時代が見たい風景とは
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時代が見たい風景とは

環境機械論の終焉に向けて風景モデルは可能か

ウエノデザイン 上野泰

 

 今、 丸茂先生から風景に関わる非常に広範な問題をお話しいただきました。 引き続き、 私が話す今日の話題は大きく分けて二つあります。

 ひとつは、 何を議論しようとしているのかの確認です。 もうひとつは、 何故その問題を議論しようとしているのかの整理と確認です。

 丸茂先生にお話しいただきましたように、 風景の問題は我々の中でとても幅広く使われている言葉です。 風景をめぐって議論するとすれば、 我々の何をもって風景とするかをお互いに了解した上で議論をしないと、 言葉のすれ違いに終わることが危惧されます。

 そこで、 この問題を整理するため、 議論のポイントを四つに分けました。

     
     (1)「風景」と「景観」
     (2)「風景」と「風景論」あるいは「風景モデル」
     (3)風景の時代? 時代が見たがる風景とは−〈亀裂〉の時代としての「今」
     (4)「風景モデル」は可能か?
 
 まず最初に「何を議論するか」を議論しておきたいと思います。 (2)でも「何を議論するか」が問われます。

 そして(3)では、 何故風景という問題を取り上げようとしているのか、 そういうことが議論できるのかを考えてみます。 そして最後に、 我々は風景モデルを持つことが出来るのかを考えてみたいと思います。

 このように、 私の話は議論のための問題整理に焦点が置かれているとご理解下さい。

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