上野:
今、 コーディネーターの中村さんからセミナーの概略を説明いただきましたが、 私の方から、 このセミナーの基本的枠組みや狙いを、 再度お話をしたいと思います。
その背景には、 明治以来の百年の間に私たちはそれまで受け継いできた大きな遺産を、 たくさん失ってしまったのではないかという思いがあるわけです。 それを次の百年でどういうふうにリカバーしていくかということも、 その百年の、 いわば破壊の歴史の一端を担ってきてしまった私たちの責任だと考えているわけです。
とはいえ、 めまぐるしく動く現在の状況の中で、 我々が現実に百年後の、 22世紀の京都がどうなるかということを思い描くことは、 事実上不可能です。 したがって、 ここで言う百年は、 今から百年という仮の時間的距離のかなたを設定した、 もう一つの今を語る道具としての時間設定です。 ですから今日いろいろ見ていただく映像が、 22世紀の姿であるということではなく、 あくまでも今我々が「もう一つの京都」を考えるとすれば、 こういう姿になるのではないかということであると、 ご理解をいただきたいと思います。
ただそういった意味だけではなく、 例えば毎年毎年僅かずつでも部分の改変を積み重ねていけば、 百年後に確実に何かもっと大きな蓄積ができるだろう。 そういった積み重ねが出来るものを、 見いだしていくことはできないかという意味合いも、 もちろんあります。
ちょうどそれは駒がどんどんひっくり返って敵味方の勢力が変わってしまうというオセロゲームと同じように、 都市を構成するそれぞれの建物等が、 都市環境全体を見通したようなあり方に変わっていくとすれば、 結果的に都市全体の環境がかわっていくんじゃないか。 そういうふうな事を考えながら、 「部分からの都市環境の改変」を考えていきたいと思っているわけです。
そうなると当然、 それぞれの建物等を実際につくって運営している当事者である一般の市民の方が、 どういう意識を持って、 どういう行動をしていくかということにかかってくるわけです。
したがってこういうアプローチは、 まちのあり方を市民が主体的に考え行動していくということが前提になっています。 とするとどういうふうにすれば、 そういった状況を作り出していけるのか、 あるいは私たち専門家が、 そういうプロセスにどういう形でお手伝いできるのかを考えていくことが、 次の課題になってくると思っております。
そういうことを考えるために、 今回はいろいろな年齢層、 特に次のまちを背負っていくであろう子供たちにも参加してもらって、 そういう人たちがまちについてどういう思いを持っているのかを汲み上げていきたいと思いました。
もちろん部分からの改変が都市環境問題の全てをカバーするわけではありませんが、 いわゆる行政が進めるような都市計画と、 市民の視点からまちのあり方を考えるということは、 都市環境を改変していくための、 いわば車の両輪です。 その両者がうまくかみ合っていかなければ望ましい形では進まないのではないか。 では、 どういう形で進めていけば、 生活者の考え方を汲み上げていけるのか、 あるいは汲み上げるという言い方はむしろ逆であって、 どうやって都市のあり方のほうに反映させていくかというシステムを考えるための、 言ってみれば思考実験のようなものを今回やってみようと思いました。
今回は、 時間的な制約もあり、 そういった筋道を考え、 実験をしてみるという程度であって、 今回のプレゼンテーションの内容が「答え」ではないということをまずご承知おきいただきたいと思います。
従いまして、 パート1パート2ともに、 あまり堅苦しいことは考えずにむしろ夢を語るわけですから、 みなさんで楽しんでいただけることに力点を置いたとご理解をいただきたいと思います。
そして3回目の今回は、 水と緑という自然的要素に着目し、 それを都市の中にどのように再生させるかということを通じて、 その都市の物理的な環境、 あるいは生物的な環境、 あるいは社会的な環境の再構築にどう役立たせていけるかを考えてみようということです。
ただ、 その答えが今回出ているわけではないと先ほど申し上げましたように、 これは具体的プロジェクトでもないし答えでもない。 むしろそういうことを考えていかねばならないのではないかという問題提起が今日のアウトプットであるとお考えいただきたいと思います。
今日のテーマが「百年後の水と緑をデザインする」という壮大なタイトルなので、 大仕掛けなプロジェクトを期待された方がいらっしゃるとすれば、 木戸銭をお返ししなければなりません。 むしろそうではなくて、 極めてささやかな当たり前のことをどうやって守っていくのかに重点を置いています。
