古の中のアヴァンギャルディズム
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伝建地区・美観地区の歩み

 

中戸

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倉敷市都市計画図部分(倉敷市)
 今日は、 江戸時代から倉敷の中心だったこの伝建・美観地区を含め、 倉敷市が今日までどのような都市計画に取り組んできたかをお話しするとともに、 町並みを保存していく上でどのような問題が起きているかにも言及していきたいと思います。

 まず、 この伝建・美観保存地区については、 地方自治法に基づき、 倉敷市独自の伝統美観保存条例を昭和43年の制定したことが、 この町並みを保存する取り組みの手始めになりました。 その後、 昭和53年には文化財保護法に基づいて、 伝統的建造物の保存地区条例を制定しました。 そして1年後の昭和54年に、 都市計画法による伝統的建造物群保存地区の決定をいたしております。

 その後30数年にわたって伝統美観保存条例と、 地区の皆さんの涙ぐましいご努力で町並みを保存してまいりました。 ところが、 数年前に美観地区内で、 3階建ての店舗ビルの建設計画がもちあがり、 建物の外観意匠と高さ等が美観地区にはそぐわないのではないかという問題が発生しました。 この問題から伝統美観保存条例だけでは、 その建築を止める法的な裏付けがないということがはっきりしました。 行政としてみれば、 保存条例を制定していれば市民の皆さんが協力してくれるだろうという思いがあったのですが、 別の言い方をすれば甘えていたと言えるかもしれません。 そんなことがあったので、 平成12年3月に建築基準法に基づいて倉敷市美観地区の景観条例を制定し、 同時に都市計画法により美観地区としての都市計画決定もし、 今後に備えるという形にいたしました。

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