フィンランドセミナー
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何のため、 誰のための町づくり

辻本智子環境デザイン研究所 辻本智子

 

(1)新古典主義の隙間に―中心市街地

 ヘルシンキは実質19世紀に首都として本格的に建設された都市である。 ドイツ人建築家エンゲルが新古典主義で形づくった町。 海から眺めると市庁舎、 大聖堂等施設群が美しく立ち並ぶ。 空を見上げるとロシアを思わせる屋根が可愛い。

 ヘルシンキは歴史的の若い町であるのにもかかわらず、 北欧の白い都市を演出し、 ヨーロッパの古いまちのような雰囲気が残る。

 現在、 「樹木より高いビルを建ててはいけない」「屋根の形の規制」。 かなり厳しい景観条例である。 「町の美しさを守るためにはここまでやるのだ」という思いはしたが、 私には、 中心市街地に森の都市のイメージは感じられなかった。 また、 古典的な町並みを窓際の花で彩りを添える、 典型的ヨーロッパの都市の様子もなかった。

 緑を仕事とする私にとっては「建物前に少しでも緑を加えてほしい」と言う感じであった。 夕方、 町を歩いた。 建物の隙間に人間らしい空間があった。 町の美しさを守り、 人間味を求めた人々が生み出した魅力なのだろうか。

 

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昔、貧しい人々が建物群の内側に暮らしたと言うそんな空間に今すてきなお店ができている。
 

(2)ナショナル・ロマンティシズム

 今回のヘルシンキ環境共生都市研修ゼミを短い時間内で明解な案内をしてくれ、 それに加え、 常に素晴らしいお食事とシーンをセッティングしてくれたのはリィッターさんだった。

 彼女はヘルシンキの市役所に勤める。 市役所の彼女のオフィスに寄せてもらったら、 そこには木製のヘルシンキの模型があった。 なるほど「木の国」。

 昨年上海に行った時、 建築博物館で上海の町の模型を見た。 私が留学していたカりフォルニア大学バークレー校のシュミレーションラボにも、 大学がサンフラシスコの町づくりに直接かかわっていたこともあり、 模型室があった。

 日本のどこで町全体の模型を眺めながら町づくりを考えている市役所があるだろうか。

 このように模型を見ながら仕事を進めれば、 日本の公務員も、 もっと自分の町に哲学を持って仕事ができるのではと感じる。

 リイッターさんがヘルシンキの町を愛し、 そのコンセプト、 哲学のあるまちづくりの歴史に誇りを持っていることが、 彼女が「ナショナル・ロマンティシズム」と言う時の声のトーンでわかった。

 フィンランドをはじめ北欧では1900年をすぎ、 国民文化の見直し時期になり、 ナショナル・ロマンティシズムと呼ばれる動きが出てきた。 これは民族文化の創造をめざす運動で、 民族性を形にすることを始めた時代である。

 ここで現れるのがサーリネン。 この時の建物はフィンランドの花崗岩を生かしたファサードをもつ中心市街地のヘルシンキ駅舎である。

 緑豊かな郊外に創られたサーリネンの住宅に行った時、 花崗岩の重厚な外観、 住宅内部では自然と暮らすライフスタイルは建築物だけでなく、 その家具からも伝わってきた。 リイッターさんの声のトーンが上がるのも当たり前だと理解できた。 この時期以降から本当に森の国フィンランドらしい田園都市が創られるわけである。

 建築家サーリネンは建築デザインから、 家具、 照明までデザインしている。 彼に限らず後に現れるアールトも同じである。 彼らの作品、 住んでいた住宅、 オフィスの贅沢さ。

 

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外部空間と一体化し、光を充分取り込んだアアルトのオフィス。ここも白
 
