遅れてやや古い頃の天然を崇拝し、 それと一致しなくなった眼前の変化を軽んじようとしている。 現世が果たして美しいもの多くを失ってしまったかどうか、 それもまだ確かには答へられぬのだが、 仮に自然の力が稍退嬰したとすれば、 いよいよ以って残り留まるものを尊重すべきであった。 少なくとも我々の前にあるものは新しく、 又現代の生活は適切である筈だが、 今ある芸術はまだ其片端しか説き表はそうとして居ない。 自分自分の目を以て耳を以て、 もう一度感じ直さなければならぬ所以である」と書いた後、 「全体に今は少しく「読む」ということに偏している。 この拘束を抜け出して、 改めて生存の意味を学び知るために、 旅でも散歩でも、 とにかくもう少し歩くことが必要だと思う」と提言しています。

 要するに、 見方を変えなさいと言っているわけですね。 柳田の考えに従えば、 風景を失うことは「生存の意味を失う」ことだったようで、 彼は風景についていろんな考察をしています。

 川端康成の「浅草」(1930、 読売新聞)も戦前に書かれた文章です。

 「浅草へ通ひ出してから、 銀座は明暗も変化も乏しい薄っぺらさに見えて、 歩く気もなくなった。 河岸を調べるために一銭蒸気に乗り、 浅草千住間の江東に度々上陸して、 工場地帯を歩き廻ってもみた。 そこだって銀座よりは面白い。 そこの風景や生活をなぜプロレタリア作家が生かして書かないのかと、 僕には不思議だった。 僕にこの大河を渡る力があればよいと思った」。

 川端康成のように日本の伝統の美しさを継承していると見られた人でさえ、 こういうことを言っているんです。 作家だけでなく、 その頃の画家も工場地帯を風景としてとらえた作品を描いており、 戦後も、 そうした視点は継承されていきます。 そのなかではクレーンが林立する風景や鉄橋の鉄骨の存在感が描かれ、 「お化け煙突」と呼ばれた墨田発電所も描かれています。

 一方、 日本が戦後復興が終わって高度成長に入ろうとする頃になると、 乱雑でジャンキーな日本の都市の様子を描いた三木淳の「無計画都市」(1955)といった作品も出てきます。 そこには車と人と看板が乱雑に溢れる街の様子が写し取られていました。

 さらに1981年には都市の断片をコラージュした東松照明の「乱反射都市」という作品も出てきました。 これもひとつの風景写真として提示されています。 1990年代になると、 こんな写真が建築雑誌にも登場するようになりました。

 さらに中村良夫さんらが編集した土木の本『テラ』では、 人工的で自然破壊の元凶と見られている建築や土木の構築物が美しい風景写真のように提示されています。 そのほかの作品もふくめて、 鉄骨の大クレーンや橋梁の鉄骨だけではなく、 巨大なタンクの上のバラックのような小屋や、 崩れかけた工場建築、 コンクリート護岸、 巨大な擁壁、 干潟に散らばった何かの破片のようなものなども、 構築物として実に美しいではないかと問いかけているかのようです。

 こうした一連の作品は、 (土木・建築がつくりだした目の前の現実が)我々が見方を持ってないから風景として立ち現れないのだということを示していると思います。 こうした考え方が、 「見えない都市」に対応する2番目のやり方です。

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