住民主導まちづくりは、複雑系
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質疑応答

 

 

「複雑系」という概念はなぜ生まれたのか

鳴海

 今日のお話のポイントは、 「協議会活動のプロセスにおける現象を抽出し顕在化し、 その対応の経験を蓄積する」というところだと思います。 ご説明にあったいくつかのキーワードは、 久保流の経験で発見した見方ではないでしょうか。 プロセスにおける現象を抽出するのはあらかじめ知識があれば可能でしょうが、 おそらくこのやり方は久保さんが創出的に考えたんですよね。 よければ、 もう少し具体的に説明していただきたいのですが。 現実にどんな場面でひらめいたのか、 その辺のところをお願いします。

久保

 私が「複雑系」に関心をもつようになったのは、 3年ほど前からです。 まちづくりには、 自然な流れのようなものがあり、 面白いと思っていた現象を、 後で見直してみると複雑系の概念にあてはまることが分かりました。

 一番印象的なのは、 お話ししましたように、 協議会が、 震災後の混乱の中、 小規模に林立していったことです。 当初、 地区全体のまちづくりとして成り立つのだろうかと思いました。 しかし、 自然に全体の秩序ができていきました。 これは複雑系で説明できるものであることがわかり、 そのほかのまちづくりの現象を複雑系の概念で見直していくと、 擬似的であれ、 説明できことがわかってきたのです。

 コンサルタントとしてまちづくりに関わっていると、 案外勘で動いている部分が大きいのです。 勘とは、 前にこういうことがあったという経験に基づくものだと思いますが、 これが複雑系の概念により整理しやすいことがわかったのです。

鳴海

 震災復興の仕事だけでなく、 それまでに関わったいろんな仕事の中からもそういう現象を発見できることはあるということですか。

久保

例えば、 震災前から震災後にかけて支援していた神戸市味泥地区まちづくりでは、 町の悪循環を良循環に変えていこうと話し合い、 さまざまな取り組みをしました。 この悪循環、 良循環とは、 新しい言葉で言えば、 ポジティブフィードバックのことです。 実は、 先ほど示した「まちづくりスパイラルアップ」の図は、 この時できたものですが、 そのまま新長田駅北地区東部であてはまります。

 一つの大きなまちづくり組織では、 まちづくりの新しい展開が生まれにくく、 やがて終わっていったという経験も持っていました。

 都市計画の技術や制度は、 当然必要なものですが、 それが活用されるかどうかは、 協議会活動のプロセスにかかわります。 従って、 複雑系といわなくても、 それまでも現象には、 無意識でも注意していたように思います。 それは、 あんまり直線的に計画推進だけにこだわっていると住民との軋轢などまずいことになったり、 そうでなくとも自主性のない協議会となり、 やがては終わってしまうからです。


何が協議会を生むきっかけになるか--NPOの可能性

吉野(DAN研究所)

 お話を聞いて、 カオス(震災)の中から協議会という組織が林立し、 それから日常性へと還っていくというイメージを抱きました。 ところで私が仕事で関わっているところはカオスがなくて、 停滞している日常から協議会活動に持っていかなければならないのですが、 なかなかそのきっかけになるものがなくて困っているんです。

 今のところ私が注目しているのは、 外から入ってきた人、 つまりよそ者達が地域でいろんなことをやってくれることですね。 例えば大阪で言うと、 空堀地区には今、 外から入ってきた人が5人ほどいて何かやろうとしています。 そういう人たちの動きと久保さんのカオス理論には何か共通点はあるでしょうか。

久保

 一般的に地区協議会が出来るパターンとしては、 震災以外にやマンション建設反対運動など地区の混乱がきっかけになったものが多いのではないかと思います。

 もう一つのは、 日常から協議会活動が生まれるという流れですが、 停滞している日常性を流動化して協議会活動にしていくわけですから、 これは相当なエネルギーいると思います。 まずは、 その地区に潜在的であっても、 まちづくりの動きに共鳴するセンスを持つており、 今後まちづくりのリーダーとなるべき人がいるかどうかだと思います。

 もしそのような可能性を秘めていれば、 周辺地区でまちづくり協議会が活動していたり、 外から入ってきた人たちの活動が影響して、 その地区のまちづくりの動機がはっきりしてきて、 まちづくりが起こるということがあると思います。

 複雑系での「ゆらぎ」という概念は、 たった一人の住民や外から来た人が生み出した小さなビジョンであっても、 共鳴力があればそれが増幅されて伝播し、 まちづくりにつながることを教えてくれています。 外から来た人の方が新鮮で新しいビジョンを作りやすいということもあると思います。 大阪の空堀のような例は、 これからひとつのパターンになっていくのではないでしょうか。

鳴海

 「ポジティブ・フィードバック」の図がありましたが、 それが吉野さんの話と合っているように思えますが。

久保

 外から入ってきた人と地元の人の接点づくりとして、 イベントなどが考えられますが、 そのような中から、 両者間において「ポジティブ・フィードバック」を起こすことは、 考えられることです。


