時代が見たい風景とは
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「見えない都市風景」に対応する3番目の考え方が、 「見えないなら見えるように都市風景を作ればいいじゃないか」というもので、 私はこれを「装う都市風景」と題しました。 この考え方の問題点を指摘すると、 装うことで都市風景は回復されるのですが、 それと引き換えにリアリティを喪失してしまうことです。 いわゆるディズニーランド化ということです。 「見えない都市」を逃れようとしたら「見え透いた都市」になってしまって、 今度は見えすぎてつまらないことになってしまう。
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新宿歌舞伎町
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Seaside(米・フロリダ)
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しかし、 「装う都市風景」の考え方は、 現在の都市風景においては大きな流れとして存在しています。 我々の都市への関わり方からしても、 戦後ずっと続いていた「理想を実現する計画の時代」から「虚構を演出するデザインの時代」に移ってきているようにも思います。 (「都市環境デザイン’97」参照)
経済の流れの中で集客都市論とか都市観光、 あるいは経験経済の時代といったことが言われていますが、 この中から「時代が見たい風景を探る」プロが出てきているのです。 マーケットリサーチをして、 高度情報化社会の欲望調査をして「物語り消費」のシナリオを作り上げているのですが、 その行為が大きな経済的な流れになっているようです。
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カトリック・ルーヴァン大学本部
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ルーヴァン・ラ・ヌーヴ
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海外の都市も、 今や「装う都市風景」の流れの中に入っています。 繁華街だけでなく、 別荘地や住宅地も「みんなが見たがっている風景を提供する」という流れになっています。
これは一般の「装う都市風景」とはちょっと違うのですが、 ルーヴァン・ラ・ヌーヴに設置された新しい大学が400年の歴史を持つカトリック・ルーヴァン大学と分離したとき、 そのキャンパスを中世の伝統的な大学都市として再現したものです。 詳しくは『13人が語る都市環境デザイン』で紹介していますので、 ご覧ください。
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浦東新区の新興住宅(中国・上海)
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旧フランス租界の集合住宅(中国・上海)
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上海では、 日本よりも徹底して「みんなが見たがる風景」を住宅地で提供しています。 こうした事例を私なんかは「ポストモダンだなあ」と認識していたのですが、 「いや、 これはプレ・モダンだよ」と指摘する人もいました。 考えてみると戦前の上海のフランス租界でやっていた建築づくりとほとんど変わらないんです。 プレ・モダンという指摘ももっともです。
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人工芝の分離帯
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この事例もひとつの装いと言えます。 工業化社会はどうしてもこんな光景を生み出します。 つまり、 あらゆる製品がすべて何かのコピーになっている状態です。
今の社会は経験経済、 変身経済が進行している時代だと私は思うのですが、 それに関連して「ステージ化」、 つまり思い出に残るとか感動が需要を呼び起こすということが経済の重要な源になっている状態ではないかと考えています。
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