葛藤の都市環境デザイン
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プロジェクト周辺とのかかわり

 

 このプロジェクトが完成してからあらためて見に行ったりして今から思う反省点と、 小倉全体を見渡して思ったことを述べたいと思います。

 私が携わった部分はマイタウン・マイリバー事業の一部だけで、 事業はずっと継続しています。 ところが、 別の工区はまた違う方々がデザインされるし、 市役所の担当者も変わっていくため、 全体を一人の人間が見ていないのです。

 やっている当時から思っていたのですが、 何か大きな流れは作っておかないと、 たとえ川一本でもまっとうな統一性みたいなものが無くなってしまうのではないかと疑問を感じました。

 また今小倉城の前を再開発してジャーディの設計による、 キャナルシティパート2といった感じのものができつつあります。 もちろん都市デザイン課に行って色や高さについても検討されているのでしょうが、 彼の設計がどういう位置づけなのかよくわからず、 大きなものがぼこっとできてしまうと、 その他の周りの計画が全て飛んでしまうような感じで、 これはいかがなものかと思います。

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市民に親しまれる公共デザイン? コンセプトとデザインが空回り
 もう一つ小倉には「太陽の橋」という橋があります。 この橋の歩道の舗装部分にはひまわりの絵が描かれていて、 地上を歩くとひまわりがちょうど丸く見えるようになっています。 また車道側には等間隔で彫刻が立っています。

 ここに行くと、 この茫漠とした空間は何なのだろうと思うわけです。 私などは、 いつもここを歩くたびにムンクの「叫び」のような状態になってしまうのですが、 このデザインはちょっと空回りだったのではないかと思います。

 このことについて、 偶然小倉出身の作家の方が詩を書いておられるのを見つけたので、 ここでご紹介したいと思います。

     
     「橋」
     この橋を渡らなければならない
     その絶望と喜びが欠けている
     その橋を渡ることができる
     その侮辱と解放が欠けている
     
     ここは故郷ではない だれの故郷でもないがゆえに
     無感情にいくつもの環境が結びつけられる
     憎しみもなく
     いとおしさもなく
     
     火の橋、 木の橋、 太陽の橋、 風の橋
     具体的な名前をつけられ抽象化する橋の怒りのように
     この橋の下に一台の自転車が沈んでいる
     ほこりが錆のようにつもっている
     
     私が思い出すのは、 そのねじまがった形と、
     遠くにある貨物線のための鉄橋
     その名前のない橋
     つめたく響く音、 川で渡って来る音
 
 この詩の中では、 この「具体的な名前をつけ抽象化する」というくだりと、 その向こうにある「名前のない鉄橋」との対比が重要ではないかと思うのです。

 私は小倉市民ではありませんが、 記憶に染みつくものというのは、 やはり名前をつけてどうこうというものではないという気がします。

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人と場所の関係性をデザインする
 それについてさらにヒントになるようなものを、 同じ北九州市に見つけました。

 これは小倉ではなく景観整備で有名な門司港です。 港に一本の「仕切り」が入っていまして、 夏場に子供などが入れるようになっています。

 いいなと思うのは一カ所スリットが入っていて、 自然の海水が入るようになっているところです。 潮位が上下しますのでそれに合わせて階段もできたりします。

 名前などなくても人と場所との関係をそのままデザインしているようだと感心しています。

 もう一つ感心するのは、 普通こういうものを造ると、 北九州の海はそんなにきれいなものでもないので、 「子供に何かあったらどうするんや」といった声が必ずあがるだろうと思うのですが、 そういうものを乗り越えて、 北九州市市民は北九州の海とつきあっていくしかないんだと主張していることです。

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