住民主導のまちづくりで、 行政のスタイルはどうなるか

難波(兵庫県)

 行政との関係の話を少し聞かせてもらいたいと思います。 従来型の行政主導のまちづくりから住民主導のまちづくりへ変わる中、 行政としてはどう地域や住民と関わるべきだとお考えですか。

久保

 都市計画コンサルタントは将来、 どんな立場になるのだろうとよく思うことがあります。 コンサルタント自体は高度成長期からの新しい職業です。 人がどんどん都市に入ってきた時代で、 だからこそ都市計画に関わる人材が育てられてきました。 しかしコンサルタントの老齢化と若い層の薄さ、 経営難、 人口減少と都市の安定化などの背景を考えると、 これまでのような都市計画コンサルタントはいなくなっていくのではないだろうか、 このような推移が進む中で、 たとえば20年後に大震災が起きたとき、 どのように復興支援されるのであろうかと思うときがあります。

 しかし、 たとえコンサルタントがいなくなっても、 行政は専門的立場からずっと継続して町や住民の生活支援するところで、 都市計画やまちづくりも行政が担当していかざるを得ないでしょう。 そうなるとやはり都市計画の実務的ストックを行政に蓄積していくことが必要と思いますし、 行政自体が変わっていかなければと思います。

 平常時のまちづくりでは、 コンサルタントを使わないで地元と行政でうまくやっているところもあります。

難波

 それは、 コンサルタントに代わって行政自ら地域住民の中に入っていくスタイルになるということですか。

久保

 平常時のまちづくりは、 都市計画というよりは、 地区の活性化などのソフトに重点をおいたものとなり、 個人間の利害の問題は、 それほど多くないと思います。 また、 住民意識の高まりもあります。 従って行政が入っていくことも多くなるのではないでしょうか。

 ただ、 震災復興など利害がからむ場合は、 第三者の役割が重要だったと思います。 震災直後は、 住民と行政では立場が異なることから、 住民が反対しても行政が広域的に見て実行しなければならないこともあります。 この対峙の中でコンサルタントは、 役割を果たしたといえるのではないでしょうか。

 今回のような震災復興においては、 特に初期に第3者的な都市計画の実務的なプロが必要と思いますが、 その辺を問題提起しておきたいと思います。


まとめ

鳴海

 最後に私から感想を述べさせていただきます。

 久保さんは長くコンサルタント生活をされているのですが、 今日の発表はご自身の仕事を客観的に振り返って「久保計画理論」と呼ぶべき内容に組み立てなおしたように思えました。 普通は事例の紹介や整理された内容紹介が続いてしまうところを、 久保さんは自分の仕事を他の人に伝えやすいものにしていこうとする姿勢で考えられていました。 以前からその辺は私は面白いと思っておりました。 今後も久保さんは「新・きんもくせい」でお書きになるでしょうから、 機会があればぜひお読み下さい。

 今日のお話の中で「土地利用適地」という考え方が出てきました。 みんなで検討していて、 ここは集合住宅があった方がいいとなるのですが、 それを今の日本の制度では決められないわけです。 しかし、 参加者の気持ちの中では合意している方向を、 「適地」という言葉で表したわけです。 制度的な土地利用計画になっていく直前の、 ある種の可能性を持ったイメージを「適地」と呼んでいますが、 久保さんはそれを今回の区画整理事業の中で編み出したと言っていいんじゃないでしょうか。 なかなかユニークな試みであったと思います。

 先ほど難波さんからの質問の答えで、 久保さんはコンサルタントは将来どうなるのかということを提起されました。 これだけ勘が必要とされる仕事で、 しかも面倒くさいことも多い、 そんな仕事を今の若者がやりたがるのかという危惧は私も感じます。

 2年ほど前に、 このセミナーで私が「新アテネ憲章」を紹介したことがありますが、 その中で都市計画家の役割について話しました。 私たちが町や村で集団で暮らしていると、 そこには必ずまちづくりが必要となり、 まちづくりの意味がなくなることはないと思います。 環境的調整をするのがプランナーだとすると、 プランナーはいつの時代でも役割があり、 そういう人がいないとコミュニティに危機的状況が生まれることはすぐに予想できることです。 久保さんはコンサルタントは将来いなくなると言われましたが、 誰かがやっていかないとカオス的な状況になってしまいます。 それは住民・自治体にとっても危機的な状況ですし、 コンサルタントがいないなら、 まちづくりに何か別の仕組みが生み出されなければならないわけです。

 今日のお話を手がかりに久保さんも自説をまとめていくと聞いていますし、 我々としても新しい議論の糸口が生まれたのではないかと思います。 これからも、 これに類する話題を取り上げていきたいと思っています。 久保さん、 今日は興味深いお話を聞かせて下さってありがとうございました。

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