したがって全体のグラウンドデザインをして、 今後の部分のあり方を誘導していくということではなく、 全体のあり方に対するなんらかのルールを決めていって、 個々の改変が自発的に行なわれ、 その集積がうまい方向にいくというシナリオをこれから考えていかなければならないということです。
この「まちらしさ」ということと自然的なものの回復という二項対立は、 これまでのワークショップの議論の中で、 大人から見たまちのあり方と、 子供から見たまちのあり方、 図式的に言えば、 大人の求めるものと子供の求めるものと大括りに出来るのではないかと考えました。
もちろん子供の目から見て文化的なものが軽く見えているということでもないし、 大人が自然的なものを求めていないということではないのですが、 意識の中で大きな差があるということが見えてきたわけです。 そういうものを一つのまちの中に、 一つの街区の構造の中にどうやって取り込めるかがパート2で主に考えてみたことです。
こういったオモテ・ウラという構造は、 通り側と路地側、 あるいは中庭側という空間実体として仮に考えているということです。 さらに建物の屋上としてのオクという、 オモテ・ウラ・オクという三段階の空間構造を想定して、 そのなかで文化的なまちらしさと自然的な場の回復によって、 都市の中での生態的な空間秩序の回復を実現していけないかを考えてみました。
これまでは建物と緑ということで考えてきたことですが、 都市環境の回復はこういった都市から排除されてきたものをどうやって回復していくかにかかっているのではないか。 それを実現するシステムを見いだしていくことが、 これからの課題であると考えます。 前回は建物単体で考えてみたのですが、 その後様々なご意見をいただいて、 単体の建物が集合した街区という単位でどういうことが考えられるかを今回は探ってみました。
以上、 セミナーの枠組みとその狙いをお話ししました。 これからパート1の方の説明を始めたいと思います。
基本的枠組み
百年後という時代設定の意味
今回、 いろいろ議論をするときに、 城巽学区を中心に地域の方々にご参加いただいたのですが、 これには、 城巽の名前の由来である二条城が、 来年に築城四百年を迎えるにあたり、 次の百年はいったいどういうことになるのか、 この機会に考えてみようという事がありました。
「部分からの都市環境の改変」という戦略
京都に限らず日本の都市の大部分はここ数十年、 少なくとも半世紀くらいの間に、 市街地内の建物のほとんどは建て変わると思います。 そういうことを考えていった時に、 これから建て変わる建物の一つひとつが全体の環境を考えながらつくられるようになっていくとすれば、 五十年後百年後には都市の環境は必ず変わっていくはずだというのが、 「部分からの都市環境の改変」という戦略の意味です。 言い換えれば一つひとつのあり方を考えていかないと、 おそらくいつまでたっても、 都市環境の問題は解決できないんじゃないかと考えております。
夢を語る
今回、 パート1とパート2という違う切り口でこの問題を考えてみたわけです。 この両者はそれぞれある一定の関係性・関連性はもっておりますが、 必ずしも整合性を持っているわけではありません。 それとパート1のほうは何人かの人が担当しておりますので、 そこにそれぞれの考え方と感じ方がありますから、 全体的にオムニバスであるというふうに考えていただきたいと思います。
都市環境再生への問題提起
今までの2回のセミナーでは、 都市の物理的な環境の改変(例えばヒートアイランド現象など)に対してどういう形で対処していくのか、 あるいは都市における生態的環境をどう回復するのか、 あるいは都市の構成員の変化によって破壊されつつある社会的環境をどう再構築していくのかといった都市環境再生ということを、 部分のあり方の中から探っていこうと取り組んできました。
文化的な要素と自然的な要素の両立
これまでのワークショップのなかで色々な議論がありました。 それを踏まえてどういうイメージになるのか、 これからみなさんにご覧いただきます。 そこでは基本的には京都のまちが今まで持ってきた「まちらしさ」という、 まちの文化的な要素と、 京都が失いつつある自然的な要素。 今まで都市の中でうまく両立してきた両者のバランスをもう一度回復していくシステムを探っていこうというものです。
空間秩序の再構築
具体的に言いますと、 今まで京都のまちが町家の構造と一体になって持ってきたオモテ・ウラという空間の秩序をもう一度再評価し、 大人の視点の「まちらしさ」ということと、 子供の視点の「自然的要素の回復」を、 そのオモテ・ウラという構造の中にもう一度位置づけるということを仮説として考えました。
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