2)私の35年と都市のデザイン
― 仕事一筋の時代
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これは小泉製麻レンガ倉庫の再生利用プロジェクトですが、 震災で全壊しました。 もし昼間地震が起きていたら大変な事になっただろうと思います。 このプロジェクトは私にとってはストックをテーマにした渾身の仕事でしたが、 被災したことがそのことを一層重く、 より真摯に考えるきっかけになりました。 ストックというものはそう軽々しくできるものではない。 「モノ」をストックしていくには、 ある意味で命懸けでそこに価値を認める思い込みが求められる。 ストックを前提としている都市や国はもちろんただの流行でやっているのではなく、 大変な覚悟をしているのだという事を私は今改めて噛みしめています。
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こちらは中之島中央公会堂で一晩だけライトアップの実験をしたときの写真です。 このライトアップされた風景一つで、 壊すと決まっていた中央公会堂を、 壊すのはもったいないというふうに流れを変えたというのは言い過ぎかもしれませんが、 見直させるきっかけになったことは確かでしょう。 今もほぼこれに近いライトアップをしていますが、 今私にやらせてくれたら「あんな下手な事はしない」「もっと上手にしみじみとしたライトアップをやるんだけどなあ」と思っています。
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オープンモール 徳島市銀座商店街 |
元々アーケードは無かったのですが、 それをここにかけようかと真剣に悩んでおられたときに私達が入っていって、 アーケードなんかやめましょう。 それよりこれを機会に街並みを整理しましょう。 そしてまわりの建物にも波及させましょうと訴えまして、 かなり強引にオープンモールにしてしまったというものです。
またここは車道と歩道とに分かれた道路構造になっており、 道路交通法もそれに従って適用されるという事で、 実に難解な謎解きをしながら計画を進めていきました。
ところが現在は自転車が放置されていますし、 モールの中央部に植わっていたケヤキは枝がずたずたに切られて、 とても美しいケヤキの形とはいえない状態です。
私としても本当にオープンモールで良かったのか?と思いますし、 あるいはオープンモールは良いとしても、 このケヤキが良かったとはとても思えません。
実はここの道路幅は11mなのですが、 伊勢佐木モールは14mあります。 この3mの差が結構大きかったのではないかと思っています。
オープンモール計画を通して、 私は「都市の自然」をいかに大事にするかという一つの大きなテーマに出会いました。 またそれと同時に、 都市のオープンスペースをがんじがらめにしている道路行政や法制度といったものを、 いかにソフトに崩していくかという戦いを挑んでいきました。
これについては、 いせざきモールのプロジェクトの報告を見て頂ければわかるのですが、 そこにはいかに法制度と戦ったかということが綿々と書かれています。 それは行政側と戦ったというよりも、 行政も戦ったのです。 行政自身もいかに法制度を解釈し緩めていって新しいスペースを創っていくかという事を考えた時代だったわけです。
最近のオープンモールを見ますと、 我々があれほど一生懸命やったことが、 あっという間に普通になってしまいました。 それもあのときの戦いの意味があったからこそだと思っています。
シンボルロード整備事業 徳島紺屋町 |
ここは元々3車線プラス駐車帯だったのですが、 車道を片側二車線に縮小しました。 当時のオープンモールでは車道をいかに縮小できるかが大きな課題で、 具体的には交通量の計算や警察との折衝などに大きなエネルギーを費やしました。
同上 路盤 |
当時どこのオープンモールでもそのような事をやっていましたが、 実際にやってみてすぐ、 「道路でこういう事はやってはいけない」と思いました。
これが商店街のモールであれば商店主が皆で出資し合ってつくるもので、 その維持管理は商店街がやりますから20年も経てば取り替える事もできる一種の「装い」のようなものと言えますが、 シンボルロードと呼ばれるような公共空間でこのような事をするのは良くない。 特にエイジングの良さが期待できないタイル張りは本当に良くないと、 ここを手がけた事で考えさせられました。
シンボルロード整備事業 堺市大小路通り |
ここでは、 少なくともタイル張りは止めようという事で、 自然石とレンガを敷きました。 レンガは全部厚みが60mmはある本物でしたが、 どうしても小端立てではできずに平(ヒラ)で敷きました。 するとやはりレンガが浮いてきたり割れたりしました。 やはりレンガを敷くときは小端で考えるのが原則だと感じました。 ヒラでは、 「張る」と言うべきで、 小端立てで初めて「敷く」と言えるのではないでしょうか。
ただこの計画では、 割れてもそのまま使えるものがストックだという事でそれなりにストックにこだわったデザインではあったのです。