 「なぜ、 建築家がここまでできるの」と日本の建築家と比較してしまう。 実体験のない、 自らのライフスタイルとまったく異なる、 果たせぬ夢を狭いオフィスで描く日本の建築家とは根本から違う。 また、 彼らの仕事はディテールから都市計画までを意識している。 家具も家も町もライフスタイルのあり方なのだ。 デザイン性ばかりを追求し、 生活観、 ヒューマンスケールを意識しない日本の建築家(全部とはいいませんが)に学んでいただきたいものです。


(3)森と生きる環境共生都市

 
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カピュラのコミュニティガーデン
 
 ヘルシンキから5kmの所に、 こんな静かなカントリーハウスあるのかと驚いてしまう。 JUDIのメンバーは道路のあちこちに落ちている林檎を拾って食べた。 「乞食になっても暮らしていける」なんてカリフォルニアの暮らしを思い出す。

 カピュラは1930年ぐらいに造られた木造住宅。 ヘルシンキの人口増加対策としてともかく迅速に住宅を提供しょうと造られ、 当初は家族だけでなく親戚、 知り合いが共同に暮らすという考えで、 早く作れる工法で作られたログハウス。

 最初から住宅に付いていたキッチンガーデンは今も花や野菜や果物が植えられ、 それ以上にコミュニティの交流の場として活躍している。 70年代に取り壊し案も出ていたが、 ヘルシンキに近く、 開放的であるのにかかわらずコミュニティ性が強く、 安全な住区であることから、 今や知識人が好んで暮らす地域になっている。 自治システムがしっかりできており、 各ブロックに1人役員が選ばれ環境管理を行なっているだけでなく、 メンテナンスのため大工さんを住民の中に加えている。 こんなところも、 日本は学ばねばならない。 プレハブ住宅で20年で建て直しという日本の住宅事情では、 大工さん等職人は生きていけない。 カピュラでは、 今も、 ベンガラ塗りのログハウスがいきいき残る。

 よい計画、 夢のような美しい建物だけで、 伝統的建造物として残されるというのだけでなく、 緑の豊かさを愛する人が自らのライフスタイルをエンジョイできるなら、 その空間は人々に磨かれ、 守られていく。 使う側への隙間が与えられていることの重要性を感じる。

 

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海と光と青空と!!これが可能な都会がなぜ日本にはない。 タピオラ、此処こそカメラに収めねば、メモリーはなくなってしまった。
 

(4)何のため、 誰のためのまちづくり

 東京ではバブルが戻ったかのように高層ビルの建設ラシュが始まっている。 相続税を払えない老舗が税金対策としてバブル時に建てたビルに空室が目立ち、 日本橋は大変なことになっているとテレビは伝える。 「スクラップ&ビルド」は今や日本の町づくりを表現する言葉になってしまっている。

 日本では相続税が高いこともあり、 伝統的建造物や町並みは残りにくい。 しかし、 理由はそれだけだろうか。 伝統的景観を守り抜くことはコストがかかり、 経済効率が悪いと思う人が多いのであろう。 それは、 机の上で物を考えている人の発想であり、 自分の独創力や発見・発明の発想力に自信がない人であろう。

 私達人間は自然を読み取り、 数々の発見・発明を繰り返し、 自然とのかかわりの中から文化も産業も生んできたのである。 その地域にある自然資源を生かし築き上げた文化や産業は、 他の地域ではできないオリジナル1、 オンリー1なのである。

 何のため、 誰のためのまちづくりか。 それはそこに生活する人が五感で地域をいきいき感じ、 常に自分の町のポテンシャルはどこにあるか自信を持って暮らしていける、 伝統も新しいものとして楽しんでいけるようにすることではないだろうか。

 都市を作る人が家具もつくるように、 小さな物から大きな都市計画まで哲学は同じである。

 伝統工芸がいきいきしているベルギー&フィンランドの旅(私はベルギーに行ってからフィンランド研修へ参加したのです)。 今、 それが見えなくなってしまっている日本人に、 美しく、 輝く地域の再生と創造を求め、 個人の庭から伝統性と地域性を継承する「ガーデンルネッサンス」のムーブメントを興したいという私の心に刺激を与えてくれた。

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