「見えない都市」に対応した5つの考え方を紹介しました。 最後に、 では全体としてはどう見えるかの話をして締めくくりたいと思います。
まず正直な感想としては、 都市風景モデルの終焉かなあという気がします。 ピクチャレスク、 ボザール、 輝く都市など今までいろんなモデルがありましたが、 その後に出てくるものがない。 あえてモデルを探せば、 「見え隠れする都市」ということになるでしょうか。 いずれにしてもそれは、 「見えない都市」と「見え透いた都市」の間にありそうに思います。 また、 〈なる〉風景(進化論的な話、 極相の都市風景)と〈つくる〉風景(装う、 アート、 作法の都市風景づくり)の間にもありそうです。
〈環境〉の進化と〈眼〉の進化のずれは、 都市そのものが何らかの極相に行き着き、 眼がそれに追いつくまでのずれであって、 全体としては風景の進化論につながっていくと思います。
同じクリエイティブな話で、 クリエイティブに〈詠む〉風景とクリエイティブに〈つくる〉風景はどう関わるのかを考えてみると、 どうも中村良夫さんや篠原修さん等の言う「連句都市論」がこれに関係しているようです。 つまり、 与えられた物を創造的に詠みながらそれに対して創造的に応えていくという話です。
最後に、 コマーシャルになりがちな〈装い〉と地味にやっていく〈作法〉の間にも、 見え隠れする都市があるんじゃないかと思います。 世阿弥の「秘すれば花」、 近松門左衛門の「虚実皮膜論」と関係してくるようにも思います。
「間に何かがある」という考え方の事例として、 レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」の文章をあげておきます。 都市は進化的な話と美的創造の両方に等しく関わっているとし、 「自然としては客体であり、 同時に文化としての主体」であるのが都市だと言っています。 そして最後に、 そうした都市が「優れて人間的なものなのである」と結論付けているところが、 私はすごく面白いと思います。
都市を人間に置き換えても、 全く同じ事が言えます。 人間は体だけ見れば大自然なのですが、 同時に文化の主体でもある。 都市も自然の存在でありながら、 文化の主体であるというレヴィ=ストロースの考え方はとても面白いと思います。
さて先ほどご紹介した西川一草亭のことを柳田國男は随分気にかけていたようで、 「西川一草亭主人のまだ健在であった頃、 私は幾度かこの一つの問ひを携えて、 門を敲かうと企てたことがあった。 風景は果たして人間の力をもって、 之を美しくすることが出来るものであろうかどうか。 もしも可能とすればどの程度に、 之を永遠のものとすることが許されるか」(「美しき村」昭和15年)。 文章からおわかりのように、 柳田が問いかける前に西川一草亭は死んでしまったのですね。 柳田がこの問いを考え続けた戦前から現在に至るまで、 我々はこの問いをずっと引きずっているのではないでしょうか。
では柳田が西川に問うたとして、 西川はどんな答えを返したでしょうか。 もしかするとそれにヒントを与えてくれそうな資料を見つけたので紹介します。
「都会の風致が並木によっていつでもよく成るように思っているのは浅薄な考えである。 電車の走るところには電車に伴う風致があり、 ドブの様な悪水の縦横に流れる大阪にはその悪水に付随した大阪特殊な風致がある。 夫を殺風景だと言ってドブを埋め広告をはがし、 電柱を引き抜いて市街の到るところに並木を植えたって都市の風致はよくなるものではない。 よくなっても面白くはならぬ。 感覚の遅鈍な人はそれで満足するかも知らぬが、 現世の色彩に対して強い熱情を持ったものはそんな単調な世の中には住みたくない。 自分はどうかして広告の取締法なんかやめてもらひたいと思ふ。 そしえもっと熾んな広告の中に都市の空気と色と彩と匂の濃厚に成って行くのを飽くまで玩味したいと思ふ」(屋外広告論」1932)。
けっこう、 とんでもないことを言う人だったようです。
多分、 柳田國男はこういう文章を読んだ上で「風景は人間の力で美しくすることができるか、 可能ならそれをどの程度永遠にできるのか」と問いを発したことと思われます。 風景の問題は昔から手に負えない問題だったようです。
これで、 私の話を終わります。
8. 都市風景論の風景
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