モデルとしての眼前の都市風景
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3)先が見えたような気がした'85年、
そして「日本風景論」

 

 以上で私の仕事を通した話をざっと見て頂いたわけですけれども、 ここから次の話しに移ります。


作ってきた風景を原風景とする世代の登場

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千里ニュータウン
 これは千里ニュータウンです。 千里ニュータウンには素晴らしい緑の厚みがあります。 住宅もほとんど佇まいと言っていいくらいの風景になっています。

 今、 千里ニュータウンをなぜ見せたかというと、 2番目のタイトルに「先が見えたような気がした'85」と書きました。 実は1985年に私の部署に一人の女性が新入社員で入ってきました。 その面接試験のときにどうしてこういう仕事をしようと思ったのかと聞いたところ「私は千里ニュータウンで育ちました。 こんな街を創る仕事があるんだったら、 ぜひしたいと思った」と答えたのです。

 私ははそれまで千里ニュータウンをそういう目で見たことがありませんでした。 学生時代、 建設が始まったばかりの頃に見学に行って以来、 千里ニュータウンのようなものは日本の大事なプロジェクトではあるけれども、 フックニュータウンの計画などと比べるとある意味既に時代遅れだったし、 都市デザインの視点では頑張っているものの、 沢山の問題点があるという意識で見ていました。

 ところがそこに、 千里ニュータウンで育ったということにプライドを持った女性がやって来て、 「だから都市デザインをやりたい」と言った。 これは私にとって大きなきっかけになりました。

 そこから私の街の見方が少し変わってきたように思います。

 さて、 ほとんど同じ頃に、 大阪の都市風景について自分の思いを話す機会があり、 自分なりに考える所をまとめてみました。

 そのとき私はいわゆる「都市でしか見られない風景」というものにある意味で目覚めたのです。 大阪の街の中に本当に美しいと思える所が随分ある、 それも新しく創られた現代の都市の中に存在する、 と思ったわけです。

 私が都市とデザインについて自問しながらイタリアから帰ってきたときは、 「日本の都市空間」は日本ではできないと思ったわけですが、 実は全く新しい別の風景が既に生まれてきてるのではないか、 「300年待たないとダメだ、 だから今はストックだ」と思っていたのが、 いやどうも新しいストックが既にできはじめているのではないか、 と考え始めるきっかけとなったのです。

 これは、 鳴海先生がJUDIでまとめられた『日本の都市環境デザイン'85〜'95』で「10年を振り返り、 未来を展望する」とタイトルをつけられていますが、 ここに書かれた事とほとんど同じ事を言っているかもしれません。 私の場合は、 この頃からそのような考えを持ち始めたわけです。

 その思いが決定的になったのは、 2000年に出版された『日本風景論』という本です。 これは文筆家の切通理作さんと写真家の丸田祥三さんの対談という形になっています。 二人は高校の同級生で、 1965年、 つまり私が仕事を始めた年に生まれ、 私達が関わりつくってきた都市の中で育ってきて、 それが彼らの原風景になっている世代なのです。

 私にとっては土田さん達が作った『日本の都市空間』に取り上げられているような風景が原風景であり、 またイタリアから帰国後はこのような原風景に対する甘いノスタルジーは捨てるべきだと思ったわけです。 しかし彼らにとっては当然そのようなものは原風景ではなく、 65年から私達が創ってきた都市空間、 そのような都市の風景が彼らにとっての原風景なのだと、 ここではっきりと理解することができました。

 そして、 新しい都市の風景が既にストックされはじめているという事に確かな手応えを感じました。

 私自身にもその例はまだそんなに沢山出せませんし、 皆さんにもそう思っていただけるかどうか分かりません。 しかしそれが今日の話の発端になっているわけです。


都市環境デザインの成果

 では我々がどのように都市をつくってきたかについては、 JUDIの『日本の都市環境デザイン'85〜'95』にまとめられてますが、 これをもっと大雑把にまとめますと二つの流れがあったと思います。 一つは「ビッグプロジェクトの成果」としてはっきり言えることがあります。 その代表的なものとしてはOBPや新宿新都心、 幕張ベイタウン、 横浜ビジネスパークのベッリーニの丘、 福岡のネクサス、 そして横浜みなとみらいなどがあります。

 もうひとつの流れは「まちづくりとしての都市環境デザイン」です。 横浜市の景観行政は特筆すべきものだと思いますが、 そのほかにも神戸をはじめ全国で行われました。 これらはどちらかというと「日本の都市空間」型デザインの思いが強く働いていたのかもしれません。


残りの99%の街にこそ現代の風景がある

 しかしこの「まちづくり」と「ビッグプロジェクト」の二つの成果を合わせても、 我々の都市の中ではおそらく1%の面積にもならないと思います。 我々がいつも日本の都市はどうしてこんなに醜いのかと言っているのは、 残りの普通の街であり、 それが99%を占めているのです。

 そして我々が何とかしなくてはといつも悩んでいるのは、 ごく普通につくられていくその99%についてなのです。

 しかし今日は、 その普通の街の部分に新しい原風景が生れている、 と言いたいのです。 我々がどうしようもないと思っている99%の都市空間にもまた、 見るべき現代の風景があり、 これからの風景のストックとして見なければならんのではないかと思うのです。

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