歩道のレンガ敷きとモニュメント |
トータルに考えるという視点が抜けていた事がこれを見るとよくわかります。
岡山市文化シンボルゾーン 計画図 |
イタリアの街はもちろんストックを前提とした都市ですが、 そのようなストックの都市には必ずチェントロ・ストリコ(Centro Storico)、 歴史的中心市街地というものがあります。
しかし日本ではそれがどんどん崩壊しているという状況でしたので、 いかに日本でチェントロ・ストリコを作れるか、 というテーマが自分の中にありました。
そこで岡山の旧城下町の範囲をチェントロ・ストリコとして守っていきましょうという提案をしました。
このエリアは岡山市の歴史的都心であり、 またこの地区の中には岡山県庁舎などの官公庁舎、 学校、 東洋文化美術館などの公共施設が沢山あり、 岡山で一番古くて由緒のある商店街もあります。
そこで、 そういった公共施設の庭や空き地を解放していくことによって、 街を一体のものとして繋ぐオープンスペースの連続をつくろうと提案しました。 市もこれならすぐやれるということで採用され、 それぞれの部局と相談しながら、 この地区でやる事業をリストアップしていきました。
岡山市文化シンボルゾーン |
今行くと、 このエリアは岡山市文化シンボルゾーンという名称で見事にできています。 日本人の大好きな緑や水、 歴史ある施設、 そして新しい施設が一体となっていて、 皆さんも行かれれば本当に良い街だと思われると思います。
再開発事業 吹田北口 |
再開発事業 吹田北口 駅前広場 |
それから震災後に同じ再開発の手法を使って再建マンションに取り組みました。 これは再開発の再開発という事がやがて必要になってきたときにどうするかという問いへの一つの答えにもなりました。
再開発事業は既存の街の何倍にも容積を上げ、 ボリュームを大きくして生み出した床を売却する事によって成り立っているわけです。 しかし再建マンションの場合は基本的には容積を増やすことなく、 自己負担で再開発をすることになります。 自己負担、 自己責任で再開発をやるまちづくりというものが、 これからは必要だと思いますが、 再建マンションでその経験をしたことになると思います。
また同じ震災復興プロジェクトで六甲道駅南口の再開発があります。 今ここにおられる有光さん、 森重さん、 江川さん、 斉藤さんなど沢山の仲間とやりました。
これは非常に大きなプロジェクトで、 このように沢山で携わったものですから、 ただでさえめちゃくちゃなデザインになりがちな再開発が、 大変な事になるということで、 デザインコードを持ち込んで皆で調整しながら進めました。 この手法を取り入れた事は私にとって素晴らしい経験になりました。
OBP |
コルビジェの絵 |
まさにコルビジェのこの絵を半世紀後につくったということがわかります。 つまり半世紀遅れで近代都市計画が日本でやっとできたというわけです。 そういう位置づけとして見ていただければと思います。
ビッグステップ |
入口大階段 |
その頃私はアメリカ村に毎日のように通っていて親しい場所になっていたので、 場所についてほとんど知り尽くしていました。 そんな時にこのプロジェクトが始まりました。 この「場所」をいかに建築にしていくか、 つまり都市を建築にしていくというプロセスをここではとりました。
よく「都市的な建築」というような言い方をしますが、 私はここで「都市」を「建築」にしたのです。
アメリカ村のあの複雑に入り込んだ路地の中、 あるいは建物の隙間に入って行き、 さらに建物の中から次の建物の中へ入っていくという、 あの複雑な街をいかにして建築にしていくか。 それによって実は大きな建築物であるにもかかわらず、 街がとけ込んできたような、 街そのもののような、 そういう場所をつくるという経験を通して、 「場所を読む」ことでデザインするという一つの手法をつかんだと思います。 町の魅力を見出して引き出し、 更にそれをより強くするというデザインです。
夢シティ計画イメージパース |
ここで私達はコンパクトシティ、 成長管理、 参加という三つの提案をしました。 「ストック」という大きな枠の中の具体的なテーマとして、 この三つのキーワードを掲げていくということが大事ではないかということに私もようやく気づいていました。
これは実は「都市」の提案が求められていたのですが、 私達は美しい「田園」を提案しました。 そこでは「都市の退路を断つ」をテーマに、 によって田園を破壊しながらスプロールしつづける都市というものにNOを言うという、 つまり田園側から都市を規制することを提案しました。
というのは、 農村を見てみると農村もまたスプロールしている。 ではどうやってスプロールを収束させるか。 農村をコンパクトにまとめていって美しい田園をつくるという計画を提案し、 都市は都市でこれと同じように考えてやりなさい、 という提案でした。
夢洲 提案 |
真ん中のおむすび型の地区が住宅地で、 一番下の地区が物流センター、 左上に公園などのオープンスペースを集めました。 住宅の市街地を半径1km以内の、 全部歩いて行ける範囲にコンパクトにまとめてしまうという計画です。