第二点目にあげたい論点は、 私的な契機によって立ち現れる風景と今日議論しようとしている風景モデルあるいは風景論など社会に発信される風景の問題はまた違う問題だということです。 それをここで整理しておく必要があると思います。
『風景の死滅』 田畑書店 1971に所収 など)こうしてみると、 日本社会が節目を迎えて今までのシステムが行き詰まり、 次の展開をしていこうというときに風景論は出てくるようです。
そういう意味でも「今」風景を論じる時代であるかどうか、 という論点が出てくるのではないかと考えます。
まとめてみると、 2番目のポイントは風景と風景論は違うものなのだということです。 風景は個人的なものであり私的なものですが、 風景論はある社会的な危機感をバックにして社会に発信されるものです。 風景論で求められるのは、 個人の風景ではなくて「我々の」という共同幻想を支える美的な空間イメージ、 あるいは環境イメージです。 一種の偶像としてそれを求めるのが、 風景論あるいは風景モデルなのです。
2.「風景」と「風景論」あるいは「風景モデル」
風景論は社会が不安な時代に登場する
社会的に発信される風景論、 風景モデルは、 冒頭の松久先生のお話の中でも「不安な時代」という言葉が出ましたが、 ある社会的な亀裂や危機が生じたときに生じてくるようです。 建築家の松畑強さんによると、 日本の風景論の隆盛は明治以降、 3回あったそうです(『ランドスケープの認識論』10+1 No.9 Inax出版)。 最初は日清戦争後です。 明治20年代に志賀重昂という人が『日本風景論』(初版1894、 講談社学術文庫に収録)という本を著しています。 2回目は、 日中戦争から第二次世界大戦に突入していく昭和10年代です。 この頃、 脇水鉄五郎 (『日本風景誌』1939)、 上原敬二(『日本風景美論』 1943)などが日本の風景についての論を出しています。 3回目は、 ベトナム戦争が終結しかけた1970年代です。 日本が高度経済成長に突入した頃に、 やはり風景論が出てきました。 (松田政男 『風景としての都市』
風景と風景論は違う
常に風景論は、 共同幻想として社会の美的基盤のあり方を語るものでした。 歴史的に3回の風景論が出てきたときには、 工業に対する農業の景色や環境が美化されて出てくるのが通例でした。 では、 今語られている風景論はどうなっているのかが問われることになると思います。
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