古の中のアヴァンギャルディズム
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伝建・美観地区以外のまちづくり

 

 倉敷地区から見ると、 伝建・美観地区は0.2%のエリアでしかありません。 倉敷のエリア全体から見ると、 0.06%のエリアでして極めて狭く、 他の地区の取り組みと関連して考えると大きな課題を残しています。

 この倉敷市は、 明治24年に山陽鉄道が出来たとき、 駅へ向かって北へ北へと発展していった地域です。 伝建地区は駅から南へ600m歩いたところに位置しますが、 この距離は人が心理的に抵抗なく歩ける距離だということです。

 ただ倉敷市も他都市と同じように1960〜1970年代にモータリゼーションの急激な発展に見舞われ、 新しい都市問題が発生してまいりました。 具体的には、 道路整備を始めとする基盤整備が遅れてしまい、 倉敷駅周辺の再開発事業が昭和55(1980)年に行われるまでは、 伝建地区に車で来ることができないという状況でした。 今は南北が自由に行き来できるようになっていますが、 基盤整備の遅れは長い間の課題でした。

 今の倉敷全体の問題をあげると、 郊外のスプロール化があります。 また市街地では、 駅周辺を再生する必要があるのですが、 問題山積みの現状からすると、 次の世代に任すしかないのかという思いもしています。 基盤整備の遅れは大きな問題です。

 1980年代の後半のバブル期には倉敷市の地価も高騰し、 中心市街地に高層の建物が建つようになりました。 それが伝建地区から見えてしまうのです。 景観に支障を来す建物を排除するため、 平成2年に「背景保全条例」を制定して対応しました。 その後は部分的に小さいトラブルはあるものの全体を揺るがす大きな問題は起きていません。

 今日では景観について、 市民の関心も高まっています。 今年(2002年)4月に倉敷市は中核都市となり、 屋外広告物条例の権限が市に移ってきましたので、 今後は倉敷市独自の景観を守るための手だてが出来るのではないかと期待しているところです。 もちろん、 これらのことも市民の声を反映して取り組んでいくことですが、 市が独自に考えていける環境が整ったことはいいことだと思っています。

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